築101年の本宮劇場
大正3年の「本宮座」が前身。 現在も健在な歌舞伎座風の木造3階建ての建物は当時としてはモダンな建物。 地元公民館としての役割を果たしたほか、芝居の公演や踊りの披露会など各種興行にも使用され、「定舞台」の通称で親しまれた。
場内には回り舞台や花道もあり、2階3階の桟敷席を含めると400人近く収容でき、芝居がかかると近隣から大勢の人が詰め掛けたという。
昭和18年に田村さんの父親の寅吉さんが経営者となり、「本宮映画劇場」に改称。昭和19年から22年頃までは毎月、梅沢清劇団(梅沢富美男の父)の公演が行われていた。戦後は映画の上映が中心となったが、昭和26年から27年には浪曲師・南條文若(後の三波春夫)の公演を毎月開催。その後も村田英雄、春日八郎、松山恵子ら、数多くの歌謡ショーが開かれた。 【自治体HPより引用】
現在の本宮映画劇場
建物が小さく見えますが確かに「本宮座」のままでした
昭和38年、田村さんが28歳のときに劇場を閉め、自動車のセールスの仕事に就き、65歳の定年になったら再開しようと考え、日曜ごとに劇場に行っては映写機のメンテナンスや場内清掃を続けており その間も電気等の維持管理費を払い続け、70歳の誕生日を期して電気を落とそうと思っていたら知人からプライベートな上映会を持ちかけられ関係者だけでひっそりと行うはずが、噂を呼んで約150人が集まり、マスコミにも取り上げられた。
※今年、築101年目を迎える本宮映画劇場。その劇場にNHKの番組「奇跡のシネマパラダイス」で放送もあったそうです。
説明をしてくれる 館主を務める田村修司さん(78)
35ミリフィルムの日立製映写機
実働する現存機は多分此処だけかと… それも、フイルム1本7分毎に切り替えるので左右に2台ないと、映画は映せないそうです。
フイルムの編集についても丁寧に説明してくれました
20世紀フォックスのロゴ入りフィルム缶
内容はピンク映画と『隠密剣士』でした。 何より『シネマスコープ』と言う言葉が時代を感じさせます。
映写室内のフィルム編集用デスクと機材
赤い座面のスツールも健在でした。
映写室内には、本宮映画劇場を訪れた方との記念写真もあって、著名人も来訪していました。
西島秀俊さんと田村さん
倍賞千恵子さんと田村さん
趣きのある劇場内映像の数々
切符のもぎり席(入場券の半券を切って受取る場所)
歴史を感じる木製でした。
上部には半券を入れるスリットが3つ。 下の引き出しに溜まる仕組み。
館内ロビー
懐かしい映画のポスターも沢山
丹下左膳の幟には『総天然色』の文字が…
この頃は、良い場面だけカラーになる通称『パッとカラー』が主流でしたからねぇ
健さんの奥様の江利チエミと美空ひばりの『おしどり千両笠』。 青春コメディと書かれています。
萬屋錦之介ではなく、中村錦之介の宮本武蔵
お手洗い
木のドアーと小さな陶器の手洗い、鏡が懐かしいです。
劇場内
舞台
回り舞台の仕組みも残っていました。
客席
背もたれが木製で小さめの懐かしい椅子が並んでいました。
映写室の小窓も本物の映写機が覗いています。 2階、3階の桟敷席はベニヤで覆っていました
懐かしい折畳み椅子
今でもしっかりしており現役です。価格は当時でも一列で30万から40万円したそうです。
高い天井
塗装は所々剥げていますが凝った造りになっています。
壁の上部には放映中も点灯させていた広告入りの誘導灯
スクリーン
銀幕の意味は、実際に布に銀を塗装したものでした。 来館者に手に触れさせて「銀幕の女王」の意味の説明をしてくれました。
※現在、営業はしていませんが1週間くらい前に予約すれば館内を見せてくれるそうです。
・ 場所は 福島県のほぼ中央に位置する人口3万人ほどの本宮市本宮中篠9番地。
・ 最寄の駅は 本宮駅で駅から100m。(五百川駅から3.5km)
・ 自動車利用は 本宮iCから5分。駐車場は無いので駅前の無料駐車場を利用。
・ 電話は 0243-33-1019(田村さん)ですが 『予約されたので自分の都合を後回しにして待っていても約束した人が来なかったことも多いです。』 なんて非常識な輩もいたそうです。そんかことのないようにお願いいたします m(__)m
新刊本「独居老人スタイル」(筑摩書房)にも取り上げられた田村さん、「毎日が楽しくて仕方がない」そうです。 よかった ヽ(^。^)ノ
