てつがくカフェ@いわて

てつがくカフェ@いわてのブログです。

映画『渡されたバトン~さよなら原発~』

2013-06-27 12:59:03 | 文化

 先日、ジェームス三木脚本、池田博穂監督の『渡されたバトン~さよなら原発』 を見てまいりました。
舞台は1968年夏、過疎化の進む人口3万人の新潟県巻町。出稼ぎ大工と行商で細々と食いつないできた、角海浜地区の地価が、なぜか値上がりし、その理由を「新潟日報」が北東(ほくとう)電力が原発建設を計画しているとスクープするところから始まる。

何十億もの協力金や補償金とそれに群がる推進派派、それに真向から反対するのは補償金を釣り上げることしか考えていない巻町漁協、純粋に放射能の不安から意義を唱える「五ケ浜を守る会」などの環境団体。

物語の中心家族で割烹旅館を経営している「五十嵐家」の中でも、父、3人の娘立場と彼女たちのパートナー(お寺の住職、検査技師、漁協)、役場勤務の息子の間でも推進派と反対派に分かれる。推進派の根拠はもちろん巨額の資金投下による巻町の経済活性であり、そこから不安を抑圧するような異様な圧力の「原発推進、原発安全」キャンペーンが繰り広げられる。

そこでは、象徴的な言葉が何度か語られる。「お国の政策だから従わないのは非国民」「お国が安全だというから」「事故が起こるか分からないのに反対するのは「被害妄想」などなど・・・・。推進派には「起こらない側」の方が正常な議論で、起こると考える方は「気違い」や「被害妄想」だと映る。

そんな時に1979年、スリーマイル島原発事故、1986年、チェルノブイリ原発事故が発生する。町民の意識は、原発への拒絶反応として劇的に変化する。

反対する人たちののそもそもの動機根拠は「原発」そのものの理解不足からくる不安。このまっとうな感覚を「非理性」「感性的」と切り捨てる推進派の思考。しかし推進派に非理性と揶揄されたこの感性的な不安や懐疑は当時明確な<言葉>を持っていなかったが、原発・放射能の勉強会、町民選挙や「折り鶴運動」など諸々の具体的な町民運動で、対立構造を逆転させ、最後には町民の勝ち取られた「理性」となっていく。

自身の論を阻害する諸要素や、起こりうる可能的な事態を「被害妄想」と思考停止し切り捨ててきた推進派の思考のほうが「被害妄想」であることが段々露呈していく過程が見物だった。何から大きく社会を変えるような、しかしながらまだ形となっていない<理性>の強力な運動は、既得権を持つ種類の理性に時として脅威的な非-理性や感性的なものと映る、そんな瞬間の蓄積された歴史を垣間見せてくれる、そして何よりも<フクシマ>へ想いを差し向ける、そんな映画でした。(加賀谷 昭子)

詳しくは以下のURLを参考に。

http://www.cinema-indies.co.jp/aozora3/index.php

 

 

 

 

 


音楽カフェについて!

2013-06-26 16:48:08 | 文化

先ほどの投稿で「音楽カフェ」の紹介をしていただきましたが、

僕が主催者の八木です。

o(≧ω≦)o 

プロフィールはこんな感じです。

「岩手大学農学研究科M2。音楽メディア・クッキーシ―ン、『BLACK PAST』『ビジュアルノベルの星霜圏』、地方新聞「岩手日報」、『ユリイカ』(鬼束ちひろ特集)に寄稿。東北を中心に音楽イベント『音楽カフェ』を主催。原稿執筆依頼などあればここまで→ lovesydbarrett80@gmail.com 」

ちなみにツイッターアカウント、FBアカウントはこちらになります(フォローリクエスト、フレンド申請などありましたらお気軽に)

Twitter: lovesydbarrett

FB:https://www.facebook.com/lovesydbarrett87/info?collection_token=100003635897037%3A2327158227%3A35

ヾ(o´∀`o)ノ 

音楽カフェではジャンル関係なしに最新の音楽をかけまくってますが、例えばこんなのをかけてます。

渋谷 慶一郎+東 浩紀 feat. 初音ミク 『イニシエーション』 http://www.youtube.com/watch?v=Vb2QIWvlzuw

Vampire Weekend- 'Horchata' http://www.youtube.com/watch?v=bkUQ-OBazbc

Owen Pallett - The Great Elsewhere http://www.youtube.com/watch?v=ZslepJpWZkw

Antonio Loureiro - Lindeza http://www.youtube.com/watch?v=6gGIHZu8pHA

Gretchen Parlato - Holding Back The Years http://www.youtube.com/watch?v=UUimaa__UgY

まぁこんな感じで超自由に音楽を楽しんでます。

ちなみに!

