ー 機械がやってくれる ー
ジョークである。
先生が生徒に宿題を示して、
「これお父さんに手伝ってもらいましたね!」
「違います!」
「どう違うの!」
「全部お父さんにやってもらいました!」
最近、チャットGpt ということばをよく聞く。
先生が生徒に宿題を示して、
「これお父さんに手伝ってもらいましたね!」
「違います!」
「どう違うの!」
「全部お父さんにやってもらいました!」
最近、チャットGpt ということばをよく聞く。
わからないことを人工知能(AI)に聞けば対話形式(チャット)で答えを出してくれるという結構な代物らしい。
もしも小学校の子どもが宿題を人工知能(AI)でやるようになったら世も末と思う。学童期の教育としつけは人生を決めると言われている。
ここで抜けてしまうのは人の「思考」である。答えを手に入れるまで悩み抜く思考という行程がない。スタート即ゴール。
「あらゆるものがスピード化され、次々と現れては消え、短いメールのやり取りが蔓延する時代になった。このことが・・・若者から、コミュニケーション能力を奪うだけでなく言葉そのものを断片化させ、体験そのものまでも断片化させている」(「子どものまま中年化する若者たち」 鍋田恭孝 幻冬舎新書)。
使わない脳は働かなくなる。
長い間入院していると、筋肉が萎縮して歩けなくなるのと同じ。乗ってもらえない自転車は軒先ですぐに錆びてしまう。廃線はあっという間に草茫々。
子どもは空っぽの頭を肩に乗せ、図体だけが大きくなる。産めよ増やせよと児童手当をくれてやったのはいいが、ふたを開けてみたら増えたのは空っぽの頭だけ、は勘弁してほしい。
脳を働かせるには宿題をやめて教室で質問したらいい。“ 機械 ” に目をやる間を与えず即答させるのである。社員の採用然り。空っぽをふるい落とすには面接の場で質問し即答させたらいい。
ついでながら、人工知能(AI)を使って結婚相手をさがしているという話を聞いた。情けない話だ。ある程度年齢を重ねれば人を見る目はできるもの。好きな女、好きな男くらい自分で見つけろと言いたい。やはりコミュニケーション能力は欠落しているのだろうか。
”