高田馬場1丁目から狭山市北入曽へのブログ

2017年8月1日に高田馬場1丁目から狭山市北入曽へ越しました。

桜咲きました

2017-04-04 17:34:17 | 日記

遅まきながら桜が咲きました                                  

 桜の開花宣言が3月22日、それを待っていたように寒い日が続いて桜はつぼみのまま硬直してしまいました。そして4月に入って春らしくなると、ゲートが開かれた馬が飛び出すように一斉に桜が咲き始めました。「桜なんてものはパッと咲いてパッと散るからいいんだよ、これがいつまでも咲いててごらんよ、いつが春なんだかわからなくならあな」という落語のように日本人には心に響いてくるもんなんですね。忠臣蔵の討ち入りは12月14日ですが、その原因となる浅野内匠頭の切腹が3月です。映画や芝居で、桜舞い散る中での切腹は絵になりますね。

新河岸川 

 さて4月2日に埼玉県川越市の新河岸川沿いの桜は川にしなだれかかるように咲いています。まだ三部咲きといった程度でしょうか。しかし待ちきれなかった人たちで賑わっていました。宴会を開いている人もいます。そんな客を当て込んでの露店も出ています。人が集まるところには商店が自然発生します。しかし人がいないところには店ではなくて、猪や猿やタヌキたちが山から下りてきて人の家に入り込んでいます。原発事故で避難していた人たちが、6年も経って避難解除になったから戻れと言われて、はいそうですかと簡単には言えません。そんな事情も知らないで、忖度もできない人間は顔を洗って出直したほうがいいですね。

 4月4日の狭山市の不老川の桜です。まだ満開とはいきませんが、やっと咲いてもいいのかなと問いかけをしているようです。

     

同じ日の高田馬場の戸山公園はかなり咲き誇っていました。ここは走り回る子供たちの声や昼間から宴会で楽しんでいる人たちでにぎわっていました。

 桜が咲くころは、黒い上下のスーツを身にまとった女性や紺のスーツの男性の新入社員が徒党を組んで街中に輩出してきます。こんな風景も桜とは無縁ではないようです。桜が散って1カ月もすると会社を辞める新入社員がいるそうです。希望に満ちて入った会社が実際は違うということはよくあることで、そこで辞めるか辞めないかが思案のしどころだろうと思います。誰でもが希望の持てる世の中になってもらいたいですね。せつに子供たちの未来にそれを祈ります。


拝啓 鳥越俊太郎様

2016-07-26 17:23:05 | とかくこの世は

拝啓 鳥越俊太郎様

 東京都知事選は自民党候補は票が割れて、断トツで貴殿が当選すると思っていたのが25日現在で小池、増田両候補を追いかけているといいます。

 いま、自民党に勝たせてはダメなんです。安倍政権から今日まで何もいいことはなかった。金持ちにとっては良いことづくめだったかもしれないけれど、99%の金持ち以外には福祉は削られ、生活は苦しくなる、子供たちの学ぶ環境も悪くなる一方で何もいいことがなく、ますます追い込まれているのが実情です。先の参議院選挙に続いてまた自民党に勝たせてしまったら真っ暗闇です。若者は未来への希望は閉ざされ、目先の生活に追われ、借金取りから逃げまわり、強盗をしてでも借金を返そうとする。それが強盗殺人などの凶悪犯罪につながっていきます。そんな凶悪犯を捕まえてみれば普通の若者であったり、気弱ないじめられっ子であったり、見るからに哀れをもよおすようなものたちです。一方、死にたいけど自分で死ねないから国に殺してもらおうと、大量殺人を犯してしまう。そんな社会は断ち切らなければいけません。だから自民党に勝たせてはダメなんです。

 鳥越さんの陣営は準備期間が少なかったせいもあるんだろうけど、自民党の二候補ほどには確固としたアピールが見えてきません。「NHKをぶっ壊す」というだけの候補者もいますが、インパクトはあります。元労働大臣は東京オリンピックを適正な予算立てをして元総理大臣の組織委会長を退陣させるといい、横田基地を返還させるとか、的を絞った訴えははっきりしていて、共感できるかどうかは別にしてもその言葉は脳裏に響いてきます。

 鳥越陣営は野党共闘にしては迫力が乏しい。クリーンさや真面目さを訴えるのはどこの陣営でもやっていることだから新味はありません。この際、思い切った訴えをすべきではないでしょうか。東京オリンピックの返上、築地市場移転の見直し、小中高学校の無料化など、今困っている人たちの言葉を代弁して実現させることが第一ではないでしょうか。自民党の二候補には絶対に負けないでください。節にお願いいたします。

 


