今さら国民に向かって「戦う覚悟」などと言うとは。
為政者は、国民を馬鹿にしていると思った。
今まさに日本人は、為政者の怠慢のために、戦争ではなく、理不尽なまでに拡大する格差社会の中で、日々、生存をかけて戦っているというのに。
今や世界は、自由主義国家ばかりでなく、社会主義国家でも、共産主義国家でも、「市場経済」。
世界経済は、「資本主義一強」の時代。
しかも、その資本主義社会は、人間を徹底的に追い込んで、競争させることによって経済を成長させる弱肉強食。
怠惰な人間は、言うまでもないが、真面目でも、親ガチャではずれた人間や、能力や体力の劣る人間、チャレンジしたが失敗した人間は、次々と脱落する。
競争だから、当たり前で済まされるレベルではない。
そんな資本主義の中で、日々戦っている国民に、今さら「戦う覚悟」などと言われる筋合いではない。
とくに親ガチャ大当たりの世襲議員にだけは言われたくない。
自由と平等が売りの西側民主主義の世界ですら、資本主義の前では、競争の勝者による独裁と不平等が当たり前。
それが、資本主義の醍醐味だと言ってしまえば、それまでだが。
封建制や王政の時代にすら無かったような、異常な格差が生み出されている現在。
どんなに平等を訴えたところで、お手上げ。そもそも資本主義はトコトン不平等なのだから。
人間を競争させて、勝ち負けに応じて、富を配分する資本主義。
競争の勝者こそが、富と地位を独占すべきというのが資本主義なのだから、しょうがない。
ただ、そんな資本主義という競争に敗れた敗者でも、民主主義を支える「1票」の持ち主。
無碍にはできない。
だから、生存できるくらいの捨て扶持を、与えることになる。
「馬鹿にするのも、いい加減にしろ」と言いたいが、これが資本主義。
ただ、競争の敗者だって人間。
ないがしろにされれば、いつか、堪忍袋の尾が切れる。
そうなれば、治安の悪化やテロばかりでなく、暴力革命のリスクすらある。
だから、競争から弾き飛ばされた人間を、ケアして、再び競争に送り込むための、セーフティネットと再教育が必要。
「再び競争に送り込む」、残酷な言い方かもしれないが、これが資本主義のギリギリの慈悲。
とにかく、資本主義的競争に勝たなければ何も得られない。
知恵を絞って、容赦なく相手を叩き潰すしか無い。
資本主義が、デスゲームたる由縁は、ここにある。
こんなデスゲームの敗者。
自己責任と考えるのか、社会の責任と考えるのかで、政治的見解は分かれる。
さらに言うと、競争の結果、格差が生じるのは、やむを得ないと考えるのか、それとも、格差は許されないと考えるのかでも、様々な政治理念がある。
世襲政治家が、国民に向かって「戦う覚悟」などと言っているうちはいい。
その国民の戦う相手が、あなたたち為政者になるかもしれないという自覚がある政治家が、この日本に何人いるのだろう。