自民党の山際大志郎大臣の国会での答弁には、呆れ果てる。
そもそも、山際大臣の統一教会との関係性こそが大問題なのだが。
その関係性の有無を、国会の場で問われて、「記憶にない」を連発しているからだ。
今から半世紀近く前のロッキード事件。
当時の国会の証人喚問で、国際興業社主の小佐野賢治氏が、ロッキード社幹部との関係の有無を問われた際に、イエスでもノーでもなく、「記憶にない」と答えたのが、こんなふざけた回答の起源のようだ。
事実の有無に関して、イエスかノーで答えてしまうと、回答の真偽を問われる。
そして、回答が事実に反すれば、偽証行為となる。
回答者は、嘘つきと言うことになってしまうのだ。
それを回避するために編み出された、法学的に巧妙な回答方法が、「記憶にない」だ。
回答はしているが、黙秘しているのと同じ。
実に小賢しいが、素晴らしい。
ただし、これは一般国民が、国家権力の前で、刑事罰を科されるような犯罪行為の有無を問われた場合の回答方法として、素晴らしいということ。
国家権力を行使する側の親玉である国務大臣に、「記憶にない」などと言う回答を連発されたら、国民としては堪ったものではない。
あの寅さんの名ゼリフ「それを言っちゃあ、おしまいよ」が、頭をよぎる。
よく考えてみて欲しい。
例えば、国家権力を行使する側の親玉であるロシアのプーチン大統領が、ウクライナに対する戦争責任を問われて、「記憶にない」と答えたら、怒り心頭だろう。
国家権力を行使する者の辞書に、「記憶にない」なんて言葉は、絶対にあってはならない。
そんな言葉を、連発するような無責任な人間には、大臣はもちろん、国会議員の地位からも、速やかにご退場願いたい。