先日、自然薯を買いに行った東小泉駅の近くからの帰り、40数年ぶりに利根川の畔に立つ。
東武仙谷河岸線の終点辺り。 初めて行ったときは館林駅から電車で行った。
途中で貨物列車と交換した記憶。
実は館林ー太田間は本線が大回りして支線の小泉線が近道、貨物列車はこっち経由だった。
この時、仙石河岸線はすでに廃止されていた。
線路は撤去されていたが、まだ終点付近のヤードは雰囲気を残していた。
西小泉から3Kmくらい先だったか。
もう記憶がかなり薄れている。 こんな駅ではなかった。
終点付近、川べりにでかいヤードが有ってベルトコンベアで砕石を積む建物があった。
利根川に桟橋は作られておらず、船への積み込み設備はなかった。
もしかしたらその辺は既に撤去されていたのかもしれない。
どこかにネガがあるだろうけれど探す元気もない。
現在線路跡は遊歩道と公園に。 ヤードは野球場に。
今でも線路跡を辿って行けるし散策コースとして整備されている。
上の地図の右上から左下に抜ける赤線が線路跡。
真ん中のパナソニック工場はそのころは三洋電機の工場だった。
ここ数日コロナのクラスターという事で大変なことに。
終点の野球場から道路を渡り、土手に。
橋脚が一基野ざらしになって残っている。
突貫工事で作った反対岸の東武熊谷線とこちら側の西小泉を結び、軍需工場への資材、労働者の送り込みを担う線として計画され、橋脚を作った時点で敗戦。
説明文には妻沼から続く橋脚が写っている。
初めて行ったときにはまだ5,6基残ってたと思う。
その後すぐに、川の中のものは全て撤去されている。
大体、熊谷線自体電化されることもなく、83年に廃止されている。
熊谷線は戦時中は軍需工場の関係者しか乗れなかったと妻沼で古老から聞いたことがある。
駅からバスで工場に送り込んでいたらしい。
40数年前の帰りは刀水橋を渡り、土手沿いに妻沼まで歩いた。
意外と近かった思い出ではあるが今なら絶対やらないだろう。
熊谷まで気動車だった。 こちらもこの時、初めて乗った。
その後廃止前に熊谷線は2度ほど訪ねたが、仙谷河岸には行くチャンスはなかった。
たぶん、初回の訪問でそれほどの魅力を感じていなかったのだろう