高田馬場1丁目から狭山市北入曽へのブログ

2017年8月1日に高田馬場1丁目から狭山市北入曽へ越しました。

オレは二代目ノラ

2020-09-17 14:45:05 | とかくこの世は

オレはネコだ。ノラだから名前なんかあるはずもない。生まれつきのノラでもないらしい。きっと良い処で生まれたと云われている。顔に気品があるんだと!笑わせるぜ。こうして生きながらえていられるのも、近くのおばさん、おじさんたちがよってたかってエサを持ってきてくれるからだ。最近、我々の集まるところに張り紙が出た。オレは字なんか読めないけど、仲間の言うことにゃ“ここでネコにエサをあげるな!”だって。オレに云わせりゃ、好きで生まれたんじゃねえやい、ってこと。飼い猫が勝手にはらんで、どんどん増えて仕舞いにはほっぽりなげる。身勝手な人間の犠牲になってるんだな、これが。腹いせに徹底してグレてやろうと思ったね。魚屋で平台に並んでる魚を盗ろうと考えた。今、近くに魚屋なんてありゃしねえ。スーパーに行かなきゃだめだってことになって、杖をついているおばあさんの介護をしている飼い猫っていう風を装って行ったけど、魚が裸でいる訳じゃねえから口にくわえるの面倒でしょうがねえ。ところで総理大臣が代わったってね。ノラでもそっちの方に詳しい奴がいるんだよ。オレたちゃ関係ねえちゃ、ねえけど、世の中が不景気になるととばっちりをくうんだ。エサにありつけねえ、ノラが増えて生存競争が激しくなる、みすぼらしい奴が増えてくるとどうしたって気になるわな。人間だって食うに困ったらオレたちのエサを横取りするんだから、困っちまうよ。「フー」って怒ってみせるけど、てんで効果ありゃしねえ。向こうの方は食うや食わずだって喧嘩すりゃやっぱり人間が強い。世の中が平和なら、ネコや犬はノラであろうとなかろうと、“優しくしてあげましょう、困ったら助けてあげましょう、気持ち良く生活できるようにしてあげましょう”とか動物愛護精神を発揮してくれる。だけど人間が大変なんだから、ノラが道ばたに倒れていても知らんぷりなのは当たり前だのクラッカーよ。

 今度のスガちゃん、どうなのかね。やめろ!と言われ続けて7年8ヶ月のアベちゃんの跡を継ぐというから、冗談も休み休み言えだね。そういえばいつもエサを出してくれてる老人夫婦、なんか景気好いみたいだよ。エサはいつも安いアラレみたいなやつで変わらないけど、おかわりって言うと「そうかい、そうかい」って出してくれる。前は「こっちは節約して生活してんだから」って、出してくんなかった。コロナのお陰で、まず国民一人当たり10万円のをもらって、その他に何とか給付金ってもらったらしい。だから機嫌がいいんだよ。人間なんて単純だね、他愛ないね。懐が温かくなると、顔色も変わってくる。これがいつまで続くかね。スガちゃん、静かに暮らせる世の中にしてもらいたいね。ノラネコを代表してエールを送るよ!

 

 


ノラネコと私!

2019-08-27 09:59:07 | とかくこの世は

ノラネコのほうが厳しい現実を生きている。冬は寒い中、エサを求めてはミャーミャー言いながら歩く。夏は暑いさなか毛皮を脱ぐこともならず、ニヤァーニヤァとふらつきながらエサを求めてさ迷う。それに比べて、自分はどうだ! エサを探してさ迷ったことなどないし、今日のねぐらがないという経験もない。酔っ払って電車で終点まで行って、引き返せなくてホームのベンチでゴロ寝なんてことは度々あったが、酒の勢いだからねぐらのない深刻さとはまるで違う。昨今は介抱するふりしてポケットから財布を抜き取られるのだろうが、いい時代なのかのんびりしていたのか財布はちゃんと収まったままだった。早い話が戦後の物のない時代とは言え、気持ちの上では豊かな時を生きてきたから甘えが身についてしまったんだろう。ノラネコの爪の垢でも煎じて飲まなけりゃならないくらいだ。