大正3年の「本宮座」が前身。 現在も健在な歌舞伎座風の木造3階建ての建物は当時としてはモダンな建物。 地元公民館としての役割を果たしたほか、芝居の公演や踊りの披露会など各種興行にも使用され、「定舞台」の通称で親しまれた。
場内には回り舞台や花道もあり、2階3階の桟敷席を含めると400人近く収容でき、芝居がかかると近隣から大勢の人が詰め掛けたという。
昭和18年に田村さんの父親の寅吉さんが経営者となり、「本宮映画劇場」に改称。昭和19年から22年頃までは毎月、梅沢清劇団(梅沢富美男の父)の公演が行われていた。戦後は映画の上映が中心となったが、昭和26年から27年には浪曲師・南條文若(後の三波春夫)の公演を毎月開催。その後も村田英雄、春日八郎、松山恵子ら、数多くの歌謡ショーが開かれた。 【自治体HPより引用】
現在の本宮映画劇場
建物が小さく見えますが確かに「本宮座」のままでした
昭和38年、田村さんが28歳のときに劇場を閉め、自動車のセールスの仕事に就き、65歳の定年になったら再開しようと考え、日曜ごとに劇場に行っては映写機のメンテナンスや場内清掃を続けており その間も電気等の維持管理費を払い続け、70歳の誕生日を期して電気を落とそうと思っていたら知人からプライベートな上映会を持ちかけられ関係者だけでひっそりと行うはずが、噂を呼んで約150人が集まり、マスコミにも取り上げられた。
※今年、築101年目を迎える本宮映画劇場。その劇場にNHKの番組「奇跡のシネマパラダイス」で放送もあったそうです。
説明をしてくれる 館主を務める田村修司さん(78)
35ミリフィルムの日立製映写機
実働する現存機は多分此処だけかと… それも、フイルム1本7分毎に切り替えるので左右に2台ないと、映画は映せないそうです。
フイルムの編集についても丁寧に説明してくれました
20世紀フォックスのロゴ入りフィルム缶
内容はピンク映画と『隠密剣士』でした。 何より『シネマスコープ』と言う言葉が時代を感じさせます。
映写室内のフィルム編集用デスクと機材
赤い座面のスツールも健在でした。
映写室内には、本宮映画劇場を訪れた方との記念写真もあって、著名人も来訪していました。
西島秀俊さんと田村さん
倍賞千恵子さんと田村さん
趣きのある劇場内映像の数々
切符のもぎり席(入場券の半券を切って受取る場所)
歴史を感じる木製でした。
上部には半券を入れるスリットが3つ。 下の引き出しに溜まる仕組み。
館内ロビー
懐かしい映画のポスターも沢山
丹下左膳の幟には『総天然色』の文字が…
この頃は、良い場面だけカラーになる通称『パッとカラー』が主流でしたからねぇ
健さんの奥様の江利チエミと美空ひばりの『おしどり千両笠』。 青春コメディと書かれています。
萬屋錦之介ではなく、中村錦之介の宮本武蔵
お手洗い
木のドアーと小さな陶器の手洗い、鏡が懐かしいです。
劇場内
舞台
回り舞台の仕組みも残っていました。
客席
背もたれが木製で小さめの懐かしい椅子が並んでいました。
映写室の小窓も本物の映写機が覗いています。 2階、3階の桟敷席はベニヤで覆っていました
懐かしい折畳み椅子
今でもしっかりしており現役です。価格は当時でも一列で30万から40万円したそうです。
高い天井
塗装は所々剥げていますが凝った造りになっています。
壁の上部には放映中も点灯させていた広告入りの誘導灯
スクリーン
銀幕の意味は、実際に布に銀を塗装したものでした。 来館者に手に触れさせて「銀幕の女王」の意味の説明をしてくれました。
※現在、営業はしていませんが1週間くらい前に予約すれば館内を見せてくれるそうです。
・ 場所は 福島県のほぼ中央に位置する人口3万人ほどの本宮市本宮中篠9番地。
・ 最寄の駅は 本宮駅で駅から100m。(五百川駅から3.5km)
・ 自動車利用は 本宮iCから5分。駐車場は無いので駅前の無料駐車場を利用。
・ 電話は 0243-33-1019(田村さん)ですが 『予約されたので自分の都合を後回しにして待っていても約束した人が来なかったことも多いです。』 なんて非常識な輩もいたそうです。そんかことのないようにお願いいたします m(__)m
新刊本「独居老人スタイル」(筑摩書房)にも取り上げられた田村さん、「毎日が楽しくて仕方がない」そうです。 よかった ヽ(^。^)ノ