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 旅行はあまり有名ではないところをメインに身勝手な感覚で記述し、武漢ウイルス以降はグチばかり・・・

長野県 諏訪大社 下社 【春宮 ・ 秋宮】

2016年07月11日 | 旅行
諏訪大社 【下社・春宮】

参道


御柱祭り案内板


春宮・幣拝殿


幣帛料 (へいはくりょう) の看板

諏訪大社は、旧官幣大社で現在も別表神社となっているので、神社本庁から「幣帛料」として金銭が贈られているのでしょうね。

春宮一の柱


近づいて…


神楽殿と入り口の狛犬
諏訪大社は狛犬の到来時期より古くから存在するので、本来は狛犬はいない筈なのだそうです。 【本来は石灯籠であるべき? そうなんですね、初めて知りました】
 氏子さんや信奉者さんから奉納されるので設置しているそうです。        ※神職さんから拝聴


神社本来の石灯籠


諏訪大社 【下社・秋宮】
神楽殿
やはり神楽殿前の灯篭があるべき場所に、また狛犬


秋宮・幣拝殿


秋宮一の柱


秋宮三の柱


神宮の遥拝所

単に『神宮』 と云ったら 天皇の皇祖、天照大神の鎮座する 『伊勢神宮』 を指しますから、
  天照大神の孫から武力で出雲から駆逐されて諏訪に攻め込み、諏訪の洩矢神から諏訪の地を奪った後に洩矢神と共存した諏訪大社の神様が伊勢新宮を遥か遠くから拝む遥拝所を設置されているのは少し合点がいきませんが… 屈服した後に恭順したということでしょうか… (-_-;)

秋宮から諏訪湖と飛騨連峰を眺める



下社の神職さんに直接お話を伺ったところ

  上社と下社は全くの別の部族であり、上社は狩猟を主とした部族であり何度も下社側に武力で攻め込んで来た人たちで下社地域は落下果実を主食として生活していた部族。あまり関係は深くありません。

  諏訪大社に祭られている神様は、自らが治めていた出雲で、百済から渡来した民族に力で敗れ、出雲から逃げてきた 大国主神(オオクニヌシ)の御子神 (次男) で
  建御名方神(たけみなかたのかみ)が豊かな諏訪地方を治めていた洩矢神(もりやしん)を攻めて諏訪地方を勝ち取って、治めた。

  その際に勝った部族は負けた部族を皆殺しにするのが通常だった時代に 相手を殺さずに共存する道を選び、建御名方神は洩矢神を神長官として自分の身の回りの世話をさせた。
  建御名方神が下社を含む地域を総括して治めたので諏訪大社は、昔にしては相当に離れた場所に上社と下社が存在するのですよ

  大昔の神々様というのは戦国時代の大名に例えれば解り易いかもしれません、徳川家康【日光東照宮】や明治天皇【明治神宮】、大宰府天満宮【菅原道真】もそうですが、皆さん人間でありながら神様になっていますものね。
  NHKスペシャル 『御柱』は 『上社の話を中心に編集・制作されており少し心外でした』

などの貴重なお話を聞かせて戴きました、やはり実際の場所に来て、それなりの知識を持った方にゆっくりとお話を聞かせていただくと知らなかったことがいろいろと分かります。
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