昭和22年2月の生まれである。父親は戦後間もなく中国に抑留されて21年5月末に佐世保港に帰還した。それから福島県の会津に戻ってきて生まれた子だ。よく考えると2月の3日に生まれたのだから、父親が帰ってきて8ヶ月の子だ。今更、母親を疑うなんて下世話な空想はしたくないから、真摯に受け止めようとすれば、8ヶ月の超未熟児だ。食糧事情の乏しい中、2月の厳寒の中、そして病院などない田舎である。想像するだけでも死にたくなるが、いまだに生き続けている。親の話しでは呼吸をしてなかったそうで、駆けつけた医者からも諦めな! と言われたそうだ。ひとから言われると反発するのは自分にも受け継がれているからわかるが、とにかく身体にマッサージを加えて少し温もってくるとこたつの中に入れたそうである。先に入っていたネコは自分より小さな人間が入ってくるのだからびっくりしただろう。その時に場所を譲ってやったかどうかは定かではないが、何年か後のそのネコと自分とのバトルからは譲ってもらったということはありえないように思う。翌朝、こたつをあけて見たらネコと一緒にスヤスヤと寝ていたそうだ。もしかしたらネコが体を寄せて温めてくれていたのかもしれない。そうすると、このネコは命の恩人になる。今思えば頭の皿がカチンカチンに固くなるほど殴って鍛えたことが悔やまれる。そのネコは死んで六十年以上になるが、今度会ったらちゃんと謝っておこう。何とか命はとりとめたものの、身体は小さいし、運動神経はまるでないし、病気がちで、覇気のない子だった。食料のない時代でも田舎だったのでそれなりに食べ物はあったが、やっぱり栄養不足だった。それでも死なずに生きているのは誰のせいだろう。親のおかげ? ネコのおかげ? それとも生まれ持った運の強さ? かな。だから今でも病院の匂いは好きだし、線香の匂いも好き、お墓へ行くと心が休まる。それらには、まんざら他人とは思えない心地よさを感じている。

 夕陽が泣いている!


オレは猫だっ! Ⅱ

2019-08-16 09:26:15 | とかくこの世は

オレはまだ生きている。毎日毎日エサを探し歩いて、エサにありついて「ほっ」として夜は寝る。寄る年波には勝てない。暗くなると眠くてどうしようもない。話し相手がいるわけじゃなし、一家団らんなんてのにはほど遠い。もっとも家に飼われているネコなんて碌なもんじゃねえとバカにしてた。そう思ってもやっぱり身寄りがないっていう辛さを感じる時もたまニャあるんだ。つくづく野良ネコの悲哀を感じるね。それでも生きてる。ネコは自殺なんかできないからな。ネコが自殺したなんて聞いたことないだろ、そんなネコがいたら尊敬しちゃう。この間、自動車に轢かれたのを目撃したんだよ。自動車はそのまま行っちゃったけど、轢かれたネコは道路の真ん中でヒクヒクしてる。危ないから道路の脇に運んでやりたかったけど、オレにはそんな力がないし、「あっしには関わりのないことでござんす」っていう木枯紋次郎だから…。そのあとに一台の自動車が通りかかって、瀕死のネコの前でピタリと止まった。てっきりその若い男の運転手が移動してくれるのかなと思ったらそのまま動かない。もう固まって動かないんだ。すると散歩の帰りかなんかのヒマそうな爺さんが通りかかって、そのネコを運んだね。そしたら安心したのかそのネコは死んじまった。爺さんは棺桶代わりの段ボールに入れて、家の前に「ネコの棺桶」って書いておいといたら、役所から引き取りにきた。後から考えると、自分から自動車に飛び込んだのかもしれないね。人間は年に3万人近くが自殺してるんだって、ネコに伝染しちゃったのかな。いくら人間と同じネコになりたいっても、そんなバカなネコはいないと思うけどな。だいたいネコは絶望したり世をはかなんだりしないし、逆にいつも前向きだし昔のことを覚えていたりしない。まあ、のんきといえばのんきだね。

さてと、エサをあさりに行くかな。最近歯が弱ってせんべいみたいな硬いエサは食えないんだよ。どうしようもなくてたまに前にエサを出してもらったところへ行くんだけど、相変わらずその硬いエサを出す。食わないで帰ると「あら、ウチのエサは食わないんだね」って言うから、「食わないんじゃなくて、食えないんだよ」っても通じない。「いいよ、分かったよ、もっと旨いエサを出してくれるところへいきな」という。なんでわかんないのかな。人間って、年をとると考えることに余裕がなくなるんだね。ネコの気持ちをおもんばかるっていう想像力もなくなってる。最近、そういう人間が多くなっているよ。少なくとも、我々ネコにも分け隔てなく接してもらいたいね。そしたらネコと人間が中心の新しい世界が出来るような気がするんだ。それには人間もネコ並みに利口になってもらいたいニャア。


