先日のブログで、好きな聖地として「撮影地の必然性」が感じられる聖地。
さらに物語の舞台としてその土地が選ばれ、さらには「その土地のこと」が語られている作品が好きと書きました。
なかでも、夕張市を舞台とした『女ひとり大地を行く』『ユーパロ谷のドンベーズ』『冬の幽霊たち』の三作品がお気に入りです。
この三作品は、以下のような時代の夕張市を舞台としています。
- 女ひとり大地を行く:1950年代、炭鉱バリバリの夕張
- ユーパロ谷のドンベーズ:1980年代、炭鉱から観光へ転換を始めた頃の夕張
- 冬の幽霊たち:2000年代、名物市長が没した直後の夕張
いずれの作品も撮られた時代ごとに「夕張市の中心」として据えているものが異なっています。
「同じ場所」を描いていても、テーマや描かれ方が異なっているのが非常に興味深いです。
夕張市を舞台とした映画については、ブログ「あの頃の夕張を求めて」の「夕張映画」のカテゴリーの記事が秀逸です。
舞台となった場所の開設だけでなく、筆者の土地への思い入れもあって、とても読み応えがあります。
女ひとり大地を行く:1950年代の夕張
本作は「戦後の日本、炭鉱の町・夕張市を舞台」に撮影されました。
あらすじは――シングルマザーになった母親(山田五十鈴)が、二人の子どもたちのために夕張の炭鉱で働くことを決意。
戦前・戦中、外国人労働者や若者を使い捨てる、理不尽な炭鉱労働を耐えながら働き続け る母親。
やがて戦争が終わり、成人した二人の子どもたちを社会に送り出す母親は、その後――という戦前から現代(1951年)までを生きた女性の一代記という内容です。
製作は日本炭鉱労働組合北海道地方本部とキヌタ・プロダクションの共同製作。
配給は北星映画。
監督は、当時キヌタプロダクションに所属していた亀井文夫。
出演は山田五十鈴、宇野重吉ら。
1952年に撮影され、1953年に公開されました。
戦後の日本
1952年といえば、4月にサンフランシスコ平和条約が発効しGHQが解体。日本の主権が回復しました。
本作は1952年9月から撮影が始まるのですが、アメリカから独立してまだ半年しか経っていない時期です。
ちなみに経済白書に「もはや戦後ではない」と記述されたのは1956年。撮影された当時は、まさに戦後の日本そのものの時期でした。
炭鉱の町夕張
この頃、朝鮮戦争特需で日本の景気は浮揚するのですが、なかでも傾斜生産方式で資材が 重点投下された石炭産業は大いに沸きました。
石炭の町・夕張市も、その恩恵にあずかり町が発展し、人口も急上昇します。
本作は戦後日本にあって、石炭産業や夕張市に最も活気があった時期を舞台としていることになります。
そして、本作では農家を辞めた家族が、戦中のゴタゴタで苦しみながらも炭鉱で働き続けたことで、ついには将来への希望を見出すという展開になっていきます。
この時代、炭鉱で働くことが未来を切り開くことになっていたのです。 ラストは高松のズリ山での大団円となります。
夕張市内のズリ山で撮影
事実、戦後の夕張市の人口は増え続け、本作撮影10年後の1961年に人口11万6000人余りを数えピークに達します。
1950年代の夕張…?
本作は、夕張市の炭鉱の物語のため、撮影当時の夕張市の風景がたくさん映し出されています。
夕張駅近辺には炭住がびっしりと建ち並んでいて、現在の風景と見比べてみると、風景も用途もあまりにも変わりすぎていて愕然とします。
作中の夕張駅の近辺、びっしりと炭住が建ち並んでいる
現在の様子、石炭の歴史村の施設がわずかに残る、高松のズリ捨て線が変わらず残っている
しかし、坑内の様子や機械については夕張市では撮影されていません。
そのことを暗示するかのように、本作のパンフレットでは【劇映画として最初の海底数千尺の決死的撮影】とあります。
夕張市は山奥深くの町で海なんてありません。
【劇映画として最初の海底数千尺の決死的撮影】は太平洋炭鉱での撮影のこと?
