古天気学 A

明治時代以前の日本のお天気や地震また天文関係の資料を収集中

「享保日記」享保九年八月廿四日 天気編

2016-07-31 18:50:47 | 天気
「享保日記」享保九年八月廿四日 天気編 

2016年7月31日 日曜日 天気 晴 暑い暑い 午後小雨 曇 夕曇

「享保日記」享保九年八月廿四日
「享保九年八月廿四日、朝明方空の赤キ事甚シ。六ツ半時より雷雨。但、雨ハよほどの事ニ候へ共、雷ハさほどニなし。在々ハ所ニより雷つよく、枝川ニ而廿四五之男朝草ヲかりてかへり、ニ雷ニあたり死ト云。老女一人、是ハ井へ水汲ニ出て雷ニ驚キ井ノ中ニ飛入死ト云。是より南ノ方つよく有(V)之由。此節江戸下りノ者ノ物語也。」を検証する。

「テータ変換」

年月日 享保九年八月廿四日 → 1724年10月10日

場所 水戸 → 茨城県水戸市 

天気種類 六ツ半時より雷雨。但、雨ハよほどの事ニ候へ共、雷ハさほどニなし。 → 午前七時ごろより雷雨。小雷強雨

吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)と古天気学データベース(KTDB)で検証

吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)

享保九年八月廿四日 → 1724年10月10日

弘前 雨
八戸 晴(雨)
盛岡 -
日光 曇(雨)
東京 晴(雨)
八王子 晴(雨)
伊勢 晴(雨)
京都 雨
池田 薄曇(にわか雨)
津山 -
鳥取 雨
諫早 晴

古天気学データベース(KTDB)

データ無

「検証結果」

年月日 享保九年八月廿四日 → 1724年10月10日  吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)天気記録有

場所 水戸市 吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)水戸市の天気記録無

天気の種類 午前七時ごろより雷雨。小雷強雨

「データ整理」

享保九年八月廿四日 → 1724年10月10日

弘前 雨
八戸 晴(雨)
盛岡 -
日光 曇(雨)
水戸 強雨小雷
東京 晴(雨)
八王子 晴(雨)
伊勢 晴(雨)
京都 雨
池田 薄曇(にわか雨)
津山 -
鳥取 雨
諫早 晴

「検証結論」

八月廿四日(1724年10月10日) 日光の天気は、曇(雨) 東京の天気は、晴(雨)、水戸の天気は、雨が強く降っていますが雷は少しです。

昔の天気は大変面白いですね。

茨城県水戸市での大変貴重な天気資料です。
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「享保日記」享保九年六月中 天気編

2016-07-30 11:27:00 | 古天気学
「享保日記」享保九年六月中 天気編
 
2016年7月30日 土曜日 天気 晴 梅雨が明けて 暑い 

「享保日記」享保九年六月中
「享保九年六月中、諸濱にて鮹(タコ 🐙🐙)のとれ来事前代未聞。さるにより下直成事可(V)云様なし。是を食してあたりて多く煩。・・・」を検証する。

「検証」

享保九年六月中旬を六月十日から二十日とする

西暦1724年7月29日から8月8日の間

現在のタコの取れる時期と変わらない。
タコの種類が違うのか。取れる時期が異なるのか。流通スピードが異なるのか。現在と享保時期では海水温が異なるのか。
この件、解るから教えてください。

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「享保日記」享保九年六月中 天気編 

2016-07-26 10:01:54 | 古天気学
「享保日記」享保九年六月中 天気編 

2016年7月26日 火曜日 天気 晴 曇 小雨

「享保日記」享保九年六月中
「享保九年六月中、諸濱にて鮹(タコ 🐙)のとれ来事前代未聞。さるにより下直成事可(V)云様なし。是を食してあたりて多く煩。・・・」を検証する。

明日以降検証
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「享保日記」享保九年六月廿九日 天気編 

2016-07-25 21:49:41 | 古天気学
「享保日記」享保九年六月廿九日 天気編 

2016年7月25日 月曜日 天気 晴 暑い 

「享保日記」享保九年六月廿九日
「享保九年六月廿九日、夕方鰹少初而来ル。遠濱より来ルゆへ、悉さがりて来ル。食するものなし。同七月一日ニ少来ル。ニ日ニハよほど来ル。当年之ごとくニ鰹遅キ事何年にも覚無(V)之事也。」を検証する。

「検証」

享保九年六月廿九日は、西暦にすると1724年8月17日
享保九年七月一日は、西暦にすると1724年8月19日

現在の初鰹の旬は 5月から7月とされているため、かなり遅れていることが分かります。
月々の海水温が上がらなかったのか又は、エルニーニョ現象によるものか

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「享保日記」享保九年六月廿六日 天気編 Ⅱ

2016-07-24 16:12:43 | 古天気学
「享保日記」享保九年六月廿六日 天気編 Ⅱ

2016年7月24日 月曜日 天気 晴 暑い 

「享保日記」享保九年六月廿六日
「享保九年六月廿五日、廿六日両日共大雨也。雷も少々有り。両日共風ハなし。廿六日晝過より中川(那珂川)水出。馬場邊水上り、往来とまる。夜中より水引也。辰巳風ニも有(V)之候ハヾ、去年ほどの洪水ニも可(V)有(V)之候へ共、風なきゆへさほどの水ニハ無(V)之。仙波(千波湖)水よほど出ル。紺や丁水上ル。是ハ廿六日夜中より廿七日晝時最中出ル也。」を検証する。

