のんち部ろぐ

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母の集大成

2016-07-30 | 徳島・実家関連



母の30数年の短歌の集大成の本が出来て送られてきました。

そういえば昔からたまに
「のんちゃんの歌、詠んだんでよ」
とか言うてくることがあったけど、毎月毎月送られてくる短歌の本をどれどれ、とめくることはなかった。
たまに少し興味が出て、どんなん?って聞いてみても???と全く心動くことがなかった。

それが何故か子供産んで、小学校に入りだしたころ急にやってみてもええかな、と突如思った。

考えると、それは母が短歌をやり始めた時期とも近いので不思議。

ということで、細々とではあるけれど私も今やっている。
40才から始めたので山本四十路。私のペンネーム。

母はつきぬけて適当で前向きな人間だ。
週に三回の透析が始まった時から私は母の死を覚悟しながら過ごしてきた。
しかし、しんどいしんどい言う割に小学校の養護教諭もこなしてたし、退職してからも病院に行く寸前までご飯の用意や畑で仕事してたりしてた。
おばぁちゃんの心配して、介護もして、お父さんの体も心配して。お母さんが一番に死ぬやろ言う話したとき「いやいや、この3人やったら私が一番長生きすると思う」って言うて家族を驚かした。
あんな元気で前向きな透析患者はみたことない。

検査でヘタクソな医者に胃カメラ?を失敗され食道に穴をあけられたとき、私や兄弟は怒り心頭、ただでさえ弱ってる人間になんてことしてくれるんだ、と一言もの申したい気持ちだったのに、本人は「誰にだって失敗することはある。自分でわかってるんやから責めたらあかん」と仏さんの境地。

その母がドナーからの腎臓移植が出来る、との知らせを受けたとき、私は泣いた。
結婚式も子供が産まれたときも嬉し泣きなどしなかったのに、嬉しすぎて涙が出た。嬉し涙が生まれて初めて出た。

腎臓移植を待つのには登録の申請と年間お金もかかるらしい。
それを母は10数年続けた。
私なら、どうせ回ってくるはずない、と途中で諦めただろう。
母が母であったから回ってきた奇跡やと思った。

移植するまでは、すればバラ色やと思ってたけど現実は少し違った。
体調は優れなかったし免疫抑制剤のためにすぐに肺炎をおこした。
移植後すぐに亡くなることも多いことを知った。

が、母はやはりタフだった。
半年、一年、そして二年とどんどん元気になった。

私が短歌の本を出すくらいなら腎臓移植の本を出し、それやったら売れるで、って言うたら「そんな過去の話は忘れたわ」やと。
びっくり。

過ぎたことは気にしない。前を向いて進んでいくのね。

ということで現在進行形。
念願の歌集ができあがったそうな。

おめでとうございます


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