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田舎ぐらし(189)

 ー 無 鉄 砲 ー

 

 新聞の読者投稿欄に「繭玉の思い出」と題する投稿が寄せられていた。
養蚕農家に生まれ、蚕が桑の葉を食べるざわざわした音を聞きながら子ども時代を過ごした。小正月には繭玉を木の枝にさして家の中に飾る習慣があったという。
 
 つられて自分の昔が頭に浮かんだ。小学生の頃、夏、学校から帰ると、家にはだれもいない。雑のうを座敷に放り投げ、服を脱ぐとフンドシひとつになって向こうの川へ走った。

 途中、たんぼの畦道をヘビが出ませんようにと祈りながら、おっとっとと、平均台よろしく駆けていく。川には監視員などいない。堰の下の流れに飛び込む。犬かきから始めてクロールも平泳ぎも潜りもいつの間にかひとりで覚えた。

 台風が去った翌日、川は水かさを増して流れが速くなっている。今日はおもしろそうだと胸がワクワクする。足が速くなる。のんびり流れる川ばかりでは退屈だ。下流から上流へ泳ぐ。速い流れが体を押し流そうとする。負けるもんかと水をかく手に力をこめるがちっとも進まない。
 
 さて、こちらでも夏休みが始まったらしい。周りを見る。近くに川が流れているのに泳いでいる子はいない。異様である。泳ぎは多分学校のプールで教わるのだろう。しかしそんなプール泳法が川に落ちた時役に立つのだろうか。

 昔は無鉄砲な子が多かった。
今の子はおとなしく、か弱い。プール泳法では不足だと思えば親が教えてやらなければならない。川の中はまるで予測がつかない。一歩前に出した足が川底を踏まないと子はパニックをおこす。体が沈む。そうすると声を出せないのである。


 
 

 
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