ー お 時 ー
「無宿人別帳」 松本清張 春秋文庫
年間どれくらいの夫婦が離婚しているか。
厚労省の人口動態統計月報年計(概数)によると令和5年には18万3,808組である。前の年より4,709組増えている。
夫婦の話し合いで離婚が決まらない時は裁判所に持ち込めば裁判所が決めてくれる。裁判所はどんなモノサシで決めるかといえば、「婚姻の倫理的本質に鑑みて婚姻がなお客観的価値を有するか」(「民法提要 親族法 相続法」 松阪佐一 有斐閣)とされている。民法は配偶者の不貞行為などいくつか離婚理由をあげるが、結局はこれに尽きる。
人生いろいろである。100組の離婚には100の離婚理由がある。それじゃ、千助の場合はどうなるだろうかと考えた。
「船は六つ刻に着くということであったが、予定より半刻遅れた。・・・ 船が大川から西に入り、亀島橋をくぐったところで姿を見せると、霊岸島河岸に待っていた出迎え人たちは、いっせいに喚声をあげた。
「これ、静かにしねえか、お上の手前もある」貸元らしい年寄りが手を振って制めたが、この男も笑いながら船の近づくのを見ていた。・・・」(「無宿人別帳」 町の島帰り 松本清張 春秋文庫)。
船はご赦免船である。公方様が亡くなって大赦になった。乗っているのは三宅島や八丈島に遠島になっていた二、三十人の流人たち。その中に島に2年いた野州無宿の千助がいた。その千助をお時が迎えに来ていた。千助とは恋仲で両国の茶屋で女中をしている。背がすんなりしていて色が白く、少し年増ではあるが、それだけ色気のある女である(大筋 同文庫)。
さて、お時と2年ぶりに会った千助の心情は小説には書かれていないので察するしかない。
“ 船を降りてお時と歩きながら千助は思った。島送りという刑はいつご赦免になるかわからない。ご赦免状が届かず、島で死んだ流人もいると聞いている。
たとえご赦免が決まったとしても俺たちは夫婦ではないからお上からお時に通知が来ることはない。そうするとお時は船が着くという噂を聞く度に霊岸島へやって来て船から上がってくる流人たちの中に俺の姿を探したのか。
今度こそと、伸び上がって千助を探しているお時の姿を思った。千助が見当たらなくてしょんぼり肩を落として帰っていく後ろ姿が脳裡に浮かんだ。 ”
さて、こんな千助がお時と世帯を持ってやがて爺さまになった時、それまでの暮らしを振り返って後悔することなど微塵もなかろう。
島送りは一例にすぎない。長い人生、いろいろな顔をした奈落が突然現れる。そこに堕ちることもある。往々にしてその時の連れ合いのことばや振る舞いが結婚を評価する決め手となる。