— 露地栽培 ー
わが家の菜園にいるイチゴはハダカである。
夏も冬も、日照りの時も雪の日も、芽を出してから食卓に載るまで薄物一枚着せてもらえない。冬の朝などは真っ白に霜をかぶっている。
なぜこんな不人情な扱いをするか。
子どもの頃、家の脇の戸をガタピシ開けるとそこは小石を敷いた洗い場になっており、小石が切れて畑につながるあたりにイチゴが5、6株植えてあった。そして毎年赤い実をつけた。その情景が脳裡から離れない。だからだれが何と言おうとイチゴは露地にいなければならないのである。自分でも言うことが子供じみていると思うが。
もうひとつ、今度は大人の話をすると、医薬品メーカーの研究員だった佐藤健太郎氏は著書「医薬品クライシス」(新潮新書)の中で、「人体は、超複雑な機械に例えることがでる。・・・医薬研究者は、すでに完成された恐ろしく精巧な機械に、新たな部品を設計して付け加えなければならない。しかもその機械は新しい部品を受け入れることを前提に造ってあるわけではない」と述べておられる。
試しに医薬に人体と相撲をとらせてみた。その結果は「医薬は病気の原因を直接叩き、根治させるものではない」(同書)。それどころか人体が本来持っている免疫力を下げる。軍配は人体にあがる。医薬の敗けである。
同じことはイチゴにもいえるのではなかろうか。
人間は、分もわきまえず、イチゴが野にある頃から健気にも長い時間をかけて造りあげてきたおそろしく精巧な体の仕組みに手をつっこんだ。
ビニールハウスで囲いこみ、虫を寄せつけず、雨や日差しをさえぎり、殺虫剤を振りかけ、新種さえ作った。
結果はよくわからない。ひょっとしたらイチゴが本来持っていた栄養分や自分で自分の病気を治す力を壊してしまったのではないのだろうか。
はっきりしているのは露地のイチゴの方がもちがいいこと。スーパーで買ったのはすぐダメになる。
そんな詮索はお構いなしにビニールハウスはみるみる数を増し、家族連れで賑わっている。一方、菜園のイチゴはだれにも構ってもらえない。今朝も霜で真っ白になりながら実をつける夏を待っている。