旅 ・ 懐かしいもの探しetc

 旅行はあまり有名ではないところをメインに身勝手な感覚で記述し、武漢ウイルス以降はグチばかり・・・

松浦党の松浦藩 平戸島 【平戸で生れた台湾と中国の英雄】

2024年12月23日 | 観光地ではない旅行
あの ジャパネットタカタ が町の個人写真店から発足した町 長崎の平戸

平戸を出生地とする 中国人の父と日本人の母をもつ鄭成功という台湾の英雄がいました
 元の諱は森で日本名は田川福松 
日本人として台湾を支配していたオランダから奪還した英雄
 オランダは日本も植民地にして日本人を奴隷にしようと企みましたが日本人の手強さに怖れをなして友好的に交易をしました。

台湾では中華民国の国父である孫文、初代中華民国総統である蔣介石と並び「三人の国神」の一人として尊敬されている偉人です

文楽の演目にもなっている中国と台湾の英雄のニッポン人
 ※因みに鄭成功の父親は中国に帰ってから金に眼が眩み、国を裏切って中国人に殺されました

鄭成功記念館の扁額


全景
今でも中国や台湾から参拝に来る方が絶えないそうです

鄭成功の生家のある平戸市
ここは 海賊 松浦党の本拠地
松浦党 (まつらとう) は、平安時代から戦国時代に肥前松浦地方で組織された松浦氏の武士団の連合。松浦四十八党 の総称

寛仁元年(1019年)の刀伊の入寇 満州のツングース系民族・清王朝の始祖・今はチャンコロに隷属? の防戦に当たった

13世紀の元寇にも
肥前国松浦郡で蒙古軍と戦って 佐志房と三人の息子の直・留・勇は揃って戦死し、松浦党数百人が討たれ、あるいは生け捕りにされ、松浦は壱岐や対馬同様に蒙古軍に蹂躙されましたが その後
戦国大名から平戸藩主へ
平戸松浦氏は、戦国大名として成長し、関ヶ原の戦い以降、旧領を安堵されて平戸藩6万3千石の外様大名として存続しました。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 長崎の『隠れ』キリシタン ... | トップ |   

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

観光地ではない旅行」カテゴリの最新記事