靖国さんには、国内外の戦争などで日本の存立のために命を捧げた日本人と朝鮮など他国の人々御霊を英霊と呼び、祭神として祀っています。 その数は2百46万6千余柱
初詣の際に神職の方に「東京招魂社 (靖国神社の前身) はどちらにございますか?」と尋ねますと 靖国さんからすぐ近くの「千鳥ケ淵戦没者墓苑 」を投げやりな態度で案内してくれました。(涙)
※1 靖国神社の職員は学校を出てから靖国神社に就職し、そのまま定年までおつとめする人がほとんどだそうです
※2 靖国神社は神社本庁の被包括団体ではない、単立の宗教法人です
つまり靖国神社職員は、世間の狭い神社々界のなかでも、特に極端に狭い世界に生きている人たちということになります
※3 靖国神社は不動産や駐車場の賃貸収入などで財政的には恵まれています
職員たちは安定した大企業で働いているようなものです
狭隘な安定した世界の人たちが向上心をもたないのは自然の摂理でしょうから靖国神社の職員さんたちも例外ではないようです
安穏とした安定して気楽な職業。そこに2013年に小うるさい徳川宮司が着任、職員たちはなんとか難癖を付けて追い出したのですが
次に2018年に着任したのが『もっと小うるさい小堀邦夫宮司』だったのです【結局、年内に追い出し成功しました】
着任した小堀邦夫・新宮司 は
靖国神社の神職職員の無知識と敬愛心、放漫で怠惰な勤務に新着任の小堀邦夫宮司は気になって、毎月靖国神社などに関する簡単な定例試験を導入
更に日常でも職員に質問をして知識レベルを確認していたそうです。
小堀宮司「五穀豊穣の五穀ってなに?」
神職職員「米と人参、大根……野菜ですか」
※古事記や日本書紀にも載ってることを知らない?読まない?
小堀宮司「今日、6月4日は何の日だい?」
神職職員「虫歯の日です」
※東京招魂社が靖国神社になった日が1879年6月4日です
定例試験問題は神職でなくとも簡単に解ける問題ばかり
靖国神社に関連する基本的な問いばかりの他にも
「だいとうあせんそう」
「ぼしんせんそう」
「まんしゅうじへん」
「とうきょうしょうこんしゃ」
を漢字で書くだけ問題
これに、幹部職員ですら70点台やもっと点の低い人がいて小堀宮司は、神職として当然の知識不足。かなり怒り心頭・言葉もきつくなっていたようです。これもパワハラというのですかね。
2018年6月20日、神社内の定例会議で小堀邦夫宮司が
『陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う? そういうことを真剣に議論し、結論をもち、発表をすることが重要やと言ってるの。はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?』
『あと半年すれば分かる (平成天皇退位) よ。もし、御在位中に一度も親拝なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか?新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?』
など当時の天皇(第125代平成天皇、現上皇・明仁)や皇太子(現今上天皇)夫妻を批判する発言を行った と、されています。
【靖国神社の内部会議で内部向けに発言した言葉を出席していた幹部神職が盗聴・録音していた音声が天皇批判として宮内庁に提供され、マスコミにもリークされました。】
2018年10月31日付で、第12代靖国神社宮司を退任
発言の真意については「靖國神社宮司、退任始末」にて
『今上陛下は即位以来、一度も靖国を参拝したことがない。その一方、かつての戦地を訪れて戦没者の霊を慰める旅、いわゆる「巡礼の度」という行幸を続けてこられたが、これは慰霊と呼べるものではない。そうした見解を述べた』
『英霊の御霊は靖国にこそあり戦地にはない。にもかかわらず今上天皇は靖国よりも慰霊の旅を選んでいるとなると、靖国の存在意義を否定することになってしまう』
『不敬の念があったわけではない。靖国神社の存在意義が薄れていくことへの危機感を職員たちにもってほしかったことからきた』
と述べている。
昨年、2023年9月2日に72歳で死去
小堀邦夫宮司さんが徳川宮司から引き継いだ2018年3月、運悪く靖国神社の資産運用が問題となっていました
