人を戀ふる歌
明治38年7月6日発行の『鉄幹子』による本文
(三十年八月京城に於て作る)
人を戀ふる歌
妻をめとらば才たけて
顔うるはしくなさけある
友をえらばば書を讀んで
六分の俠氣四分の熱
戀のいのちをたづぬれば
名を惜むかなをとこゆゑ
友のなさけをたづぬれば
義のあるところ火をも踏む
くめやうま酒うたひめに
をとめの知らぬ意氣地あり
簿記(ぼき)の筆とるわかものに
まことのをのこ君を見る
あゝわれコレリッヂの奇才なく
バイロン、ハイネの熱なきも
石をいだきて野にうたふ
芭蕉のさびをよろこばず
人はわらへな業平(なりひら)が
小野の山ざと雪を分け
夢かと泣きて齒がみせし
むかしを慕ふむらごころ
見よ西北(にしきた)にバルガンの
それにも似たる國のさま
あやふからずや雲裂けて
天火(てんくわ)ひとたび降(ふ)らん時
妻子(つまこ)をわすれ家をすて
義のため耻をしのぶとや
遠くのがれて腕(うで)を摩す
ガリバルヂイや今いかん
玉をかざれる大官(たいくわん)は
みな北道(ほくどう)の訛音(なまり)あり
慷慨(かうがい)よく飲む三南(さんなん)の
健兒(けんじ)は散じて影もなし
四たび玄海の浪をこえ
韓(から)のみやこに來てみれば
秋の日かなし王城や
むかしにかはる雲の色
あゝわれ如何にふところの
劍(つるぎ)は鳴(なり)をしのぶとも
むせぶ涙を手にうけて
かなしき歌の無からんや
わが歌ごゑの高ければ
酒に狂ふと人は云へ
われに過ぎたる希望(のぞみ)をば
君ならではた誰か知る
「あやまらずやは眞ごころを
君が詩いたくあらはなる
むねんなるかな燃(も)ゆる血の
價すくなきすゑの世や
おのづからなる天地(あめつち)を
戀ふるなさけは洩すとも
人を罵り世をいかる
はげしき歌を秘めよかし
口をひらけば嫉みあり
筆をにぎれば譏りあり
友を諌めに泣かせても
猶ゆくべきか絞首臺(かうしゆだい)
おなじ憂ひの世にすめば
千里のそらも一つ家
おのが袂と云ふなかれ
やがて二人(ふたり)のなみだぞや」
はるばる寄せしますらをの
うれしき文(ふみ)を袖にして
けふ北漢の山のうへ
駒たてて見る日の出づる方(かた)