どこで撮影されたのかというと、夕張市から遠く離れた釧路市の太平洋炭鉱。
太平洋炭鉱は海底へ向かって掘り進められた斜坑なので、「海底数千尺の決死的撮影」となったのだと思われます。
さらに旧阿寒町の雄別炭鉱でも撮影されています。
そのため本作は、夕張炭鉱、太平洋炭鉱、雄別炭鉱の三つの炭鉱労働組合誌で、撮影時の風景を取り上げられることとなりました。
なぜ、このような事態になったのかというと――大スターを伴って炭鉱で撮影行脚でもしたのかな? などと思ってしまいがちですが。
実は、まったくその逆。炭鉱会社による撮影妨害によって、撮影地を転々とせざるを得なかったのです。
具体的に、どのようなことがあったのかは、後日、別の記事で書こうと思っています。
ユーパロ谷のドンベーズ:1980年代の夕張
本作は「1981年の北炭夕張新炭鉱のガス突出事故」をベースとしています。それと同時に「炭鉱から観光」へ産業を移転させつつある時代でもあります。
あらすじは――炭鉱事故で父を亡くした登と知香の姉弟は市内の野球チーム・ドンベーズへ入団。
しかし、彼らが通う小学校では炭鉱閉山による将来への不安から、次々と子どもたちが転校していった。
そして、それは対戦相手となるのは同じ夕張市内のユーパローズも同様で、来年にはこの2チームが合併してしまうことに。
両チームによる試合は、今年が最後となるのであった――。
夕張から炭鉱がなくなっていく時代
本作は1980年代の夕張市の様子が描かれています。
1981年に、北炭夕張新炭鉱のガス突出事故が発生。
1983年に、石炭の歴史村がグランドオープンしたことから、いわゆる「炭鉱から観光」への産業転換が行われているものと思いがちです。
しかし、本作を見ると、産業転換が大号令で一気に行われたものではないこと。
石炭産業が夕張市に及ぼしている影響は計り知れないものだったことが伺えます。
詳しい話は別記事へ譲りますが、後年にイメージされがちな観光政策一本槍な時代とはなっていません。
夕張に残る人、去る人
本作では、主人公姉弟や子どもたちのストーリーとは別に、綿引勝彦が演じる姉弟の亡父の同僚のストーリーが交差します。
この同僚は、何くれとなく姉弟の面倒を見てくれるのですが、仕事もせずにのんびりと釣り三昧のように見えます。
彼は、夕張市内の新たな炭鉱再開を待っている人物なのです(おそらく炭鉱離職者の給付金を受けていると思われます)。
そんな彼の心境を代弁するように、本作では季節が巡るたびに炭鉱再開を待ちわびるかのようなテロップが流れます。
一方で、自らの生活のため、新たな働き口を求めて夕張を去る人たちもたくさんいます。
親が働き口を求めて夕張を去る結果、その子どもたちも夕張を去らざるを得ません。
本作では、姉弟の同級生たちも次々と転校していきます。それがドンベーズのチームメイトも一緒。
本来、姉弟はドンベーズでレギュラーになれるほどの実力を持ち合わせていないのですが、チームメイトが次々と去っていくので繰り上がりのような形で試合に出られるようになるのです。
夕張市内のもう一つの野球チーム・ユーパローズも同様にチームメイトが激減。その結果、来年からはドンベーズとユーパローズの合同チームとなることが決定します。
市民ひとりひとりの力では、どうにもならない炭鉱閉山。子どもたちにいたって、親の決断に従わざるを得ません。
こうした抗いようのない炭鉱閉山のショックを「野球チームが無くなってしまう」という、主人公の子どもたちの目線から描いているのが秀逸だと思いました。
ひとり、またひとりと夕張市を離れていく子どもたちとのお別れ
めろん城の希望
主人公姉弟の家庭も炭鉱マンの一家でした。
炭鉱マンの父を失ったこの一家は、炭鉱再開を待つのでもなく、職を求めて市外に出るのでもなく――母がめろん城で働くこととなります。
先の紹介した『女ひとり大地を行く』では、炭鉱事故で父を亡くします。
その亡き父に代わって、母が夕張市内の炭鉱で働きます。
そして、炭鉱で働くことで未来を切り開いていきます。
一方、本作でも炭鉱事故で父を亡くします。
しかし、母はめろん城――夕張市内にできた新たな観光産業で働きます。
新たな勤め先を得た母は、めろん城をバックに笑顔。
