古天気学 A

明治時代以前の日本のお天気や地震また天文関係の資料を収集中

今から 二百九十二年前 享保八年八月の台風 Ⅴ

2015-12-30 07:47:31 | 天気
今から 二百九十二年前 享保八年八月の台風 Ⅴ

2015年12月30日 水曜日 天気 晴 寒

「享保日記」享保八年癸卯八月

鬼怒川大洪水の継承

なか川(那珂川)大洪水。凡御代始り無(V)之洪水也。佐竹殿御國替之節洪水有り(慶長7年1602)。此度ノ水ニ一尺(30.3cm)ほどひき候有(V)之と雜説有り。誰の記録に有候か不(V)知、右之沙汰也。下町中水の不(V)入所ハ少々にて、多くハ水入、所により床ノ上へ六尺(181.8cm)、七尺(212.1cm)、其餘も有り。此外ゑん下迄上り候事。なか川の水、石垣橋ヲさし上、橋の下わづか壹尺計すき候事。
○仙波の水同様に出、水門御堀へなか川の水さし上りつかへ候付、水戸城下大洪水(明細・・・省略)
久慈川モ大分ニ水出ル。里川ハ不(V)出。
○右之水ハ九日の夜中より出る。
十日の晝時分、仙波(千波湖)、なか川ともに水花。但、十日の辰巳同夜中ハなか川猶水出、晝にハ三尺90.9cm)ほど高く有(V)之、同夜の内に此水に落候由。十三四日まで所により水湛候也。
○御城下 洪水により被害多い(明細省略)
一、 ・・・ 十三日の夜中より、土浦ハ大きに水まし一圓に通り候事不(V)成候よし。・・・・
○右之外那須領ノいかりの池(五十里湖)つつミきれ出水、敷ヶ村損亡、死人等大勢有(V)之由也。此池水ゆへ畢竟宇都宮洪水、又御領なか川ノ洪水も有(V)之山也。右之いけハ、三里四方トモ云。
つつミハ、幅十町(1.09㎞)ニ長貮里(7.8㎞)有(V)之とも云。追而説ヲ聞。此いかりの池之事ハ不分明。日光山にならひ高原山有。此両山ノ後ノ中段ニいかり池、なか川へハ十里ほどもへだつ。・・・

いかりの池は、色々調べた結果、五十里湖であることがわかった。
8月の大雨によって、1683年(天和8年) 9月に発生した日光大地震により
鬼怒川支流の男鹿川が土砂で堰き止められ、天然ダムの「五十里湖」が形成された。
堰き止め部分の土砂(幅1.09㎞・長さ7.8㎞)が崩落し、下流の宇都宮まで押し寄せた水によって多くの命が失われた(死者1200人)という。

鬼怒川では、茨城県常総市三坂町付近東側の堤防が2015年9月10日午後0時50分、延長200mにわたって決壊した。

先人が書いた資料をもっと早くブログに掲載すれば、被害がもう少し軽減されたのか

深く反省しています。


鬼怒川の大洪水大変貴重な資料であることがわかった。
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今から 二百九十二年前 享保八年八月の台風 Ⅳ

2015-12-29 15:36:35 | 天気
今から 二百九十二年前 享保八年八月の台風 Ⅳ

2015年12月29日 火曜日 天気 晴 風強い 寒

「享保日記」享保八年癸卯八月

鬼怒川大洪水の継承

なか川(那珂川)大洪水。凡御代始り無(V)之洪水也。佐竹殿御國替之節洪水有り(慶長7年1602)。此度ノ水ニ一尺(30.3cm)ほどひき候有(V)之と雜説有り。誰の記録に有候か不(V)知、右之沙汰也。下町中水の不(V)入所ハ少々にて、多くハ水入、所により床ノ上へ六尺(181.8cm)、七尺(212.1cm)、其餘も有り。此外ゑん下迄上り候事。なか川の水、石垣橋ヲさし上、橋の下わづか壹尺計すき候事。
○仙波の水同様に出、水門御堀へなか川の水さし上りつかへ候付、水戸城下大洪水(明細・・・省略)
久慈川モ大分ニ水出ル。里川ハ不(V)出。
○右之水ハ九日の夜中より出る。十日の晝時分、仙波(千波湖)、なか川ともに水花。但、十日の辰巳同夜中ハなか川猶水出、晝にハ三尺90.9cm)ほど高く有(V)之、同夜の内に此水に落候由。十三四日まで所により水湛候也。
○御城下 洪水により被害多い(明細省略)
一、 ・・・ 十三日の夜中より、土浦ハ大きに水まし一圓に通り候事不(V)成候よし。・・・・


右之外那須領ノいかりの池(五十里湖)つつミきれ出水、敷ヶ村損亡、死人等大勢有(V)之由也。此池水ゆへ畢竟
宇都宮洪水、又御領なか川ノ洪水も有(V)之山也。右之いけハ、三里四方トモ云。
つつミハ、幅十町(1.09㎞)ニ長貮里(7.8㎞)有(V)之とも云。
追而説ヲ聞。此いかりの池之事ハ不分明。
日光山にならひ高原山有。此両山ノ後ノ中段ニいかり池、なか川へハ十里ほどもへだつ。・・・


いかりの池は、色々調べた結果、五十里湖であることがわかった。
8月の大雨によって、1683年(天和8年) 9月に発生した日光大地震により
鬼怒川支流の男鹿川が土砂で堰き止められ、天然ダムの「五十里湖」が形成された。
堰き止め部分の土砂(幅1.09㎞・長さ7.8㎞)が崩落し、下流の宇都宮まで押し寄せた水によって多くの命が失われた(死者1200人)という。

鬼怒川の大洪水大変貴重な資料であることがわかった。
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