古天気学 A

明治時代以前の日本のお天気や地震また天文関係の資料を収集中

北海道沖、17世紀初頭の大津波 Ⅱ 地震編

2017-12-25 12:01:57 | 地震
北海道沖、17世紀初頭の大津波 Ⅱ 地震編 

2017年12月25日 月曜日  天気 曇 晴 風      
 
クリスマス

北海道沖、M9地震予測 本州にも被害の恐れ

「北海道東部の太平洋岸では、17世紀初頭の大津波が知られている。高さは18メートル以上で4キロ以上内陸まで浸水した。」を検証。

慶長十六年十月二十八日(1611年12月2日)に慶長三陸津波地震が発生。今までは、三陸沖を震源とする地震津波とされていたが、以前より地震発生時刻と津波の到達時間に大きな差があり、疑問が投げかけられていました。
現在では、北海道の千島海溝を震源とする地震津波と考えられています。

千島海溝では、400年間隔で地震津波が発生していますが、1611年以来、地震が発生していないため大きな不安があります。


1611年以前の東北・北海道地震津波の記録

1200年代は、鎌倉時代に該当する記録なし。
800年代は、仙台で、東日本大震災の前回の記録がありますが、該当する記録なし。
400年代 該当する記録なし。
0年代 該当する記録なし。 

北海道の地層には記録が残っていますが、文字記録がないのは非常に残念です。

この北海道の地震津波とは関連が無いかも知れませんが、「日本後記」に、常陸国 今の茨城県に次のような記述があります。

「延歴十八年八月十一日(799年9月18日)常陸國言、鹿島、那加、久慈(、、)、多珂(、、)四郡、今月十一日、自レ晨至レ晩、海潮去来凡十五度、満則過②常涯①一町許、涸則踰②常限①廿餘町、海畔父老僉云、古来所レ未②見聞①也。」
(訳)
鹿島・那加・久慈・多珂の四郡、今月十一日暁より晩にいたりる。海潮去来すること凡そ十五度、満潮時は一町ばかり常の所より陸地へ浸水し、干潮には、常の所より二十町も遠く潮引く、古老も古来見聞くせずとぞ

地震の記録がないことから、遠地津波であろうと考えられています?


地方などに、未だ専門家に見つかっていない文献が探せば沢山あるように思います。
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北海道沖、M9地震予測 本州にも被害の恐れ 地震編

2017-12-23 19:30:59 | 地震
北海道沖、M9地震予測 本州にも被害の恐れ 地震編 

2017年12月23日 土曜日  天気 晴 寒 寒 寒    
 
今日は、大掃除 疲れた。

北海道沖、M9地震予測 本州にも被害の恐れ

「北海道東部の太平洋岸では、17世紀初頭の大津波が知られている。高さは18メートル以上で4キロ以上内陸まで浸水した。」

を明日検証。
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「弘前藩庁日記」延宝五年十月九日 地震編

2017-08-07 10:59:50 | 地震
「弘前藩庁日記」延宝五年十月九日 地震編

2017年8月7日 月曜日 天気 朝曇 晴  

『弘前藩庁日記』は、江戸時代に弘前藩が藩政を記録した日記であり、一級品の史料です。

『弘前藩庁日記』延宝五年十月九日

「延宝五年十一月七日、十月九日水戸で地震・津波・死者三十六(男三十四女二)・上総の国蓮沼村で死人十三など)」地震の記事がありこれを検証したい。

「テータ変換」

年月日 延宝五年十月九日 → 1677年11月4日

場所 水戸 → 茨城県水戸市

種類 地震・津波 → 地震・津波

ネットと古天気学データベース(KTDB)で検証


延宝房総沖地震(えんぽうぼうそうおきじしん)は、延宝5年10月9日(1677年11月4日)に房総半島東方沖付近で発生したと推定される地震。規模はM8とされている。房総沖地震の一つと考えられている

「検証結論」

数少ない水戸市での延宝房総沖地震の大変貴重な資料です。
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「享保日記」享保九年八月 地震編

2017-01-16 17:20:59 | 地震

「享保日記」享保九年八月 地震編

2017年1月16日 月曜日 天気 晴 風 寒

「享保日記」享保九年八月

「享保九年 一 暦にくゑ日と云事、当八月廿二日より同廿八日迄、七日続キくゑ日有。如(V)此ノ月ハかならず大キなる天災有と、・・・
長雨にて八月卅日の内雨ふらぬ日ハ六日、此内三日ハくもり、三日晴天也。外かハる事なし。廿二年以前ニくゑ日七日つゞき、此節諸国一同大地震なりと云。
廿二年巳前ノ暦ヲミるに、くゑ日七日つゞきたる事なし。是も説也。大地震ハ有り。」を検証する。


