ブックレビューより 少年ジョニーの人生はある事件を境に一変した。優しい両親と瓜二つのふたごの妹アリッサと平穏に暮らす幸福の日々が、妹の誘拐によって突如失われたのだ。事件後まもなく父が謎の失踪を遂げ、母は薬物に溺れるように…。少年の家族は完全に崩壊した。だが彼はくじけない。家族の再生をただひたすら信じ、親友と共に妹の行方を探し続ける―早川書房創立65周年&ハヤカワ文庫40周年記念作品。英国推理作家協会賞受賞。
〈読書に淫する)という言葉通り読み耽ってしまいました。尾瀬へ行く移動中飛行機やJRの中で読もうと久しぶりにミステリー物を持っていったのが間違いの始まりです。久しぶりに上下と目に悪い文庫本を読破して目が悲鳴をあげています。
ミステリーものですが、そこには伏線としてアメリカの崩壊した家族が描かれていました。父は失踪し母は娘を失った悲しみを忘れる為に薬物依存!ジョニーは健気に家族再生を願う立派な少年でした。母親をかばい、彼女の世話をし学校へ行かず、進展しない捜索を一年近く自らやり続けているのです。子供が小さい頃、外国文学や児童書、映画に登場する子供たちは、息子達と比較して何てしっかりしているのだろうと臍を噛む思いでした。でも、両親を守らなければならない現状が彼らをそうさせていたのだと今は考えられるのです。永遠に続くと思われた育児にいらいらしながら終わるのを待っていた新米母でしたが、子供たちが大学を卒業し無事に社会人としてやれてる今、充分な子供時代を送らせてあげて本当に良かったと思えています。
(丹沢山系)→
江戸時代それ以前に日本を訪れた外国人の複数が『類稀なる子供を守り育てる国』だと紹介しています。子殺しや親殺しが報道されるたびに、今先人が日本を訪れたら同様の感想を持ってもらえるのかと疑問です。
太宰が水商売風の女性と玉川上水道で入水自殺をしたという認識は間違いだったと気付かされた本でした。心中相手の山崎富江さんは語学にも堪能な美容師であり、しかも夫は三井物産に勤務する有能な男性で、婚礼後わずか10日でマニラへ単身赴任しそこで彼は戦死を遂げました。彼女はうら若き未亡人だったのです。
富江さんの父晴弘はお茶ノ水美容洋裁学校を創設した人で、これからの女性は仕事を持つべきだと自ら熱心に指導し、自分の娘富江にも技術を伝授しています。富江さんは卒業後、美容学校で指導者となり、東京や鎌倉で腕の良い美容師として評判を取っている女性でした。
なぜその富江さんが女給まがいに(差別的ですが当時の新聞記事のまま)おとしめられて報道されたのかが、富江さんの綴られた日記などを取材して執筆されています。
読み終えると、富江さんの小説でありながら、本当の主人公は父親の晴弘だったように思えて仕方がありません。
彼は他にも娘や息子を戦争でなくし、太宰を自殺にそそのかせた娘の父親として汚名を着せられその後の人生を歩みました。津島家と美知子夫人に遠慮して墓に富江さんの名前が刻まれたのはだいぶ後になってからです。
〈読書に淫する)という言葉通り読み耽ってしまいました。尾瀬へ行く移動中飛行機やJRの中で読もうと久しぶりにミステリー物を持っていったのが間違いの始まりです。久しぶりに上下と目に悪い文庫本を読破して目が悲鳴をあげています。
ミステリーものですが、そこには伏線としてアメリカの崩壊した家族が描かれていました。父は失踪し母は娘を失った悲しみを忘れる為に薬物依存!ジョニーは健気に家族再生を願う立派な少年でした。母親をかばい、彼女の世話をし学校へ行かず、進展しない捜索を一年近く自らやり続けているのです。子供が小さい頃、外国文学や児童書、映画に登場する子供たちは、息子達と比較して何てしっかりしているのだろうと臍を噛む思いでした。でも、両親を守らなければならない現状が彼らをそうさせていたのだと今は考えられるのです。永遠に続くと思われた育児にいらいらしながら終わるのを待っていた新米母でしたが、子供たちが大学を卒業し無事に社会人としてやれてる今、充分な子供時代を送らせてあげて本当に良かったと思えています。
(丹沢山系)→
江戸時代それ以前に日本を訪れた外国人の複数が『類稀なる子供を守り育てる国』だと紹介しています。子殺しや親殺しが報道されるたびに、今先人が日本を訪れたら同様の感想を持ってもらえるのかと疑問です。
太宰が水商売風の女性と玉川上水道で入水自殺をしたという認識は間違いだったと気付かされた本でした。心中相手の山崎富江さんは語学にも堪能な美容師であり、しかも夫は三井物産に勤務する有能な男性で、婚礼後わずか10日でマニラへ単身赴任しそこで彼は戦死を遂げました。彼女はうら若き未亡人だったのです。
富江さんの父晴弘はお茶ノ水美容洋裁学校を創設した人で、これからの女性は仕事を持つべきだと自ら熱心に指導し、自分の娘富江にも技術を伝授しています。富江さんは卒業後、美容学校で指導者となり、東京や鎌倉で腕の良い美容師として評判を取っている女性でした。
なぜその富江さんが女給まがいに(差別的ですが当時の新聞記事のまま)おとしめられて報道されたのかが、富江さんの綴られた日記などを取材して執筆されています。
読み終えると、富江さんの小説でありながら、本当の主人公は父親の晴弘だったように思えて仕方がありません。
彼は他にも娘や息子を戦争でなくし、太宰を自殺にそそのかせた娘の父親として汚名を着せられその後の人生を歩みました。津島家と美知子夫人に遠慮して墓に富江さんの名前が刻まれたのはだいぶ後になってからです。