今日、娘と話をしていて
まだ、本人の記憶がなかった小さかったときのことを
「あなたは、こういう子だった」というのは、良くないねという話になった。
「私は、こういう人間だという自己イメージができちゃうよね」と
まあ、そういう話を聞くことになるのも運命で、抗うことができないとは思うけれど
確かに、その自己イメージってやつは、なかなか曲者だ。
私って、こういう人なのよねとか、あなたってこういう人よね、とか
よく聞くけど・・・・
100人いたら、100人の人が、同じ一人の人に100のイメージを持っている。
どれも、その人から見たイメージで、
ある意味、見られている本人というより、見ている側の考え方で、できあがっているイメージで
真実ではない。
それぞれが、それぞれの運命というストーリーの中で、人物設定をしている。
何だか、そんな中で
人にどう思われるとか、みとめてほしいとか、思うのって変な話だなと思った。
話が通じなかったりするのは、当たり前かもしれないな。
みんな違って当たり前、違いを尊重するしかなくって
その起きてくる世界に目を向けるのではなく
この世界の土台
意識、そこだけが共通なのだ。
そうすると、100通り、すべてが私
まだ、本人の記憶がなかった小さかったときのことを
「あなたは、こういう子だった」というのは、良くないねという話になった。
「私は、こういう人間だという自己イメージができちゃうよね」と
まあ、そういう話を聞くことになるのも運命で、抗うことができないとは思うけれど
確かに、その自己イメージってやつは、なかなか曲者だ。
私って、こういう人なのよねとか、あなたってこういう人よね、とか
よく聞くけど・・・・
100人いたら、100人の人が、同じ一人の人に100のイメージを持っている。
どれも、その人から見たイメージで、
ある意味、見られている本人というより、見ている側の考え方で、できあがっているイメージで
真実ではない。
それぞれが、それぞれの運命というストーリーの中で、人物設定をしている。
何だか、そんな中で
人にどう思われるとか、みとめてほしいとか、思うのって変な話だなと思った。
話が通じなかったりするのは、当たり前かもしれないな。
みんな違って当たり前、違いを尊重するしかなくって
その起きてくる世界に目を向けるのではなく
この世界の土台
意識、そこだけが共通なのだ。
そうすると、100通り、すべてが私