前回のお話
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夜行寝台列車に揺られて10数時間後
ミンスクに到着
バスでホテルへと移動
ホテルは2人部屋でルームメイトは某バレエ団の団員で付属バレエ学校で教えている先生…大先輩だった(コンパートメントも同室)
モスクワからはドイツ系ロシア人の通訳さんも合流
レーナさんという方
ホテル到着後すぐに民謡の練習があった
持ち物に浴衣が指定されていて
浴衣を来て日本の踊りを見せる機会が2回あって
同室の先生はメンバーにはなっていなかったが、若輩者の私はメンバーに入っていた。
2曲の振りをすぐに覚えなくてはならなかった
1曲めは何の曲か覚えてないけど2曲めは花笠音頭だった。
翌日ベラルーシの民族舞踊団の公演に特別ゲストのような形で舞台に出た寄せ集めの日本の子供たち(一部は成人)
プロ集団の公演で踊るにはあまりにもお粗末であった
ミンスクでのスケジュール
朝食後毎日日替わりで
観光 美術館や遺跡
舞台鑑賞
ピオネール宮殿訪問=ソ連における子供たちの課外活動施設(ここでもなんちゃって日本舞踊披露)
バレエ団のレッスン、リハ見学
バレエ学校レッスン見学
幼稚園訪問
学校訪問
昼食
レッスン→これは毎日
フリータイム
バレエ鑑賞
サーカス
夕食
フリータイム
就寝
両替はホテルで出来たし
すぐ近くにベリョースカと呼ばれる外国人専用の免税店があった。
水は水道水を飲んで大丈夫と言われたので
ジュースやお菓子を買いに行っていた。
当時のソ連は日本円で3万円あれば家族4人が普通に暮らせるくらいの物価だったから
私たちはみんなお金持ちだった
食事について
朝食:パン(白パンと黒パンがテーブルに山盛り)
ハム、ソーセージなど
野菜は少なくてサラダはだいたい1種類の野菜しかなかった。
カーシャ(お粥)バターがのっていて、ロシア人は砂糖をかけて食べるらしいが
日本から持参した、えびすめ(昆布の佃煮)をのせても美味しくいただけました
デザート的にお菓子もテーブルにセットされていて
何度も来ている付き添いの先生方が「これもお土産になるのよ」と毎回部屋に持ち帰っていたので、マネしてみた
飲み物はコーヒーか紅茶
昼食:レッスン前だというのに1日のうちで最もボリューミー
スープ
メインディッシュ(肉か魚に付け合わせ)
サラダ(野菜は少ない)
デザート(主にアイスクリーム)
パン
コーヒーか紅茶
夕食:その日のスケジュールによって先に食事をしてからバレエを観に行ったり
帰って来てから夕食だったりだけど
ボリュームは昼より少なめ
メインディッシュ
サラダ
パン
最後の晩餐だけは豪華だった気がする
前菜
メインディッシュ(特産のキノコ料理)
パン
デザート(スペシャルなアイスクリーム)
このホテルに10日間も滞在する団体はほとんどいないので
ホテル側は食事のメニューに苦慮していたらしい。
みんな肉料理や魚料理に持参した醤油をかけて味変してしのいだ。
キノコのスープやクリーム煮、ボルシーは美味しかった
ボルシー イメージ画像
snap dishさんより拝借いたしました。
ひとりでの外出は禁止されていたけれど
当時ロシア語を勉強していた私は
どうしてもひとりで街に買い物に行きたくて、こっそり決行(良い子はマネしないでね)
パン屋さんへ行って丸い小型のパンを指差して、おばさんに
このパン3個ください
と言ったつもりだったが
なぜか13個渡された
添乗員さんにもバレずに無事ホテルには戻ったけど大量のパンは食べきれず
夕刻サーカスを観に行くバスの中で
近くの席のコたちに配って事なきを得た
パンはほんのり甘くてフワフワで美味しかったけど
ロシア語って難しいね
つづく…