午前中は岩井敏明先生の「小野小町」(古今集)の講義です
①六歌仙
「古今和歌集」の紀貫之の仮名序による六歌仙の紹介(批評)
僧正遍昭:「歌の様は得たれどもまこと少なし」と厳しい見方をしている
在原業平:「その心余りて言葉たらず」
文屋康秀:「言葉はたくみにて そのさま身におはず」(言葉と歌のスタイルが一致しない)
僧喜撰:「言葉かすかにして 初め終はり確かならず」(残っている歌が少ない、なんで六歌仙に選ばれたのか)
小野小町:「いにしへの衣通姫の流なり。あはれなるやうにて強からず」(歌のスタイルが美しい)
大友黒主:「そのさまいやし」(あまり高尚ではない)ちなみに小倉百人一首には選ばれていない
②小野小町の年代と出自
小野篁〈おののたかむら〉の孫娘説、小野良真の娘とも?
出自の諸説 参照:熊谷直春「小野小町の真実」
⑴采女説
⑵常寧殿(后町)に仕えた女房
⑶「厨町」で起居した女官
⑷仁明天皇の更衣、小野吉子またはその妹
⑸小野氏の氏女
⑹外命婦〈げみょうぶ〉(五位以下の官人の妻)小野貞樹の妻?
③小野氏と和珥氏〈わにし〉
小野氏は古代の豪族。和珥(わに)氏の同族。《古事記》の氏族系譜によれば孝昭天皇の皇子天押帯日子(あめのおしたらしひこ)命を始祖とする。天武朝の八色(やくさ)の姓で臣から朝臣となった。和珥氏同族の本拠である大和の添上郡(奈良市南東部)や,山城の愛宕郡小野郷(京都市左京区),宇治郡小野郷(京都市山科区)に勢力をもった。また近江の滋賀郡小野村(滋賀県志賀町)は氏の起こる所と伝え,氏神の小野神社があり,平安初期には同族の粟田氏,大春日氏,布瑠(ふる)氏も氏神として崇拝していた。
④小野氏の人々
小野小町のほかに歴史上に出てくる主な小野姓の人々
小野妹子・小野毛人(妹子の子)・小野篁 など
午後からは第3回ルーム講座でした。
摂津市保健福祉課 小林保健師による生活習慣病の予防についての講座です。
健診の目的は動脈硬化の予防であり、高血圧や糖尿病の予防のための食事・運動の方法などについて約1時間にわたり講習してくださいました。
三種の神器(腎臓・心臓・脳)は特に重要である旨説明し、「手ばかり栄養法」といったわかりやすい図で解説を受けました。
てきぱきとしたわかりやすい話ぶりで、面白くかつためになるルーム講座でした。