長らくおじいちゃんの便りを書いていませんでした。頑張って書いていきましょう。
前日の昭和12年8月6日におじいちゃんの初めての子供が誕生しました。(私の父です)
そのことを知って8月7日に故郷へ書いた手紙です。
「まさゑ様には6日朝、男子御誕生のよし、大慶に存じます。その後母子共お達者ですか。
私の出征後に男子生まれ、誠に一家にとって名誉この上なき事と私も喜んで勇んで北支に向かうことが出来ます。
こんなめでたき事ほかになき事と歓びおります。今後ともよくお祈りいたしまして、安全と感謝受けましょう。
今日は松下さん、長谷川さん、山福さん等お手紙頂きました。
承けたまわれば郷里の郷軍、消防青年団等からお伝えを受けたよし、私としては出征後とはいえ誠に責任の重さを加えるように思われ、ただ感に打たれるのみです。
何分にもよろしく御礼申しますよう、私からも手紙を差し出しおきます。
今後なるだけ他人のお世話にならぬよう努めて下さい。
今日、長谷川文太様から子供の名前についてお知らせくださいましたが、私は只今は決定しかねますゆえ、誰か上京(大阪)の節、ご相談申しとうございます。
まずは右、お喜び方々御礼まで。
上京の節は、北梅田の叔父の家へお越しください。土日外出しますから十日の昼来て下され。午後四時から面会できます。」
長谷川文太さんは隣保の方で、当時の地区の世話人さんのようです。
「北梅田の叔父」とはいったいどなたか・・祖母や父の存命中に解読していればと悔やまれます。
しかし、出征前に男子なら〇〇、女子なら〇〇と名前を考えて行かなかったのかねえ。