ここでは、観光産業で働くことで未来が明るく開けるかもしれない、という予兆として描かれています。
めろん城に希望を見出す母親
未来は見通せない
本作は、先を見通せない石炭産業と未成熟な観光産業に揺れる夕張市を描きながらも、全体的なトーンとしては希望が描けるラストとなっています。
しかし、本作の撮影直前の1985年5月には三菱南大夕張炭鉱でガス爆発事故が発生。1990年に市内の炭鉱がすべて閉山。
夕張市は、観光産業に傾斜せざるを得なくなっていきます。
学校のシーンは遠幌小学校で撮影
沼ノ沢にあった炭鉱施設
冬の幽霊たち:2000年代の夕張
あらすじ――2003年冬、夕張市内の各所に突然現れた人間の幽霊たち。
幽霊たちは、ホラーや怪談物のように祟ったり襲ったりするわけでなく、ただそこに佇んでいるだけ。
当初は不気味に思っていた夕張市民だが、害がないと知るや幽霊を相手にコミュニケーションを図ろうとする者も現れた。
一方で、幽霊騒動を知ったテレビ局は幽霊を取材しようと奔走。
夕張市役所では、この幽霊たちを新たな観光資源にできないかと知恵を絞る。
こうして、突然現れた幽霊を相手に夕張市では騒動が巻き起こっていく――。
名物市長不在の夕張
本作は2004(平成16)年1月14日、ワハハ本舗を主宰する喰始氏が製作総指揮により製作。多くのワハハ本舗の劇団員が出演しています。
その前年、2003年4月の夕張市長選挙に中田市長は不出馬。
中田市長といえば石炭を歴史にして、観光産業へ邁進していった立役者。
その名物市長が不出馬を決め、後藤健二市長が新市長となります。
そして、その年の9月に中田氏は死去しました。
つまり本作は、24年にわたる中田市政の終焉直後の夕張市の風景を撮影しているのです。
2004年のゆうばり国際ファンタスティック映画祭は、発案者の中田氏が不在の中はじめて開催された映画祭でした。
映画祭や夕張市政にとって最大の曲がり角となる、その第一歩目のタイミングで本作は撮影され、映画祭で公開されることになりました。
本作は、同年の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2004」に出品、15周年特別企画として上映されます。
そして「ゆうばりファンタランド大賞」を受賞しました。
炭鉱労働者の描かれ方
先に紹介した『女ひとり大地を行く』は炭鉱会社が舞台で、ほとんどの登場人物が現役の炭鉱労働者でした。
山田五十鈴が演じる主人公は、母親であり、炭鉱労働者であり、一家を支える大黒柱でもあります。
『ユーパロ谷のドンベーズ』は、炭鉱の再開に見切りをつけて夕張市を離れる人々が多く描かれます。
夕張市に残った人でも炭鉱再開を待っている状態です。
炭鉱労働者が現場で働いている姿はありません(その代わりに石炭博物館が登場)。
主人公一家の父親は炭鉱労働者でしたが、想い出の中にしか登場しません。
そして本作では、ついに炭鉱の存在も描かれなくなりました。
人が住まなくなった炭鉱住宅に炭鉱労働者の幽霊が登場――炭鉱も、そこで働いていた人も、過去に失われたものとして描かれています。
石炭の歴史村は無し
本作は雪深い1月に撮影されたためか、石炭の歴史村の様子は映っていません。
(一部施設は冬季営業していようです)
そのかわりマウントレースイのスキー場が映っていました。
レンタルビデオショップディオは本作の聖地
撮影時はアマポーラもありました
石炭博物館へ
1950年代、1980年代、2000年代と、それぞれの夕張市の様子を撮影した映画について紹介しました。
石炭産業と夕張市の関係は切っても切れません。そして映画には、その時々の石炭産業との関わりが写されています。
夕張市の石炭博物館では、その時代に何が起きていたのか分かりやすく展示されています。
もし、各作品にご興味がございましたら、ぜひ石炭博物館にも足を運んでみてください(現在は、冬季休業中ですが…)。
炭鉱都市としてピークを迎える夕張市
観光へ邁進する夕張
なお、石炭博物館は2018年にリニューアルしています。
そのため一部の展示は『ユーパロ谷のドンベーズ』とは異なっています。
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