「享保八年八月大洪水の再現」


「享保日記」享保八年癸卯八月

「享保八年癸卯八月大洪水之次第。○八日から十日迄、晝夜押通間断なく大雨。十日ニハ辰巳大風なり。」を検証する。

「データ整理」

享保八年八月八日 → 1723年9月7日

弘前 晴
八戸 晴
盛岡 雨
日光 雨
水戸 大雨
東京 晴(雨)
八王子 雨
藤沢 -
伊勢 雨
京都 雨
池田 曇(小雨)
津山 雨
鳥取 雨
諫早 晴

享保八年八月九日 → 1723年9月8日

弘前 小雨
八戸 薄曇(大雨)
盛岡 雨
日光 雨
水戸 大雨
東京 曇(雨)
八王子 雨
藤沢 -
伊勢 大雨
京都 雨
池田 曇(雨)
津山 雨
鳥取 雨
諫早 晴 

享保八年八月十日 → 1723年9月9日

弘前 雨
八戸 雨
盛岡 雨
日光 曇(大雨)
水戸 大雨
東京 曇 (大雨)
八王子 雨
藤沢 -
伊勢 晴(大雨)
京都 雨
池田 雨
津山 雨
鳥取 雨
諫早 -


「検証結論」

享保八年八月八日(1723年9月7日) 日光の天気は、雨 東京の天気は、晴雨の為、水戸の天気は、雨です。

享保八年八月九日(1723年9月8日) 日光の天気は、雨 東京の天気は、曇雨の為、水戸の天気は、雨です。

享保八年八月十日(1723年9月9日)  日光の天気は、雲大雨 東京の天気は、雲大雨の為、水戸の天気は、雨です。



「享保日記」享保八年癸卯八月十日

「享保八年癸卯八月大洪水之次第。○八日から十日迄、晝夜押通間断なく大雨。十日ニハ辰巳大風なり。」を検証する。



「データ整理」

享保八年八月十日 → 1723年9月9日

弘前 雨
八戸 雨
盛岡 雨
日光 曇(大雨)
水戸 大雨 南東大風
東京 曇 (大雨)
八王子 雨
藤沢 -
伊勢 晴(大雨)
京都 雨
池田 雨
津山 雨
鳥取 雨
諫早 -


「検証結論」

享保八年八月十日(1723年9月9日)  日光の天気は、曇大雨 東京の天気は、雲大雨の為、水戸の天気は、大雨で南東の風が吹いていました。



今から 二百九十二年前 享保八年八月の台風 Ⅴ


「享保日記」享保八年癸卯八月

鬼怒川大洪水の継承

なか川(那珂川)大洪水。凡御代始り無(V)之洪水也。佐竹殿御國替之節洪水有り(慶長7年1602)。此度ノ水ニ一尺(30.3cm)ほどひき候有(V)之と雜説有り。誰の記録に有候か不(V)知、右之沙汰也。下町中水の不(V)入所ハ少々にて、多くハ水入、所により床ノ上へ六尺(181.8cm)、七尺(212.1cm)、其餘も有り。此外ゑん下迄上り候事。なか川の水、石垣橋ヲさし上、橋の下わづか壹尺計すき候事。
○仙波の水同様に出、水門御堀へなか川の水さし上りつかへ候付、水戸城下大洪水(明細・・・省略)
久慈川モ大分ニ水出ル。里川ハ不(V)出。
○右之水ハ九日の夜中より出る。
十日の晝時分、仙波(千波湖)、なか川ともに水花。但、十日の辰巳同夜中ハなか川猶水出、晝にハ三尺90.9cm)ほど高く有(V)之、同夜の内に此水に落候由。十三四日まで所により水湛候也。
○御城下 洪水により被害多い(明細省略)
一、 ・・・ 十三日の夜中より、土浦ハ大きに水まし一圓に通り候事不(V)成候よし。・・・・
○右之外那須領ノいかりの池(五十里湖)つつミきれ出水、敷ヶ村損亡、死人等大勢有(V)之由也。此池水ゆへ畢竟宇都宮洪水、又御領なか川ノ洪水も有(V)之山也。右之いけハ、三里四方トモ云。
つつミハ、幅十町(1.09㎞)ニ長貮里(7.8㎞)有(V)之とも云。追而説ヲ聞。此いかりの池之事ハ不分明。日光山にならひ高原山有。此両山ノ後ノ中段ニいかり池、なか川へハ十里ほどもへだつ。・・・

いかりの池は、色々調べた結果、五十里湖であることがわかった。
8月の大雨によって、1683年(天和8年) 9月に発生した日光大地震により
鬼怒川支流の男鹿川が土砂で堰き止められ、天然ダムの「五十里湖」が形成された。
堰き止め部分の土砂(幅1.09㎞・長さ7.8㎞)が崩落し、下流の宇都宮まで押し寄せた水によって多くの命が失われた(死者1200人)という。
鬼怒川では、茨城県常総市三坂町付近東側の堤防が2015年9月10日午後0時50分、延長200mにわたって決壊した。
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