― 子どもは誰のものか ―
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春耕。
菜園に石灰を撒き終えると、小屋で寝ていた耕耘機を叩き起こして畑を耕した。手始めにほうれんそうの種を蒔くつもりである。
先日買ってきた酸度計を土に差し込むとPh6.5。ほうれんそうは6.0~7.0なのでオーケー。まず鍬で畝づくりにかかった。これが一番骨が折れる。
腰が痛くなってくると畑の真ん中に置いているベンチに腰をおろし、向こうの大きなケヤキを眺めながら一息いれる。
ふと先日の新聞記事が頭に浮かんだ。子どもの連れ去り事件である。記事は1月、東京地裁が出した判決に関するもの。配偶者に子どもを連れ去られたとする男女14人が連れ去りを禁ずる規制がないのはけしからん、国の怠慢だとして裁判を起こした。結果は訴えた方の敗けである(産経新聞 2023.3.26)。
なんでそんなことが問題になるんだ。刑法224条に未成年者を略取誘拐した者は三月以上七年以下の懲役に処すと書いてあるじゃないかと言いたいのだけど、なにやら簡単には片付かないらしい。
裁判や法律のことはさておき、夫にしろ妻にしろ、もう一方の親に無断で子どもを連れ去るのはよくない。
「安寿と厨子王」(「山椒大夫」 森鷗外)を持ち出すまでもなく人さらいは悪いに決まっている。安寿たちを人さらいから買ってこき使った山椒大夫は鋸引きの刑に処せられている。人さらいもなにがしかの刑罰を科せられたであろうことは容易に推測できる。
連れ去られた方の親の身になって想像してみるといい。会社から帰るといつも「おかえりなさい」と奥から飛んでくる子どもの姿がその日見えないのである。ある日突然家に人の気配がなくなるのである。
どこへ行ったのか。どうやって食べているのか。連れ去られた夫あるいは妻は仕事も手につかない日々を送ることになる。
なによりも子どもが素直に育たない心配がある。連れ去った方の親から他方の悪口を朝となく夜となく聞かされる。小さい子どもはそれを疑うこともなく受け入れてしまうだろう。「心の強さ・健康というのは、学童期(4歳から10歳前後)の育てられ方にかかっている」という(「子どものまま中年化する若者たち」 鍋田康孝 幻冬舎新書)。
結婚という船出をしたものの、その後の航海が追い風を受けて無事目指す港に入れるかどうか誰もわからない。かといって転覆が怖いから結婚なんかしないでも困る。子どもがいなくなれば日本がつぶれる。