上記の項目の「廿二年以前ニくゑ日七日つゞき、此節諸国一同大地震なり」について検証。

「年の検証」

1724年 - 21年 = 1703年

「検証結論」

関東地方を襲った 元禄大地震 元禄16年11月23日(1703年12月31日)震源は相模トラフの房総半島南端にあたる千葉県の野島崎と推定され、東経139.8度、北緯34.7度の地点にあたる。マグニチュード(M)は7.9-8.2と推定されている。

さらに茨城県で元禄十六年大地震の大変貴重な資料です。
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明和四年九月晦日 大地震 「大三箇倭文神宮社記」資料1の再調査

2016-07-10 17:39:58 | 地震
明和四年九月晦日 大地震 「大三箇倭文神宮社記」資料1の再調査

2016年7月10日 日曜日 天気 晴 暑い 

2010年11月21日のブログの内容

明和4年9月30日 茨城県 大地震 「大三箇倭文神宮社記」資料1


「大三箇倭文神宮社記(おおみかしずじんぐうしゃき)」に明和4年9月30日(西暦1767年10月22日)大地震 数十年覚えの無い地震 この儀度々の地震御座候 と記録がある。

手元の資料を元に確認作業

明和4年9月30日の地震の記録

青森県弘前 巳之刻地震余程強シ
岩手県八戸 今日地震巳ノ中刻壱度、午ノ刻壱度、今夜丑ノ中刻壱度都合三度揺候之間
岩手県北上市鬼柳 潰家1、焼失20軒
福島県耶麻 有感
栃木県日光 有感
新潟県高田 有感

震源地 江戸 規模M=6

手元の資料から確実に「大三箇倭文神宮社記」に書いてある地震が起きたことが確認され、当日、数度地震があり可なり大きな地震であることが分かる。
茨城県で大変貴重な地震資料と思われる。

2016年6月に再調査した結果。

明和四年九月江戸の地震  業務題目 史料地震学による断層帯周辺の被害地震の解明より

明和四年九月江戸の地震とされてきたものは、実は南東北沖の M6.8~7.0 程度 の地震である。江戸の被害の史料は 1 点しかなく、前後に南東北地方で有感地震が 頻発していた。被害程度が軽く、震源位置を絞りこめないため、沿岸に近ければ M は小さ く、沖合になれば大きくなる。いわゆる宮城県沖地震としては規模が小さすぎる。1938 年福島県沖の群発活動のような地震であった可能性が高い。

地震 場所 情報種別 推定震度 史料名
青森県弘前市 強地震  巳之刻地震余程強シ 御日記
青森県八戸市 地震(有感) 今日地震巳ノ中刻壱度、午ノ刻壱度、今夜丑ノ刻壱度都合三度揺候之間
岩手県北上市鬼柳 潰家1、焼失20軒
岩手県花巻市 地震(有感) 略年代記
宮城県仙台城 震度5.5 高野家記録
秋田県仙北市 強地震 北家御日記
山形県山形市 地震(有感)谷柏村御用留帳
福島県伊達市 震度5.0 藤屋佐藤与惣左衛門家蚕養記
福島県矢祭町 地震(有感)我一生見聞知覚書
福島県耶麻    有感 ー
茨城県常陸大宮市 大地震,地震覚書
茨城県日立市大甕 大地震 数十年覚え無い地震この儀度々の地震御座候 大三箇倭文神宮社記
茨城県鹿嶋市 地震(有感)日記
栃木県日光市 巳后刻余程之大地震三度 日光社家御番所日記,当役者日記,表日記
新潟県高田市   大地震 -
千葉県香取市 大地震 伊能豊秋日記
江戸城 強地震 御奏者番動向自筆留日記,奏者番留書 雷地震之部,官府御沙汰畧記
墨田区 地震(有感)御日記(江戸)
山梨県甲府市 大地震 坂田家御用日記
滋賀県彦根市 地震(有感)知即日記

手元の資料から確実に「大三箇倭文神宮社記」に書いてある地震が起きたことが確認され、当日、数度地震があり可なり大きな地震であることが分かり大変貴重な資料だと思います。
震源地は、福島沖であることが調査の結果わかりました。

茨城県で大変貴重な地震資料と思われる


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