オレは猫だーっ

2019-03-12 15:03:36 | 近況

オレは猫だ。名前なんかあるわけがない。ときどきを餌をくれる老人たちがいる。オレのことを「タマ」とか「シロ」とか言うが、たぶん前に飼っていた奴の名前なんだろうな。そういえば「ポチ」っていうのもいた。犬じゃねえのにな。たぶん前に犬を飼っていたけど、そいつが死んじまって、今も忘れられねんで犬の名前を呼ぶんだろな。この爺さんの分身だったんだろな。オレも情にほだされっちまうところがあるからつい「ワン」って言いたくなるんだよ。それで「ニャン」とも「ワン」ともつかねえ「ニャワン」って言ったんだよ。そしたらその爺さん何て言ったと思う。この猫、気持ち悪いだって、化け物だとも言ったよな。良かれとしたことが、そうじゃねえことが世の中にはいっぱいあるんだよ。あの爺さんも感情の機微ってのを知らねえんじゃないかな。いい歳して子供みたいなこと言ってどうすんだよ。まあ、ああこういう手合いにはあまり係わらねえようにしてるんだよ。さてと、まず餌を調達しなきゃならねんだ。いつも出してくれるところに顔をだすか。冬だっていうのに今も網戸を出してる。それがオレには都合いいんだけどね。その網戸に両手の爪でひっかくんだよ。すると中から出てきて「今日も来たのかい」とか何とか言いながら餌を出してくれる。自慢じゃないけど、餌の皿はオレ専用なんだよ。何でも趣味で陶芸をやってて、何回やってもうまくできないってこぼしてるからオレが使ってやってるっていうわけ。餌を食っちまったら用はないんだけど、オレのことじーっと見つめるんで、勢いっぽいのオレなりの愛想を笑いをしてやるんだ。すると「満足したかい、またお出で」って言うんだよ。オレだって、こんな煎餅みたいな餌じゃなくて缶詰の高級キャットフードを出してくれるところがあればそっちに行っちまうんだけど、今日はあいにくと、缶詰おばさんがいなかったから、この煎餅おばさんとこへ来たっていうわけ。オレだって必死なんだ。食い物にありつけないと、すきっ腹抱えて夜を明かすことになる。それは辛いもんだよ。よく今まで死なずに生きて来たと思うよ。これからも艱難辛苦あるけれど、オレはオレなりの生涯を全うするしかねえんだよ。オレよりももっと辛い思いしてる人がいるんだってね。猫仲間に聞いたんだけど、8年前の東日本大震災とか九州とか中国地方とか地震とか水害で大変なんだってね。「オリンピック」ところじゃねえって言ってたよ。それにしても大変だ。

 


高田馬場から北入曽

2017-09-07 09:30:24 | 近況

仕事場を高田馬場1丁目から狭山市北入曽へ7月末に越してきました。馬場から電車で約45分。この45分がとてつもない距離を感じます。あと3つ先の駅が川越です。今や通勤圏になります。朝の電車は座って来れます。帰りの電車は途中から座れます。朝はまだ寝ぼけ眼で、帰りはぐったりした身体で、行きも帰りも座席に座って眠れます。たまたま座れない不幸に見舞われた時も、つり革にぶら下がって眠ることができます。日中、少しでも眠ると元気が回復します。遠くから通勤する人たちは、だから元気なんです。新天地での仕事は何故か落ち着かないです。朝、昼、夜と真上を自衛隊機が飛んでいます。日毎に飛び交う飛行機が多くなっています。これも北朝鮮のせいなんでしょうか。10年以上前、自衛隊機が入間川に墜落した事故がありました。この時は数時間に渡って狭山市は停電になりました。墜落の時に送電線を切断したからです。墜落する際にパイロットは市中に落ちると甚大な被害が出るので入間川に向かったそうです。だから停電ぐらいの被害で済んだんですね。多分、そのパイロットは死亡したと記憶しています。あとは至って静かです。時折、市の広報がスピーカーから流れてきます。市の行事とか防災関連の案内などです。最近多いのは尋ね人案内と身元不明者発見のお知らせです。また豆腐売がやってきます。昔ながらのラッパを吹きながら、若い男性が「とーふぃー、とーふぃー」とラッパの音に合わせて声を出して自転車を漕いでいます。も少し落ち着いたら地元に密着したここをしたいと思っています。もう故郷はここしかないので〜。(写真は自衛隊機)