今日このごろ

2016-07-13 11:03:56 | とかくこの世は

 選挙が終わった。終わってみれば自公の圧勝で国民は与党を支持したということになろうか。54.7%の投票率は戦後4番目に低かったということで、組織ぐるみの候補者が強い。自民党の政治のせの字も知らないタレント議員が軒並み当選して、真面目に政治を語り公約こを掲げたのが落選している。7月7日の七夕の日に品川駅まで三宅洋平の演説を聞きに行った。ほとんどがボランティアというがその熱気には圧倒された。三宅洋平の演説は誰もが納得するし、共感も得られる内容ばかりだった。その場にいた人たちは当選を確信していたはずだが、結局は9番目で落選。憲法改定に危機感を抱いて政党を立ち上げ自らも立候補した小林節も落選した。まともな議論やまともな意見が通らなくなってしまったかのようなニッポン。その大半の罪は、参議院選挙の報道を避けたマスコミにある。現政権になってからの劣化は著しい。サメの脳ミソどころではなく、全く思考を止めた知性のかけらもない者たちによって従事られている。

 近所の川には鴨が気持ちよさそうに羽根を休めていた。鴨たちにとって政治も経済も関係ないから年金の心配もない。心配なのは今日の餌とその餌が汚染されてないかだけだ。人間ほどには長生きしないから、汚染されたものを食べようがあまり気にしない。その鴨を食おうとする人間が蝕まれることになるから心配になる。空を飛び回り夜になったらねぐらに帰り、雛たちと今日のことを語り合う。のどかな生活を見るようだ。今度、生まれ変われるなら鴨がいいかもしれない。

  


狭山市の不老川

2014-06-05 11:48:40 | とかくこの世は

狭山市の東南を流れる不老川。10数年前はゴミと臭気漂い、土手の茂みに隠れて川面が見えなかった不老川が地元住民の運動により大々的な清浄作業が行われ、そのおかげで水は澄み、鯉などの川魚が住むようになりました。季節ごとに渡り鳥が舞い、土手の草木は息を吹き返して青々としています。この間、澄み切った水が茶色に濁っていました。魚の姿も見えません。鳥は水に浸かろうとせず、水面から顔を出している岩の上に乗って休息しています。上流で汚水を流したのかなと思ったので辿って行きましたが、このところの急な気温の上昇で水中のバクテリアが繁殖したのかも知れません。

 

上の写真は大分元に戻った状態です。また魚や鳥たちが優雅に踊り待っています。

自然は元に戻そうとする力が働くようです。人間も自然の一員として病気になったり怪我をしても自然に治癒することも少なくありません。自然の感知するところではない、人間が恣意的に行われる事柄はなかなか元には戻りにくいものです。自然の一員として我々人間は逆らっちゃいけませんね。突然、税金を上げたり年金額を下げたり支給年齢を上げたり、政府のやることは自然の摂理に逆らっています。必ずこの報いがあるはずです。その時に後悔しても始まらないのです。100年先の年金計画を練る前に、今現実の失われた年金を元に戻すとか、国民の年金を自分の財布と同じように浪費した役人や政治家とそれに群がった亡者どもを捕まえて、弁償させるか強制労働をさせるとかしないといつまでも続きますよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


とかくに人の世はすみにくい

2014-04-15 15:41:25 | 日記

山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると安い所へ引っ越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。(夏目漱石「草枕」)

ということで、12日に栃木県の三毳山へ行ってきました。山道を登ること40分。頂上とおぼしき着いたところがアスファルトばりの自動車道。車は走ってなかったものの、何でこんなに苦労して山道を歩いてきたのかと思うと、涙も出ません。時間に間に合うように急いで映画館に入ったものの1週間前に見た映画だったのと同じような感じがして、つい「金返せ!」と怒鳴りたくなりました。よく確かめもしないで先走りするから、こんな目に遭った責任は自分にあるのに。

 

    

みかも山公園の頂上付近から撮った桜

 

みかも山公園へ行く前に酒屋に寄ったところ、たまたま「飛露喜」が置いてあったので買いました。その酒屋は佐野駅の近くにある店です。食事をしたところに「飛露喜」が置いてあったので、飲もうと思ったのですが車の運転をしていたので断念して、どこで売っているのか教えてもらいました。方向音痴ながらも酒屋を探しあて、飛露喜を数本買って帰りました。友人知人に勧めるとあっという間になくなってしまい、飲ませがいがないので、ひっそりと自分一人で飲んでいました。その酒の味が忘れられないとやってくるのがいて、また一緒に飲みながら簡単に買うことが出来ないことを嘆き憂いたものです。それからその店でも買えなくりました。あれから数年、やっと巡り会えたのです。それが証拠の写真です。