近々また音楽カフェが盛岡であります。

日付=7月14日(日曜日)
時間=13:00~16:00
場所=nutmeg(http://nutmegmorioka.wordpress.com/about/
料金=1ドリンク(ソフトドリンク=350円)

ですよ~~~。

はじめての方も気軽にお越しください、

内輪感とかも無いと思うので来やすいかと。

女性客ももちろんいますから、女性の方々もどうぞどうぞ。

というか女性が来ない、男ばっかりのイベントとかどんな内容だろうと端的にクズだと思うし、サムイですし、

そんなイベント、僕はやりたくないです。

僕が関わっているてつがくカフェもその辺は気を付けていきたいなと思ってます☆

まぁ「てつがく」とかやりたがるのってたいてい男ばっかりだよね~的な風潮は最悪だし、そういうことを諦め交じりに言う人も最悪だし、そんな国はたぶん滅んだほうがいいので、僕はそこには抗ってゆきたいなと。

あと、この音楽の良さがわからないのは、~をわかってないからだ、という文脈主義的な物言いを招かないような音源を選んでます(限界はありますが)。

なんか面白い音楽が聴きたいな~って人みんなに楽しんでもらえるような音源をチョイスします。

「自分は何も知らないけれど、この世界には自分の知らない美しいものが間違いなくあるということだけは知っている」と考えてる人には間違いなく喜んでもらえると思うし、何か美しいものの欠片を持って帰ってもらえると思います。

僕もそういう人間ですから。

で、この音楽カフェ。

僕は東北各地でやりたいんですよね~

ご協力いただける方は上記連絡先にぜひメールやリプライ、メッセージなどいただければなと。

以上です。

ヽ(。ゝω・)ノ☆;:*

(八木皓平)


音楽カフェとは?広告文(2013/03/09)の紹介

2013-06-26 11:27:15 | 文化

「てつがくカフェ@いわて」のメンバーである八木晧平君は、「音楽カフェ」というイベントの主催者でもあります。

これからも「音楽カフェ」は開催するとの事なので、ご興味ある方は次回お越しください。
2013年3月9日に盛岡駅西口の「アイーナ」で行われた過去の音楽カフェの告知文をご紹介します。

 

音楽カフェとは?

盛岡のアイーナで開催される音楽鑑賞会です。音源を持ち寄り、それを紹介・解説し合うというものです。

今回のテーマは「2010年代の音楽です。

主催者側、またはみなさんが持ってきた音源、動画を聴いてそれについての解説、議論、質疑応答などが行われます。ですので、みなさんぜひこれは凄い!という音源があれば持ってきてください。勿論、持ってこなくともかまいません。

「解説、議論、質疑応答」というと、堅い印象がするかもしれませんが、簡単に言えば「なんでこれが良いと思ったのか」についてみんなでゆるーく、わいわい話しましょうね、ということです。なので前もって音楽について聞きたいということを準備してきて、質問しても一向に構いません。応えられるものにはお答えいたします。もちろん、ただ聴いているだけでも一向にかまいません!

パソコンとスクリーンがありますので、youtubeはもちろん、画像や映像もデーターを持ってきていただければ映すことができます。入場料は「無料」となっております。

「音楽について話し合える友達が欲しい」「みんながどうやって音楽の情報を得ているのか知りた」「最近流行っている~ってどういう音楽なの?」「ヤバい音楽が聴きたい」

などなど色々な思いを抱えているみなさん!この場を生かして解決しちゃいましょう。          (2013/03/909)

 


サウンド・アートってなんですか①

2013-06-25 01:33:42 | 音楽

『サウンドアート ──音楽の向こう側、耳と目の間』http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88-%E2%94%80%E2%94%80%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E5%90%91%E3%81%93%E3%81%86%E5%81%B4%E3%80%81%E8%80%B3%E3%81%A8%E7%9B%AE%E3%81%AE%E9%96%93-%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%88/dp/4845909421/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1372091543&sr=1-1&keywords=%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88

という本を読みました(正確には再読ですが)。

これはサウンド・アートの歴史についての本です。

というかサウンド・アートってなんでしょうか。

「作曲・演奏・聴取という音楽の文脈を取り払って、音それ自体を体験することを目的とする芸術形態。エレクトロニクスを利用して音のもととなる空気の振動そのものを体験する、屋外に設置した装置に水力・風力など自然のエネルギーが作用して偶然に起こる音響を聴く、自然の中で鳥や昆虫などの鳴き声を録音し「生態系の言語」を聴き取ろうとするなど、さまざまなアプローチがある。」(http://kotobank.jp/word/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88

だそうです。

はい、よくわかりませんね。

いくつか具体例を挙げます。

『CHILD OF TREE』John Cage http://www.youtube.com/watch?v=XOtfyYDeFRk

ジョン・ケージ「サボテンがあれば、ワニ型クリップの止め金、あるいは針が内蔵されたカートリッジによって、サボテンとトゲを音響システムに結びつけることができます。トゲの一本をはじいたり、紙や布その他で触ったりすると、非常に美しい音程が得られます。一本のサボテンのトゲとピッチの関連は、しばしばとても面白いもの、微分音程的なものになるでしょう」(『ジョンケージ著作選』)

植物を叩いたり擦ったりした音をアンプリファイしてるわけですね。

ちなみにこのケージさんは『4分33秒』(この曲はラウシェンバーグに影響を受けて作ったという話もあります)っていう4分33秒の間、ずーっと無音の音楽(?)を作ったりしてるんです。

