木の下で話しましょう

ソトコトとは、木の下で話しましょう、というアフリカ語源の福祉用語です。

へんど

2013-03-17 | 社会

四国産の筆者は、最近の遍路イベントに些かの違和感がある

子供の頃、門前に遍路者が立ち鉦を鳴らし読経を始めると、胸にかけられた首掛け袋に一合ほどの生米や小銭を入れた

両親から人浚いやから”へんど”には近づくな、と、教えられた、菅笠に白装束を見かけると本気で隠れたものだ

物心の着いたころに、遍路者には難病伝染病罹患者が多く生活不能者なので物乞いをしながら八十八ヶ所を巡礼しているのだと説明された

そういわれれば故郷に八十八ケ所寺は近在しなかったので巡礼者ではなく単なる世捨て人、物乞いの類だったのだろう

香川県出身で無類の商売上手であった天才空海は現会社組織で例えるなら日本各地に営業所、支店なる寺を建立した

熱心な宗教心のある方には申し訳ないが、各地においてオプションをつけながら建立したと思われる

例えば指させば温泉が・・池が・・・泉が・・・

地元の民ならぼんやりとでも、どこそこには、水源があるぐらいは子供でも熟知している・・・

更に人集めの工夫が成され、季節の植物を植えたり、建築、庭園等を施し、美術品、仏像等を設置して拝観料を徴収した

現代ならばさしずめ有料コミュニケーション場を説法という付加価値をつけ公開したのだ

いつの時代にも世渡り上手が居て社会に貢献していれば別にケチをつける気は、さらさらない

 

世の中の推移は、価値観を逆転させる

故郷に在住の実姉でさえ全朱印を収集し悦に入り、霊感商法にハマり一粒ずつ丹念に集めて念珠を作り筆者に送ってくれたりしている

空海真言宗のエライのは宗派を問わないところだ

流石に目の付けどころが外の宗派寺とは違い宗教心(イベント経営)の真髄をついている

 

歩くのは健康によろしい

八十八ケ所を巡回すれば徒歩数がとてつもなく広がり森林浴も出来る

障がい者、高齢者向けには、QOL(生活の質の向上)を予感させる車両での観光ツアーもしているようだ

満願成就とか目的のある旅は楽しいのかもしれないし、その由来なんて今更どうでもえ~~のかも

辛気臭い事象など完全無視して、せ~ぜ~、四国の景色を堪能されて下さい。

 

  

 

   

へんど - 遍路または反吐(へど)が転訛したもの。四国各地で使用される言葉。不治の病などを持った人が、世捨て人となって、お遍路さんをしながら巡る姿を指す言葉から転じた。また本来の遍路とは全く別に、信仰心の無い者がその怠惰な生活態度から半ば「職業遍路」化して「お接待を受ける」ことに名を借りた物乞いのみで生計を立てる行為がこう呼ばれる。お接待を行う遍路道沿いの信徒たちから軽蔑を受けた。

乞食(こつじき、こじき)とは、

  1. 本来は仏教用語で「こつじき」と読む。比丘僧侶)が自己の色身(物質的な身体)を維持するために人に乞うこと。行乞(ぎょうこつ)。また托鉢。十二頭陀行(じゅうにずだぎょう)の一つで、これを清浄の正命と定める。もし自ら種々の生業(なりわい)を作(な)して自活することは邪命であると定める。
  2. 上記の事項が転じて、僧侶でない者が路上などで物乞いをすることも乞食(こじき)と呼ぶようになった。ただし、現在は差別用語放送問題用語)とされたため使用することはできなくなり、ホームレスと言い換えられることが多い。

 


大切なもの

2013-03-09 | 社会

ヘルパー事業所は、実に多様多種である

61歳でヘルパー研修を受講し3月卒業と共に職業として働いている

最初の1年間は右往左往しながら諸先輩の指示で動いた

登録ヘルパーは、1事業所のみでは生活をするには無理なので区役所WEBで検索をして求人をしていないにもかかわらず面接をして頂き採用になったり、HWの紹介で採用になったり、とで、計4事業所への登録をした

初年度は、年中無休でフル回転をした

高齢者、精神障碍者、若年難病者、身体障がい者、知的障がい児、視覚障がい者、と、介護者種類をほぼ一巡した格好だが、更生者については未経験である

62歳の4月より福祉関連の勉学に重点を置き時間にゆとりを持たすために在宅事業所への登録を2ヶ所にした

63歳の今年は、昔の職場より経理の手伝いをしてくれとの要望があり現在2ヶ所の職場の経理を掛け持ちしている

それらの帰りにヘルパー仕事をしているのだが、NPO法人の事業所が3月末で解散することになった

とりもなおさずこの事業所は、自分を売り込み採用になった事業所である

歴史は旧く有料時代からの創業で介護保険制度導入から介護保険事業所へと変更した

 

