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田舎ぐらし(31)

― 選 択 ー

  信濃追分  右 北國街道 左 中山道
  ( Go NAGANO ー長野県観光公式サイトーより )

 朝、目が覚めると一番に選択しなければならないことがある。すぐに起きるか、あと5分このままでいるか。大抵はあと5分このままの方を選ぶ。
 次は顔を洗うか、居間の窓をあけるか。これは気分次第。風の吹きようにまかせる。

 ところが、重大な選択をする場面に出くわしたことがある。もう10数年も前になる。ある一言を、言ったものかそれともいつものように言わずにすますかという選択である。

 それは、「ごちそうさま。おいしかった」。

 三度のご飯はいつも家内とふたりで食べる。食事がすむと、黙って箸を置き、ソファーに座ってテレビを見るか自分の机に行く。それが習慣だった。

 今まで何十年も、そんな “言わない” 毎日を送ってきた。それがある日の食卓が “追分” に見えた。いつもの中山道を行くか、それとも北國街道を行ってみるか。早い話、「黙って箸を置く」か、「言うか」である。

 考えてみると、自分には定年があってその後は好きに暮らせるのに家内には定年がない。なのに、三度三度ちっとは目先の変わったものを出してくれる。
 とはいえ、急に言えるはずがない。いきなりそんなことを言われたら、家内だって肝をつぶして持った茶碗を取り落とすかもしれない。

 それでも、2,3日も経ってから、息を気持ち多めに吸い込むと、「ごちそうさま。おいしかった」と言った。途端に家内の顔がぱっと輝いた。

 他愛のない話である。

 しばらくしたら、皿洗いや風呂掃除、ゴミ出しもやるようになっていた。“あんまりやさしくするてぇと、当人が図にのぼせちゃう”(田舎ぐらし(23))心配もあったが、やりだしたものを、途中で止めるわけにもいかない。ただ当番など決めていない。気がついた方がやっている。

 私たちの現役時代は高度成長期で、主婦はパートに出る必要はなかった。給料は毎年1万円上がった。貯金は10年放っておけば2倍になった。2軒目の家を建てる人も珍しくなかった。

 男がスーパーなんぞ行くものではないと思っていた。そういうのは男子のコケンにかかわった。野菜の入ったレジ袋を下げて帰る途中、ゴボウが袋から頭を出していようものなら、誰かに見られはしなかったかと急いで中に押し込んだものだ。

 そんな時代を生きてきた私は亭主関白を通してきた。だから「ごちそうさま。おいしかった」は私にしたら天下分け目、一大転機だった。
 
(次回は ー 遺 書 ー )
 

 


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