外資系証券会社と癒着した靖国神社の職員が、神社の資産運用とともに自分の資産運用もそこでしていたことが発覚し、20億円余が含み損となっていました
そんなことも重なって小堀宮司は皇族批判の汚名を背負って 1年しなくて退任となりました
小堀邦夫宮司 【ウキペディアから引用】
和歌山県生まれ。京都府立大学文学部を卒業し、皇學館大学大学院国史学専攻修士課程、國學院大學神道学専攻科修了。1977年より伊勢神宮に奉職。
明治天皇は、戦没者が自分たち皇族にたたらないように東京招魂社を靖国神社に格上げしては祭祀を続けてきたとの認識から、
小堀邦夫宮司の見解は「靖国神社の使命は、ご祭神などの崇高な事績を後世に伝え、祭祀を厳粛に行い続けることにより日本のさらなる平和と発展に寄与することにあります」とし、
「『みたま』のたたりを恐れ、鎮めることを目的とした神社ではありません」と明確に表明した。
小堀氏は、平成天皇が靖国神社を参拝せず戦地への慰霊の旅を続けられていることについて
「かつての戦地には、遺骨はあっても靖国神社の神霊(みたま)はそこにもうおられないと考えます」
「神霊が陛下といっしょに移動することはありえないと思われます」と述べていた。
退任後は「公共性を有する神社や慰霊碑だけでなく、神棚や墓所・仏壇、さらには亡くなられた方々それぞれの縁の場所においても、人々の祈りの中に『みたま』は存在すると考えます」との認識も示している
日本人は死者になれば、敵であっても死後は厚く葬り、殺人犯人でも死刑執行後は 仏 になると古来から考えられている。
死者にも貴賤を設けてA級戦犯合祀というのであれば
日本帝国陸海軍の大元帥・総司令官で総責任者かつ御前会議で開戦命令を発し、軍幹部の再三の停戦意見も握り潰して、国民には子供たちまで特攻に出しても戦争を止めようとせず、
原子爆弾の投下を知って「自分の居る場所も安全ではない」と理解するや「軍部ガ―」と部下に責任を負わせてマッカーサーという米軍のイチ将軍にモーニング姿で面会を乞い、ノーネクタイのマッカーサーに命乞いをしました
今でも自分たち一族は国民の税金で最上級の生活を続けています これこそA級戦犯そのものではないでしょうか
予科練生徒。特攻に出撃した心身強靭健康な17才の子供です
記録によると特攻作戦は大西中将が最終決断する前から考えられていた作戦で、大西中将は決断しただけ。
その決断に至った根幹は、 特攻のその目的はただ一つ。『天皇陛下が戦争を止めてもよい』との裁可を下していただきたいが為
と述べています。
大西中将は敗戦の当日に官舎に於いて『切れないナマクラの日本刀』で割腹自殺し、駆け付けた部下に「自分が絶命するまで医者を呼んではならない」と申し付けて、最後まで苦しみながら亡くなりました。
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半島からの渡来人を祀る伊勢神宮などの天照系神社、日本侵略軍の将軍だった渡来人を神として奉る香取・鹿島神宮にもお詣りには行きませんが 太陽や山などの自然を神とするお稲荷様などの神社にはお詣りをしています。
反対に、皇族を嫌うというか『皇族だけを祟たって、国民総てに優しい大国主命』の『出雲大社』や『諏訪神社』系統の社や
太陽や山などの自然を神として自然のお使いである山から来るお狐さんを本尊とするお稲荷様の稲荷神社などには何度もお詣りしています。
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靖国神社の宮司
11代 2013年-2018年 徳川康久
12代 2018年-2018年 小堀邦夫
13代 2018年-
12代 2018年-2018年 小堀邦夫
13代 2018年-
靖国の前宮司・徳川康久氏が、戊辰戦争の“賊軍”である幕府軍や会津軍の戦死者も合祀に前向きな姿勢を示したことなどが問題視され、「一身上の都合」で辞任したのを受けて、靖国の宮司に就任した小堀宮司
地域性、県民性、社風とか国民性とかがあります。靖国さんの社風が
「祀られている英霊に敬意も払わず、自分の職についての勉強もせず、安穏と怠惰な勤務で高給もらって自分たち伏魔殿にマトモな上司が着任したら陥れて交代させる」
ような組織ではないと信じてはいますが。。。。。