最初にも書いたが、介護保険制度を基礎にした指定介護事業所ではあるが、その社風は実に多種でおもしろいものがある

修学中に登録した事業所の所長は40代の夫婦で血気盛んであり事業利益主体の方針のため、飽く迄、事業所、利用者本位で利用者からノーと云われれば、ヘルパーの言い訳、実情は無視した

故にヘルパーの人事異動が激しい

ヘルパーの定着率の悪さの原因の一位は、職場、利用者との人間関係なのである

人は考えるアシとの例えも有る位なので、元来、精神が軟弱だ

猛禽類ほどの凶暴、単純さを持ち合わせていない

さて、このNPO法人であるが、以前、ヘルパー学校も経営していたらしくため息の出そうな程に真面目で月1回の研修と各人への補助金配布は欠かさない

ヘルパーの殆どが介護福祉士の国家試験合格者でもある

事件があれば、ヘルパーの意見に耳を傾け、利用者に説明をし納得して頂く

利用者にもヘルパーをクビにするような上から目線の横柄さは見受けられない

この事業所の利用者からは、帰り際に「外の事業所からヘルパーさん、ケアマネさんが来られるけどNPOさんがイチバン良いです」と、必ず褒められる

確かに、その地域柄もあろうが、利用者にすれば長期間に渡りヘルパーが辞めずに顔なじみであることが安心なのだ

先の事業所の例は、どの事業所も引き受けないわがままな利用者ばかりを地域包括支援センターから紹介され、悪循環に陥っている節がある

地域包括支援センター、社会福祉協議会については、契約制度に移行されたとはいうものの、禁止されている天下りの措置天国模様で、先に触れる機会があれば書くことにしよう

解散一カ月前になり解散通告が出来るようになり、事の次第を通告すると一様に驚きおろおろされる

原因は営業力不足に尽きるのであるが、この様に評判の良い事業所の閉鎖は残念至極でたまらない

 

これから、生きて20年、足腰達者であと10年・・・

経理仕事では、社長から後輩を育て教えて欲しいと依頼されている

どんなわけのわからんのでも一人前に育てる自信はある

しかし、その土壌造りは、アンタがせ~~よ

大切なものは、何か?

                ・・・・・・しっかりと見極めて欲しいところだ。 

 


間違って読まないでください

2013-03-03 | Weblog

「色は空 空は色との 時なき世へ」

ご子息が辞世の句として挨拶をしていた

「いろはそら そらはいろとの ときなきよへ」

最後には、空を見上げて父を偲んでやって下さい

と、結んだ

滅多にみないTVをたまたまみたせいで、不要なストレスが生じた

おい、おい・・・・ふ~む・・・・?

「しきはくう くうはしきとの じなきよへ」

では、あるまいか。。。。

父君があの世で苦笑してるかも

これは、いわゆる死にゆく者の諦観、悟りである色即是空の心理状態ではないのか

他人である筆者の勝手な解釈である

ほんまに。。。。。

 

息子の能力を配慮して、テキトーな句にして仮名を打ってやり

遺さなければ、この一句のせいでモノ笑いのタネを提供することに成りかねない。

 


生き方

2013-03-02 | 社会

個人主義とか自由主義とやらで「おひとり様」が繁殖している

近い将来には、更に増加すると予測されている

人は独りで生まれ(母より出でるのだからこの表現には、些かの異論もある)独りで死ぬ

その場所が、何処であろうと人と生まれれば必ず露と消え去る宿命だ

生まれ方は、ともかく、去り際は実に多種で、あれほど高名な方がなぜにあの様な死に方を・・・

その逆もあり、人生の不思議を実感させられたりするものだ

 

因果応報とかいう素晴らしい表現がある

さしずめ筆者の場合は、猫の習性の如く、人気のない場所でひっそりと絶えるはずだ

「孤独死」というが、あれは全くの自然死であり動物本来の死に方である

それをとって付け足した様に”孤独”と書けば何やら寂しげで陰気臭くないかえ?

施設、病院、ふたり以上の同居のある自宅で、医療過誤、延命治療の末、鼻からチューブ、胃瘻で息を引きとれば大往生となり決して孤独死とは称されない

この世とおさらばした瞬間に孤独であっても孤独だったとは評さない

黄泉への旅に家族が、医療従事者が、介護者が、同行するのか?

考えれば、アホ臭い話である

 

誰の造語か知らないが、独居で息絶えれば、それみたことか独りは不幸だろう

死ぬ時にすら誰も居ない

 

 

しかし、独居高齢者宅の介護をさせて頂いているが、全くの独身者は少なく、過去に家庭を持ち血族を成した高齢者が多い

しかも、わざと独居形態に変容させヘルパーを家政婦代わりにして親の面倒をみない、老親を扶養する義務を放棄している金満家は数知れない

彼らの人生をとやかく言うつもりはない

心配しなくてもこの親にしてこの子なのかもしれない

たぶん、樹の股、キャベツの芯から、オギャ~と生まれたので親の顔さえ無記憶なのだろう

そろそろ、この国でも「生き方、死に方」の死生観を幼少時よりしっかりと教える必要がありそうだ

死ぬと云うのは生きる事なのであるから。