ー 炊事をする男、狩りをする女 ー
「家事・育児したい 変わる若い男性」と題する記事
2024.1.6 産經 オピニオン欄
昔々、はるか昔のこと、男と女は仲むつまじく暮らしていた。男は危険だらけで油断のならない外界に毎日出かけては、自分の生命を賭けて食べ物を手に入れる。男の優劣は、獲物を殺して家に持って帰れるかどうかで決まった。(「話を聞かない男、地図が読めない女」アラン・ビーズ+バーバラ・ビーズ 主婦の友社)
女は子どもの世話をしたり、果物や野菜、木の実を集めたり、同じ群れの女たちと一緒に過ごしたりして一日を送る。食料調達の最終責任を負う必要はないし、敵と戦うこともない。家族生活をきちんと維持できるかどうかで女の優劣は決まった(同)。
さて、アフリカに人類が出現したのが250万年前。食べ物を手に入れるための狩猟・採集生活は1万年ほど前農耕生活に移行するまでほぼ250万年にわたって続いた(「サピエンス全史」 ユバル・ノア・ハラリ 河出書房新社)。
この250万年という時間は脳の配線と働きが男と女、それぞれの役割に応じて裁断され、遺伝によって引き継がれるように仕立てられるのに十分な時間ではなかろうか。
ところが令和3年の今日、国立社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査」によると、未婚の男の39.4%がパートナーに仕事と出産・育児の両立を望んでいる。また20代の男のおよそ70%が家事・育児を率先してやるべきと考えているという(上掲写真記事)。
ところが令和3年の今日、国立社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査」によると、未婚の男の39.4%がパートナーに仕事と出産・育児の両立を望んでいる。また20代の男のおよそ70%が家事・育児を率先してやるべきと考えているという(上掲写真記事)。
驚天動地、250万年もの間続いてきた男と女の役割分担をここに来て変えようというのである。女もイノシシを狩ってこいというのである。そんなにも簡単に変えられるものか。
否である。上述のように男と女ではそもそも脳の配線が違う。働きも違う。試しに女とキャッチボールをしてみたらいい。女はおよそ形容のしようもない奇妙な投げ方をする。
しかし、女の脳はそれを滑稽とも恥ずかしいとも思わない。脳の配線が違えば投げ方も違う。つまり優劣ではなく、“ 違い ”なのである。
だから、脳が狩猟・採集時代と変わっていないのに女もイノシシを狩れと声を揃えるのはスジが通らない。男の家事・育児についても然り。
今はパソコンがあるから女も稼ぐことができると言われそうだが、ここでは脳という根っこのレベル、“ そもそも ” の話をしている。
百歩譲って、男(女)の代わりに女(男)がその作業をしても、赤ん坊を抱っこしてミーティングに出てきても、会社の生産効率や儲けになんら影響しないと思えば社長も前向きに考えるかもしれない。
要は個々の経営者の判断である。よその国はああしている、こうしているなどということを理由に政府があれこれ口を出すことではない。