ー 余 計 な お 世 話 ー
「自助論」
スマイルズ著 竹内 均 訳 三笠書房
この国の政府は何かにつけ、余計な世話を焼く。
道路を作るとか、堤防を高くするとか公のことだけやっていればいいものを、やれ亭主にもっと家事をさせろとかもっと子どもを産めだとか家の中のことにまで口を出す。
余程ヒマとみえる。
だれが味噌汁を作ろうが、その家の勝手だし、結婚しようがしまいが、子どもを産もうが産むまいが、個人の勝手である。
余計な世話の最たるものは国民年金の受給者として第3号被保険者なるものをつくったことであろう(国民年金法第7条1項3号)。
1985年の年金法改正で、サラリーマンの妻(夫が妻に扶養されている場合は夫。以下同じ)に対し、あろうことか保険料納付を免除した上年金をくれてやることにした。それまでは働いていない妻は将来に備えて自分の保険料を払っていたのである。
この改正により、働いていない場合はもとより、働きに出ていても収入を原則年130万円内に押さえておけば、保険料を払わないで将来年金をもらえるようになった。一方で会社からの配偶者手当ももらい続けることができる。
さて、欧米に比べると日本の女はキャリアより結婚志向が強いように見える。スキルを磨いて自助・独立、よりよい生活を目指すのではなく、結婚して夫の稼ぎで食べていこうという戦略である。うまくいけば結婚は食いっぱぐれのない永久就職となる。
そうした自助の精神が欠落している永久就職組の頭に1985年、棚からぼたもちが降ってきた。 “ たなぼた ” である 。頼んでもいないのに政府が「保険料払わなくても年金あげるからね」と言ってくれた。
当然これには批判が多い。そもそも働かざる者、食うべからずという。フルタイムでちゃんと働いて保険料を払っている女にしてみればさぞかし腹が立つだろう。連合はこの制度は不公平だとして廃止すべきだと言っている。
しかし、連合の声は耳に届かないらしい。9月24日、NHKラジオは、政府は年収130万円超えが2年続いてもそれが一時的な増収であれば保険料の負担も生じないし、扶養にとどまることができる方向で検討中と報じた。
「 天は自ら助くる者助く 」。古来、幾多の試練を経て語り継がれてきた格言である。このことばをを四角に当てはめれば、夫の稼ぎで食べているだけでも既に天に見放されていることになりはしないか。
自助の精神は、人間が真の成長を遂げるための礎である。援助の手を差し伸べても、相手はかえって自立の気持ちを失う。保護や制度も度が過ぎると、役に立たない無力な人間を生み出すのがオチである(上掲写真「自助論」)。