貧乏くじ
本来は看るべき血縁者が遠ざかり、準血縁者である息子の嫁やら近隣者に責任を押しつける。
子供は親を最期まで看る義務があり、親は子供を成人までは扶養する義務があるのだが
どうやらそうにもいかないらしく、虐待問題が発生している。
先日、認知症の父親が、息子の嫁が目を放した隙に線路へ入り事故死した。
認知症とはいえ、正気な瞬の悲壮感からの自殺かもしれず、一度、烙印を押されれば世間は、そう認知してしまい、それを基礎にして介護保険の適用の下、ケアマネの計画書に基づきヘルパーを来訪させたり訪看の手当を受けさせる。
さて、事故死した爺様の後始末は、血縁者へ請求されるのだが、これを不服としている模様で、息子の嫁は、なぜ、2級ヘルパー研修までし、通いで在宅介護をした私たちが支払わなければならないのか?他の兄弟は面倒すら看ないで事故死をしたのは監視を怠ったからだと逃げる。
更にこれに福祉家が便乗し、そうだ、あまりにも理不尽でみてられない。
国家で認知症対策の一環としての保障制度を検討すべきだとのたまっている。
確かに社会主義国家では、国民に過重な課税をしてその見返りとして教育、老後、医療は無料にしている。
もしも、国が認知症対策保険でも設置すれば、ますます、この国の家族制は崩壊するだろう。
そもそも家族とは何かと問えば単に同戸籍族というに過ぎなく動物は幼少より自立し核化している。
そう考えれば、社会保障の正義も有りなのかも・・・
やっかいなのは、え~とこ取りの身勝手な輩である。
面倒は看ないが血族ゆえの財産相続権は棄てない。
他人事でもなく筆者の家では、両親の面倒を看た者が、貧乏くじを引き当てたが、ま、健康な身体と健全な心、思考を授けてくれたご先祖様に礼を言いましょうと争議を明るく越えた。
先ほど後輩の母親が他界したと電話で知り得た。
かねてより施設入居をしていたのであるが、本人の弁によれば胃瘻(いろう)の種類を流動から半固形に変えてからどうも様子が変で二週間で息を引き取ったらしい。
あの時に半固形に同意しなければ母は、もう少し生きられたのではないのか?
それを苦にして自責を重ねれば、いずれ医療体制に辿り着き不信感を持つ、自分を責めるのは止めなさい、お母さんは寿命だった、胃瘻の時点で延命治療の感は拭えず今の法律では限界がある
訊けば施設の人手不足もあり、短時間で摂取出来る半固形に切り替えた様だ。
流動の場合、時間をかけてゆっくりと胃袋に流し込むので本人が厭がりチューブを引きぬく、ならば、その間、拘束をしてもらえば良いのだが、老人福祉法違反になり老人虐待だと訴訟をされる。
施設には施設の事情があり、入居者には個人の諸事情を抱えている。
施設に精神科医など常駐出来る訳もなく、拘束は禁じ手なので自分の手が後ろに回る。
半固形に同意したのが母親の寿命を縮めてしまったと自分を責め母親に詫びているのである。
いうにも及ばないが、我が国の法律は、どの域を見渡しても間抜けで体裁だけの悪法だらけだ。
ゆえにしょうもない小ワルがのさばり、食品偽装やら水増し請求やらで蔵を建てる。
親孝行な小市民は、ただただ正直に身を守り不幸に遭えば全部、自分のせいだと身を震わせどうにもならない国の不実さに泣かされているのである。