ー カ タ カ ナ 語 ー
新しい機械や仕組みが次々と出てくる。 スマホ、パスワード、アプリケーション、オンデマンド、アーカイブ、キャッシュレス、マイナンバー・・・。 それは結構。
しかしどうしてこうもカタカナばかりなのか。おまけに略語を使う。
カタカナ列車の行きつく先は皆目わからない。列車の乗客はカタカナ語を沢山使えば使うだけ自分は “ 進んでいる ” と勘ちがいしているのかもしれない。
こうなると、新しいものに手を出すのはここらですっぱり止めて、古い方に目をやろう、この国の辿った道を見てみようと川を上流へ向かう天邪鬼が出て来たところで変な目で見られることもなかろう。
そんな折、書店で江戸時代の写真がいっぱい載った雑誌を見つけた。Aー4 版、全部カラーである。タイトルは「江戸の暮らしと商い」(宝島社)。
第1章を開くと、大伝馬町が人出でにぎわっている様子を背景に、江戸時代の時刻は「日の出よりも約30分前を明六つ、日暮れから約30分後を暮六つとし、・・・人々は太陽とともに起き、日の入りとともに寝る暮らしを基本としていた」と始まる。
ページをめくると、多くの庶民は長屋暮らし。
明六つに長屋の木戸が開く。豆腐売りがやってくる、野菜売りがくる、魚屋もくる。皆向こうからやってくるから、買いに行く必要はない。
おかみさんの朝は忙しい。亭主を仕事に送り出し、子どもを寺子屋に行かせる。長屋の端にある井戸端で洗濯をすませた後は縫い物やお昼に帰ってくる亭主・子どもの昼飯の支度。
仕事を終えた亭主は銭湯へ行く。おかみさんも行くが浴槽は混浴。混浴が当たり前で誰も気にしない。洗い場では三助がおかみさんの背中を流してくれる。
男の楽しみは相撲見物。回向院では血の気の多い客同士が喧嘩まで始めたという。女は芝居見物。女たちは朝から浮足立ち、役者絵は飛ぶように売れた。
さて、1600年に家康が天下を取ったあと、キリシタンを禁止し、外国との交流は出島に限った。大政奉還までの267年間、頑丈な塀で囲まれた島国で代を重ね、食料を自給し、一度も外国に占領されることがなかった。こうして出来上がったのが上記江戸の様子である。
なぜこんなことができたのか。日本人の精神の中に拠って立つ何かがあったのだろうか。行き先のわからない列車に乗ってカタカナ語と遊んでいるより余程おもしろそうである。