Joyeux Balletからのお知らせ

レッスンスケジュールのお知らせとバレエ上達のヒントなど


ソ連へ行った話 1 モスクワ

2022-03-04 15:05:00 | Weblog
10歳のときにボリショイバレエ団の日本公演を観に行ったら
当時ボリショイの名花と言われていたマイヤ・プリセツカヤの『瀕死の白鳥』が大トリで
私は彼女の白鳥に魅了されて
ロシアのバレエが大好きになった





身の程知らずにもソ連にバレエ留学したいとまで考えるようになったが
特別なコネクションのあるバレエの先生の娘さんくらいしか
それも長くても2〜3週間程度しかソ連でバレエを学ぶことは許されない時代であった。






母はなぜか、私の海外留学に積極的で
ソ連が無理でもアメリカならと
アメリカ大使館まで調べに行って
いくつかの可能性を提示してきた。
しかし、私はあくまでもロシアバレエがやりたくて触手が動かなかったのと
英語が好きではなくて(今のように中学校にネイティブの先生などいなくて、ジャパニーズイングリッシュを聞くのがイヤだった)





結局母から
県立高校に合格したら、ソ連への短期留学ツアーに行かせてあげる!
と、言われ
県立高校に入学→卒業😂





それから数年かかったが
母は有言実行で
私はソ連へ約3週間
短期留学ツアーへ行くことになった。





ベラルーシの首都ミンスクの国立劇場附属バレエ学校でレッスン後
バルト三国のリトアニアの首都ビリニュスの国立オペラ劇場バレエ団でのレッスン
最後にモスクワダンチェンコ劇場でレッスン
合間にバレエ鑑賞
サーカス
美術館などの観光
現地の方々との交流などなど盛り沢山な内容






箱崎シティエアターミナルに集合したら
下は小6から上はすでに先生をしている方まで+付き添いの先生や添乗員さんやらで
総勢30名くらい
私は恩師の紹介で単身乗り込み
初対面の人ばかりの中で成田からアエロフロート直行便でモスクワへ





今はモスクワの空港も増えたみたいだけど
シェレメーチボ2だったかな?
国際線専用の空港に到着した。
独特なタバコの匂いのする空港だった

そこからバスでホテルへ(どこのホテルかは覚えてない)
夕食だけ食べて再びバスに乗せられて
夜行列車の出発する駅へ到着






4人用のコンパートメントに2人ずつで(みんな大きなスーツケース持ってたからね)
人生初の夜行寝台に乗ってミンスクへ
なぜかコンパートメントでは紅茶が無料だった(私はコーヒー派)






このときはまだ各共和国は独立しておらず
ぜーんぶソ連…ロシア語でCCCP(エスエスエスエル)であった。
まだゴルバチョフ氏が書記長の頃だった。

つづく…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする