取り付け方には順番があります。
連結面側への動力軸をいったん外し、すき間に差し込むように床下器具板を取り付け、動力軸を再び連結します。
モーターを1mm下げていましたので干渉はありません。
しかし、この高さだとモーター下部が床下器具より低くなり、横から見えてしまい、すこしばかりみっともないので0.5mmに変更しました。
この高さでも大丈夫、横から見える所も減っています。
でもここまでやるのなら、そのまま床下器具取付板を切断して3枚におろし、タンクの横あたりにネジ穴開けて、左右の器具板を独立させたしまった方が良い気がします。
それならばモーターも浮かさなくて良いし。
現状はアイデア倒れだったかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/80/d6b6fda78e632c44d0e82e15d16469f0.jpg)
一部の取付用のネジを皿ネジにしています。
連結面にはカプラーをつけています。
運転台側のカプラーは42番を予定しています。 手持ちが切れていますのでそのうちに買ってきます。
ハイトゲージで高さを合わせないと。
以下キハ55の思い出話でも。
東北の急行にはキハ55が1、2両入っていたような気がします。
初めて訪れた龍が森へ8620を撮りに行った時の普通列車はキハユニ26、キハ55、キハ55の3連でした。 これが初めて乗ったキハ55。 そして初めて見たキハユニ26。
あれから40年経ってしまいました。 駅名も変わっちゃたし。
模型で再現したい編成ですので近いうちに整備を。一般色と急行色の連結が妙に嬉しかった。
そういえば、この列車、盛岡から客車の後ろにぶら下がって好摩まで来ました。
花輪線で大更から松尾鉱山への私鉄に乗り入れていたのはキハ52。
松尾鉱山まではクモハ20に併結でした。
線内はたぶん電車に牽引されていましたが、ずっとエンジンを回していたのは電灯や扇風機のためですかね。
終点の松尾鉱山にいた電機は秩父鉄道に売却しています。
訪問した翌年か翌々年ぐらいに廃止されました。
鉱山で採掘していたのは硫黄。
そのころから硫黄は原油精製時に副産物として出来るものに置き換わっています。
なにせ、こちらの硫黄は置いておく場所がないので、安価に引き取ってもらっています。
しかもピュアだし。
石油使用量が爆発的に増え、産業構造が変わって行ったころですので、立ち行かなくなったのでしょう。