思えば、「新卒一括採用」「企業内教育」「寮社宅」「福利厚生」「労使協議による賃上げ」「解雇制限」などに基づいた「終身雇用制度」は、高度成長期の日本だったからこそ、できたもの。大企業が、決して倒産しなかった時代の、古き良き制度だ。
しかし、今や、日本のどこにも、「終身雇用制度」を、維持できる大企業は、残っていない。
既に、ITやAIにより、労働者の競争条件は、大きく変った。競争に敗れた、たくさんの労働者が、企業内で行き場を失い、弾き出されている。
ところが、そんな現実を、見ようとしない、老いた日本の政治家や経営者は、若かりし頃、彼らが競争を勝ち抜いた、昭和から平成に至る時代の「終身雇用制度」が、今でも維持されていると思い込んでいる。いや、思い込んでいるふりをしているのかもしれない。
だからこそ、労働者の競争条件が、変っているにもかかわらず、「成果が出せない」「努力が足りない」「能力が無い」「歳をとった」などと、労働者を切り捨てて、高い収益を上げる企業が、もて囃されている。労働者にとっては、残酷な世界になってしまった。
頭の中が、昭和の初期設定のまま、全く更新されていない、ゾンビのような老いた政治家や経営者に、「貴方達は、たまたま、運が良かっただけだろう」と、言い返したくなる。時代錯誤の政治家や経営者を、早く世代交代させないと、日本の労働者は、世界一不幸になってしまう。
そもそも、日本は「資本主義国家」。「労働者」は、「資本家」が、効率的にハイ・リターンを得るための道具に過ぎない。資本主義国家には、「公平」はあっても「平等」はない。競争に勝った者は、益々富み、競争に負けた者は、貧困へと落ち込む。
ただ、日本は「民主主義国家」なので、1兆円の純資産を持っている金持ちでも、1円の純資産もない貧乏人でも、選挙では、1票の選挙権しか持てないという「主権者としての平等」が、担保されている。「貧乏人でも、金持ちと平等な、1票の選挙権を持っているのだから、それで我慢しろ」というのが、「資本主義」「民主主義」国家日本なのだ。
「資本主義」という「弱肉強食」だけでは、政情不安となり、国がもたないので、「民主主義」とセットで、庶民を、なだめすかしているのだ。
一方、庶民は、そんなことには無頓着。民主主義の要である選挙にも行かない愚か者ばかり。その結果、時代錯誤の政治家や経営者が跋扈し、やりたい放題。
そんな日本では、「正社員」のような、使い勝手の悪い、高価な道具が、いらなくなるのはあたりまえ。政治家と結託した国家の担い手である「資本家」にとって、使い勝手が良く、安価な「非正規社員」が、主流になっていくのは、当然の帰結。
悔しいが、資本家に労働を提供して、対価を得ている労働者は、「何らかの僥倖で、資本家の仲間入りを果たせない限り」、死ぬまで働かなければならない。
ところが、そんな悲惨な現実を、見ようともしない庶民は、「人生100年時代の到来」などと、国家や資本家に誤魔化されてしまう。庶民に比べ、競争を勝ち抜いた政治家や経営者は賢い。彼ら彼女らは、「労働者の報酬」を、「生存限界ギリギリ」までに抑え込み、労働者を、死ぬまで働かせるために、様々な制度を構築する。それも、次から次へと。
何故なら、それが「資本主義国家」や「企業」のステークホルダーの期待に沿った、素晴らしい「政治判断」であり「経営判断」だからだ。しかし、労働者にとっては、地獄以外の何ものでもない。
最近の日本の大企業では、「役員以上の経営陣」になると、同期入社であっても、部長以下の「社員として会社人生を終わる人」の数倍の、生涯報酬が得られる。大企業の中でも、格差が広がっているのだ。しかも、政府が主導する「円安、株高、ゼロ金利」の恩恵は、資本家と大企業の経営者だけに、行き渡る。部長以下の社員なんて、そもそも蚊帳の外。
一方、庶民にとって、「円安、株高、ゼロ金利」は、残酷な金融制度だ。それなのに、誰もその事実に気づきもしない。不思議な話だ。「借りている住宅ローンが安くなるから、ウェルカム」なんて言っていては、おしまいだ。まあ、のんきな庶民のことだから、「投資さえすれば、勝ち組になれる」と思い込んでいるのかもしれないが。考えが甘すぎる。
現代の、世界をリードする大企業の経営者には、愛国心など無い。あるのは自己愛のみ。儲けた金を、リターンを極大化できる投資先に注ぎ込むだけ。成長を見込めない限り、母国にも、決して資金を吐き出さない。投資先を決めるまで、内部留保として溜め込み、投資効率の高い投資先に注ぎ込むだけなのだ。
ところが、日本の大企業によくいる、ボンクラ経営者は、自己満足と、海外に出張したいがために、英語もろくに話せないにもかかわらず、海外投資を繰り返す。経営者にとって、海外のM&Aは、最高に興奮できるオモチャだからだ。しかし、そんなM&Aの多くは失敗に終わる。馬鹿な経営者の「時代錯誤の冒険心と生きがい」のつけを払うために、日本では毎年、何万人もの従業員が、リストラされている。しかし、その事実に、誰も気づきもしない。「もう、いい加減にしてくれ」と言いたい。
チャーリー・チャップリンは言った。「一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄。殺人は、その数によって神聖化される」と。
企業のリストラも、これと似ている。「一人を解雇すれば、パワハラだが、数万人を解雇すれば、名経営者。解雇は、その数によってリストラとして神聖化される」のだ。
残念ながら、今のところ、経済制度としては、「資本主義」に勝るものは無い。しかし、資本主義は、「競争」を前提とした過酷な経済制度。しかも、最近では、AIやITを駆使して、新たなビジネスモデルを構築した者が、富を独占する時代へと突き進んでいる。
これからの時代、いくら頭がよくて、どんなに高学歴でも、「人に使われる労働者という、終点が見える地平で働くという選択」をする限り、バラ色の未来は、決して来ない。なぜなら、その「地平」は、縮小していくだけだからだ。