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田舎ぐらし(135)

 ー お布施 ―

 

 また頭を悩ましている。
7回忌法要の際、住職に渡すお布施(=謝礼 )をいくらにしたらいいかという悩みである。お布施には定価がない。定価表が庫裡の壁に貼ってある寺などついぞ見たことがない。

住職に聞くと決まって「お気持ちでいいです。」という。

 そもそも寺と檀家の関係はどうなっているのか。
江戸初期、幕府はキリスト教を禁じた。これに伴い、住民に対して自分の所属する寺を明らかにし、寺はこれに証文を発行するように命じた寺請証文(てらうけしょうもん)である。

 これで住民は必然的にその寺の檀家になった。 寺は檀家の葬祭供養を独占し、檀家はお布施等で寺の経済を支えるという関係が出来上がった。檀家がその責任を果たしていないと寺が判断した時や消息不明になった時は除名され、無宿人として扱われたという(ウィキペディア 檀家制度。寺請制度(てらうけせいど))。

 もっとも、この点については檀家の方が自分の死後の葬儀や供養のことを考えて菩提寺を求めたとする見方もある(同)。

 さて、若い時田舎の家を出て、都会で数十年、寺とはほぼ無縁の生活を送ってきた者にとって田舎で耳にする話は仰天することばかりである。

 例えば、戒名代。こちらの寺では字数で値段が決まる。一文字10万円。この数字は家によって違う。末尾に「院居士」がつくとさらに高くなる。100万円を超える金を払った家が身近にある。

 また、寺には領収証を出さないという妙な癖がある。そこで二重払いが発生する懸念が出てくる。例えば生前戒名をもらった際、領収証をもらってなければ、死後の戒名代として二重に請求されるおそれがある。

 腹を立てて、「檀家なんか辞めてやる」と開き直ると離檀料を請求される。なんのことはない。ここでもコトはカネに帰着する。

 最近は檀家の “ 寺離れ ” が目につくようになった。勢い、存続がむずかしくなる寺も出てくる。寺が売りに出されたというニュースを聞くし、葬祭業者がにわか僧侶を仕立てて供養を請け負っているという話も聞く。反対に、寺がなくなったら困るというので、檀家が協力して住職の生活を支えてやっているという話もある。
 
 全部の寺がそうだとは言わないが、寺離れ原因のひとつには本業を放り出して商売のことばかり考えている寺の姿勢がある。
たまには教義を語ればいい。「諸行無常」は生活に直結した教えであるから、子どもでも理解できるはずである。
 外国の映画やニュースではキリスト教の信者が日曜日、教会に行くシーンをよく見るが、こちらの寺で目にするのは幼稚園の送迎バスばかり。寡聞にして、檀家を集めて説法をしているという話は聞いたことがない。

 





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