前回の記事の<外>からやってくる「問い」ですが、これに応えようとしたある中学生たちの一例をご紹介いたします。
昨日(11月14日)NHKで、東日本大震災による津波で長男をなくされた浅沼ミキ子(岩手県陸前高田市)さんがその思いを絵本にした「ハナミズキのみち」を演劇化した、埼玉県の学生たち(三郷市彦糸中学)の活動をレポートした番組がありました。
脚本を担当した3年生の坪井聖璃菜さんは、最初に本を読んだ時に津波を知らない自分が書いていいのか悩んだそうです。彦糸中学校では2年前から震災をテーマにした舞台を制作しており、今年の6月から取り組んだのが「ハナミズキの道」でした。坪井さんは本を深く読み、仲間たちと議論を重ねながら脚本を書き上げていきます。
さらに、先生から紹介された、絵本の作者が震災直後から書き続けた手記を読み、作者の気持ちを分かろうとします。中学生たちのなかには、作者の過酷な経験を目の当たりにしてその思いを受け止めきれず、「やっぱり他人の気持ちはどんなに理解しようとしても分からない」、「表現するのが怖い」と意見は錯綜します。
作者の手記の中で最も衝撃を受けた、作者が息子と遺体安置所で再会するシーン(津波発生から10日後)を坪井さんは脚本に付け足します。そしてその遺体安置所のシーンで「帰ってきてくれてありがとう」という絵本にも手記にも無いセリフを作者・浅沼さんに<送る>のです。これは息子の死を懸命に受け止めようとする母親の気持ちを考えた末に、脚本の坪井さんから出た言葉でした。
坪井さんは、「どんなかたちでも<会いに来てくれたこと>、それを思うと<感謝>という言葉が出てきました」と言います。
この原本にはないシーンや、ことばを坪井さんが加えたのは作者や作品に対する<不誠実>でしょうか?
私にはそうは思えません。
今まで自分が直面したことのないこの被災者の苦しみ、哀しみの経験を、芸術として表現することに対する覚悟、それを自分に突き付けられ迫ってくる「問い」として必死に受け止め、この若い脚本家の魂はそれに震撼し鼓舞され、そのpassion(受苦・情熱)を自分固有の「ことば」や「シーン」というかたちで<表現>して作者に応えたのだと思います。<祈り>に近いような「ことば」で。
作者の苦しみ・痛みに「忠実」に寄り添う苦しい何ヶ月かを通して、彼女の魂は何かを「懐胎」し、作品には「不忠実」な仕方で逆説的に最大の「忠実さ」と「敬意」を作者に贈(送)ったのだと思います。
「・・(「語られた」言葉ではなく)、主体が「語る」言葉とは能動的なものではない。それはすでに他者の言葉を聞いた(聴取)ということであり、全き受動的な他者への応答である」(E.Lévinas)
埼玉県の学生たち(三郷彦糸中学)の活動に陰ながら敬意を送ります。
坪井さん達は絵本の作者である淺沼ミキ子さんにビデオレターを送ったとき、浅沼さんは「まだまだ息子のことを思い出さない日は無いが、中学生たちが自分の絵本に関心を持ってくれたことが嬉しかった」と言います。作者の淺沼さんは上演後「泣いてしまったが、頑張れというパワーをもらった」と語っていました。
この絵本「ハナミズキのみち」はふるさとを愛し津波で亡くなった作者の息子の健さん(市職員。市民を避難誘導時に津波犠牲)が、大好きだったハナミズキを避難路の道しるべに植えてほしいと語る内容です。
そしてハナミズキには「私の思いを受けてください」「返礼」といった花言葉があるそうです。息子の健さんが毎年欠かさずプレゼントをくれた、母の日直前に咲く花でもあります。坪井さんはこの「ハナミズキ」の想いを確かに受けて祈るような気持ちで力強く「返礼」したのだと思います(加賀谷)。
※11月23日てつがくカフェ@いわてについて→こちら
ちなみに明日から2泊3日で陸前高田・釜石(社会学のフィールドワーク)なので、申し込みのお返事が遅れたら申し訳ありません。