Joseph Beuys - Ja Ja Ja Ne Ne Ne http://www.youtube.com/watch?v=py_uEHL-la4

これはヨーゼフ・ボイスの作品ですね。

ずっと「はい はい はい いいえ いいえ いいえ」と言ってるわけです。たまに笑ったり、ふざけたりしてます。こうすることで『「コンセプチュアルな作品とは何か」についての音声によるマニュフェスト』(本書より抜粋)になっているそうです。

気が狂っていて笑えますね。

でもこの人、フルクサス(20世紀半ばに現れた前衛芸術運動のことです)にも関わっていたりしていて、とっても有名な人なんです。

Dennis Oppenheim's Attempt to Raise Hell (1974) at MCA, Chicago http://www.youtube.com/watch?v=X4YCs7vner8

デニス・オッペンハイムの作品です。

これはマリオネットがとっても可哀そうですね。

「パフォーマンスから、音を組み込んだインスタレーションへと移行したアーティスト」がこのオッペンハイムさんです。

環境音、人の声、インスタレーション。

色々な音を面白く聴きましょうねというのがきっとサウンド・アートの特徴の一つです。

これらを聴いて馬鹿だなぁと笑うのも良し、

この作品は何をマニフェストしてるのだろうと考えるのも良い。

色々な楽しみ方があると思います。

これを読んでいるほとんどの人が知らないと思われるサウンド・アートというものの片鱗を紹介したところで、今回はこの辺で。

タイトルに①としてますが、別にコンセプチュアルな連載でもないので(笑)、要望があったり、僕がやりたくなれば②、③とたまにやります。

ではさようなら~。(八木皓平)


てつがくカフェ@いわて 広告文アーカイヴ ④

2013-06-24 11:40:19 | アーカイヴ

                                                                              2013/03/16

第5回てつがくカフェ@いわて 【ーみやこ編ー】

 

<テーマ>

『<喪失>の言葉/<和解>の言葉』

 

 本州最東端に位置するここー岩手県宮古市。2年前、宮古市も広範囲に渡る甚大な被害を及ぼした千年に一度と言われる大災害―「東日本大震災」―そして大津波に襲われました。現代社会の象徴であるコンピューター、携帯などの情報技術、電気、ガス、水道などのライフライン、車、バス、電車などの便利な交通網に慣れ親しんだ私たちは、荒れ狂う大地のうねり、全てを呑み込む津波の脅威、その破壊力を目の当りにして全くなすすべがありませんでした。当時私たちはこうして「問う」自由さえ奪われた渦中の当時者でした。

 あれから2年、皆さんはそれぞれの具体的な生活の中で、何に心を痛め、何に慰められ、何に憤りを感じ、何を諦め、何を見つけてきたのでしょうか。私たちは生き<残された>者であり、均等に与えられる時間という大きな流れの中にいます。絶対に回帰してこない者/物たちと向き合い、愕然とするしかなく、全身でそれを嘆き悼む時、言葉にならない激情が身体中を駆け巡ります。私たちが大事なものを喪失した時に話す言葉。その言葉を話す主体から<和解>の言葉を語る主体へと変わる(変えられる)時、喪失した物/者たちと<和解>へ歩み出るとき、何か違った祈りにも似た風景のようなものが見えてくるような気がします。

 今回宮古市でのてつがくカフェのテーマ『<喪失>/<和解>』に込められたものは、決して失ったものを受け入れて、折り合いをつけよ、と強制しているのではありません。行方不明者という切実な問題、福島県住民の怒りや絶望、被災者の今後の不安な生活を考えると、そもそも和解どころではない、一生かけても受け入れ難い事態が生じています。無理に和解しないことが人生の本質でさえあるかもしれません。和解することの善悪や真偽を問うのではなく、「そもそも和解とは何か」、また「和解しようとする主体はどういう言葉で語るのか」、それを考えてみたいと思います。

 言葉を失い、にも関わらず<再び>語り出すとき、何が起こるのでしょうか。内にある私的な言葉にならない感情に形を与え鋳直し続けること、そしてそれを差し出すこと、伝える言葉を獲得していくこと、争いの後に架ける言葉を探していくこと。和解という仕草は、何か、恋人‐親子関係のようなねっとりとした親密な関係から獲得される文法ではなく、そのような関係から一歩踏み込んで(出て)、何かちがう思考を促す性質を持っているような気がします。理解できない不条理な出来事に身も魂も引き裂かれて茫然と立ち尽くす時、それでも失ったものを、妥協でもなく、諦めでもない、祈りに近い和解(=海)への言葉にしていく行為とは・・・。

 それを今回皆さんとこの宮古の地でカフェりながら語ろうと思います。 
                                                         (文章:加賀谷昭子)

※第4回目は番外編ということで私(加賀谷)が希望していた宮古市で開催させていただきました。
ファシリテーターは、強い牽引力のある岩手のメンバーの八木晧平(岩手大学農学研究科兼音楽ライター)さんにお願いしました。