旅 ・ 懐かしいもの探しetc

 旅行はあまり有名ではないところをメインに身勝手な感覚で記述し、武漢ウイルス以降はグチばかり・・・

茨城県 水戸藩 藩校・弘道館

2020年12月21日 | 旅行
第9代藩主徳川斉昭 が開校した 水戸藩の藩校
日本最大規模の江戸時代の総合大学
天保12年(1841年)8月1日の仮開館式から15年ほど後、安政4年(1857年)5月9日に開館
 敷地面積は約10.5haで、藩校としては全国一の規模。
 敷地内には、正庁 (学校御殿) ・至善堂の他に文館・武館・医学館・天文台・鹿島神社・八卦堂・孔子廟などが建設され、馬場・調練場・矢場・砲術場なども整備され、総合的な教育施設。
 

弘道館建学の精神は、天保9年(1838年)に斉昭の名で公表された「弘道館記」に
「神儒一致」「忠孝一致」「文武一致」「学問事業一致」「治教一致」
の5項目が示されています。

文館35名、武館38名、医学館10名のほかに天文方などを含めて合計100名前後の先生がいたほかに武術を教える武館には、先生を補助する「手添え」(てぞえ)という人たちが100名から150名程度、文館には、約1,000人の生徒がいたとされています。

正庁  [国指定重要文化財] 対試場  [武術の試験場]
扁額には (游於藝・徳川斉昭筆) に游ぶの意
 礼・楽・射・御・書・数の六芸 (礼儀作法、音楽、弓術、馬術、書、数学) について、文武に凝り固まらず悠々と芸の道を究めよと教えで、対試場に面した正庁の長押に掲げられていました。
 縦90㎝、横248㎝の大きな欅板に斉昭書で「游於藝 (げいにあそぶ) 」と刻まれています。「游於藝」は、『論語』述而篇の一節「子曰 志於道 據於徳 依於仁 游於藝」(子曰く 道に志し 徳に拠り 仁に依り 芸に遊ぶ)により、「文武にこりかたまらず悠々と芸をきわめる」という意味があるとのこと。

 
武館・医学館・天文台跡
武館は3棟 (槍・柔術・居合・長刀)
医学館は蘭学・薬学・薬園
弘道館では藩士とその子弟が学び、入学年齢は15歳で40歳まで就学が義務づけられていました。卒業の制度はなく、生涯教育。

学問と武芸の両方が重視され、学問では儒学・礼儀・歴史・天文・数学・地図・和歌・音楽など、武芸では剣術・槍術・柔術・兵学・鉄砲・馬術・水泳など多彩な科目が教えられて、医者を養成する医学館では、医学の教授のほか、種痘や製薬なども実施されていたそうです。

   
昭和39年 (1964年) に国の重要文化財に指定され、現在約3.4haの区域が「旧弘道館」として国の特別史跡に指定されています。区域内には約60品種800本の梅が植えられており、梅の名所としても有名です。

徳川斉昭公34歳のころの肖像画
 

大日本史
  
「大日本史」は、第2代藩主徳川光圀の命により、1657年に編纂を始め、1906年に完成した歴史書。
「本紀」・「列伝」・「志」・「表」の402巻で弘道館では「本紀」「列伝」243巻100冊の「大日本史」を展示していました。100年以上を経過した書籍でも和紙に墨で書かれているものは確りと現存し、文字の美しさにも感動させられます。

「偕楽園」、「弘道館」は共に江戸時代に徳川斉昭によって創建されたもので、ウメの公園としても全国に知られています。
偕楽園には約100品種3000本、
弘道館には約60品種800本のウメが植えられており、花の形、香り、色などが優れている、「江南所無」、「白難波」、「月影」、「虎の尾」、「柳川枝垂」、「烈公梅」を「水戸の六名木」と呼ばれています。
 
🔶🔶🔶吉田松陰自筆漢詩も展示🔶🔶🔶
 明治維新の精神的指導者といわれる吉田松陰 (1830年~1859年、長州藩士) は、東北奥羽地方へ遊学の途中、嘉永4年 (1851年) 12月19日から同5年1月20日まで水戸に滞在しました。松陰22歳の時です。水戸に滞在中の松陰は、会沢正志斎や豊田天功ら水戸藩の学者に教えをうけました。この資料は、水戸での宿泊先であった永井政助家の子息で、年齢が近く意気投合した芳之介に松陰が贈った惜別の詩です。

弘道館内から茨城大学付属幼稚園と小学校を望む

弘道館内
 

弘道館を見学させて戴くと今に続く茨城の県民性の素晴らしさの一端を垣間見られた気がしました。

🔶 🔶 🔶 🔶 🔶 🔶

今も弘道館正門の向かいには、大手門から水戸城址方向に国立・県立の教育施設である幼稚園・小学校・高校が隣接しています。

大手門


大手門を出てすぐ左手には 水戸第二中学校
 

右手は茨城大学付属幼稚園と小学校
 
この奥には水戸第一と第二高校の2つがあります。
日々 文化の薫りを感じながら通学できる生徒たちは幸せでしょう 

🔶 🔶 🔶 🔶 🔶 🔶

隣接の茨城県庁三の丸庁舎
懐かしい雰囲気の庁舎内正面の石の階段
正面には大きなアナログ時計も
  
この県庁分庁舎は「現役」です。

今回の水戸弘道館と旧県庁、武漢ウイルスの猛威の中なのでかもしれませんが 弘道館内の観覧者はゼロ。且つ開口部は全開で扇風機が回っていました。帰路に1組の来館者が来ましたが感染リスクは低いものと思われます。
 今後もこのような施設を巡るようにしたいと思っています。
感染者の増加は「政府の責任」じゃなく「国民自身の行動」が一番の理由だと思いますから。。。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 5%について 考え方の違い | トップ | 日本初の原発 茨城県東海村 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

旅行」カテゴリの最新記事