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「規則」にしばられた自衛隊

2020年10月08日 | グチばかり
「規則」にしばられた自衛隊…大規模災害時でも現場判断で臨機応変に行動できない
9/10(木) 16:56配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/fe796dd5f616c59710c05676e8e1030ee56eb3d8
【画像】東日本大震災後、仙台空港近くで救出活動を行う自衛官ら

 【自衛隊と災害派遣】  「憲法に自衛隊を明記する!」と熱く語っていた安倍晋三首相が8月28日、辞任を表明した。首相は、大規模災害時においてすら、自衛隊は現場判断で臨機応変に行動することができないことをご存じだろうか。
  一般に、軍隊は禁止規定に抵触さえしなければ、自由に作戦行動できる「ネガティブリスト」の組織であり、目的のために最短・最良の手段を検討できる裁量を持っている。  しかし、自衛隊は行使できる権限だけを並べた「ポジティブリスト」で動く「行政組織」である。ゆえに、ほかの一般省庁と同様、ルールの範囲内でしか行動することができない。
 
  世界を震撼(しんかん)させた東日本大震災において、ルールに縛られた自衛隊と、自由な機動力を使える在日米軍の差が明確になった事例がある。
  「電気が途絶え真っ暗。スマホの電源も切れそう。怖い。助けて」  SNSで仙台の友人の発信があり、心配したことを覚えている。  その時、在日米軍は被災し管制すら途絶えた「仙台空港」を救援の拠点に使う提案を始めていた。
  日本政府と交渉を終えると、すぐに米軍機は自衛隊松島基地に軟着陸し、特殊部隊の航空管制機能のある高機能車を空港に向かわせた。これで仙台空港に「暫定戦略滑走路」ができた。冠水した強度に不安のある滑走路だが、幾多の難しい軟着陸を経験してきた米軍輸送機パイロットの腕は確かだった。民間ではとても不可能な状況下の救助もできるということ】
  この仙台空港を拠点として、東海岸の救援物資輸送、機材の搬入が可能になった。このように、在日米軍は非常時にルールにとらわれない、とっさの決断ができる。そのおかげで多くの人命が救われたはずだ。
 
  一方の日本政府と自衛隊は、米軍の提案があるまで「地震で機能不全になった民間空港に米軍用機を着陸させ、物資を輸送させる」ことなど想定すらしていなかった。そもそも、「自衛隊機が民間空港に軟着陸して機材を運ぶ」ためには、さまざまな法律や制度の壁が立ちふさがる。自衛隊にできないことが米軍機にできたのはネガティブルールで自由に動くことができる「軍」だったからである。
  自衛隊は非常時であっても自由には動けないのである。そういった一切の呪縛がなければ、あの日、いち早く仙台空港に軟着陸したのは米軍機ではなく自衛隊機だったかもしれない。

  自衛隊をがんじがらめに縛るすべてのルールは憲法に起因する。
 
しかし、今日のこの緊迫した情勢においてすら、安倍政権の悲願だったはずの憲法改正が遠のいた。それがなおさら悔しく、悲しい。
 
 ■小笠原理恵(おがさわら・りえ) 国防ジャーナリスト。1964年、香川県生まれ。関西外国語大学卒。広告代理店勤務を経て、フリーライターとして活動。自衛隊の待遇問題を考える「自衛官守る会」代表。現在、日刊SPA!で「自衛隊ができない100のこと」を連載中。著書に『自衛隊員は基地のトイレットペーパーを「自腹」で買う』(扶桑社新書)。

日本人は人民解放軍のように自国民に銃を向けたり、戦車で国民を大量虐殺するようなことは無いのに自衛隊の手足をがんじがらめに縛っておいて、「お前らの存在自体が憲法違反だっ」と叫び、「何かがあったらお前らの命を懸けて助けろ」と言うなど少し変だと思います。

 連合赤軍浅間山荘事件の際に当時の子供がインタビューで言い放った「ボクは危険な機動隊員にはなりたくないけど、自分が人質になったら機動隊員は何人死んでもいいから助けに来て欲しい」という言葉が思い出されました。
 今は、日陰者だけれど見る人は見ている。頑張れ自衛隊員!

 

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