机の本棚を掃除していたら2000年版の同人誌が並べられていた
連日、PCに向かい仕事やら無料映画ドラマの配信を観ているのだが「コスモス文学」誌の同人だったのさえ忘れてしまっていた
ぱらぱらとめくるとペンネームの長編小説が掲載されていた
50歳の頃に事実のみを曝した小説である
掌編、長編に応募していずれも新人賞を受賞しその作品は無料で掲載される
二度目の掲載からは有料で長編だと400文字原稿用紙、300枚で頁@1000円であった
掲載の度に30万円を支払うのである、編集部から毎月の投稿を依頼されたが貧乏ゆえに3回だけ掲載した記憶がある
手許に残されたのは読みたいという友人に贈呈したので2冊だけだ
あの頃のマイブームは読むよりも書くことで経理事務員の鬱憤晴らしをするために私小説だけを執筆していた
他に某出版社の無料出版本に応募して入選掲載された短編小説も並べられていた
久しぶりで読んでみたら自分でいうのもなんだけどなかなか読み応えがあった
自分の小説を読みながら身内の不仲不幸不運な争族場面では、ふと涙ぐんだりもする
その事件は未だに尾を引き未解決なままである
職場の様子が詳細に書かれ名前も実名、偽名を織り交ぜてあり忘れていた事務所を想い出した
今では仕事嫌いの上司も昇天し同僚らのその後もなにひとつ知らないが
小説掲載から5年後に事務所は解散閉鎖してしまった
朝、9時過ぎから読み始め気づくと11時前になっていた
あの頃は原稿用紙に鉛筆書きで漢字忘れなど色々と手間取ったものだ
編集部と幾度も推敲、手直しを郵送のみで打ち合わせた
時間をかけて完成すると安堵した、自分の小説が活字掲載されるのは確かに嬉しかった
掲載されると編集部に外国在住の日本人女性からの感想文が届き私に回送され帰国の折にディナーを共にしたりした
今の様にメール、ライン、携帯電話さえない時代である
そう、ポケベルとやらはありました
十年ぐらいは同人誌に在籍していたが編集部が東京から九州へ越してから間もなく退会をした
あれから20数年経ち、社会の構造、自己の生活環境も大きく変化した
あの頃の様々な不条理が身の置き所なきゆえの私小説のネタ提供事象である
独身女性には、戸建て住宅、マンションを購買することすら不振がられ許可されなかった女性蔑視の時代であった
男尊女卑の政治下でのモラハラ・セクハラ職場、生活環境は下世話な話ばかりで女性たちの苦悩は小説ぐらいでは語り尽くせない
現在は少しはマシで働きやすく住みやすくなったような気がする
これも運命とカウントダウンで残された人生を謳歌するしかないのだろう。