ー 遺言は絶対ではないの? ー
相続で苦労した知人が「遺言書さえ書いててくれればよかったのに」と愚痴をこぼしたことがある。
冗談めかして、「死ぬまでに全部使ってしまえばいいんだよ。そうすれば、遺産争いも起こらない」と笑う人がいるが、実際のところ、これはほぼ実現不可能だ。
自分が死ぬ日なんて本人はもちろんだれも知らない。だから誰でもなにがしかの財産は後に遺すことになる。
そこで、その財産を死後どうしたいかを書き残す必要が出てくる。遺言書である。名宛人は妻あるいは夫、実の子、養子にした子、赤の他人と、事情によりいろいろである。
体裁は自筆証書の場合、全文、日付、氏名を自書し、印鑑を押せばよい(民法968条1項)。
簡単に思えるが、「ああそうなってますか。それじゃそのように」と右から左に片付かないのが現実のようである。日付を書き忘れたり、年月日の日を「吉日」としたり、印鑑のかわりに指印を押したりする。そうすると、こういうのは無効ではないかと争いになる。あるいは認知症で、そもそも遺言する能力はなかったのではないかなどと裁判になることもある。
体裁をどうこう言う以前に、遺言書があるかどうかわからないのも困りごとのひとつである。
分割協議をし、登記まで済ませたあとで、遺言書が出てきたというケースがある。これは亡夫が3人の子供たちに宛てて、分割方法をかなり明瞭に書いた自筆の遺言書を残しておいた。にもかかわらず、相続人である妻と子供たちがこれを知らず、その土地をどうするか話し合い、結局妻一人が全部を相続することとし登記したものである。
これが裁判になり、遺言書があることを知っていれば、はたしてそういう分割をしただろうかという点が問題となった。実例であるので出所などは省略するが、遺言書さえ書けば一安心というものではない。見つけてもらうことが大事なのである。
最近は遺言書を法務局が預かってくれるようになった。遺言書の保管申請書に相続させたい人やくれてやりたい人の名前・住所を書いておくと、役場に死亡届が出た時、それらの人に「遺言書、預かってますよ」という通知が行くらしい。3900円かかるが、後に残された者が「遺言書やーい」と探し回る手間が省ける。書き直しもできる。これを利用するのも良い方法だろう。
(次回は ー 広がる香害 ー )