てつがくカフェ@いわて

てつがくカフェ@いわてのブログです。

てつがくカフェ@いわて-etcetra avec DAN- Bien fait!⑨

2013-12-09 14:37:58 | イベント

DANさんや被災者の方々の思いのこもった熱唱を後ろから色々な思いを馳せながら拝聴し、興奮さめやらぬといった雰囲気を後に一度目の演奏を終えました。

私が今までyoutubeで見てきた釜石の映像に、レゲエシンガーソングライターの「metis」さんが釜石に来られたときの映像も新たに加わっていた気がします。あの『母賛歌』のmetisさんですよ!!ちなみにLeccaさんという同じく素晴らしいレゲエシンガーも釜石に来て、野外ステージで子供達と一緒にダンスなど踊ったそうです。なぜこんな事が可能かというと、その背景にはkuuboさんという、レゲエ界ではすごいギタリストが遠野にいて、沿岸のミュージシャンたちとこのようなミラクルスーパーコラボが実現しているとのことです。ちなみにleccaさんという方は「陸前○○」(→名前失念、陸前高田ではないです)ご出身で、震災時お父様が沿岸部で被災し、その後遠野に移住したそうなので、色々とつながりがあるのでしょう。

さて、会場のみなさんはこのライヴをどう感じられたのでしょうか?私はできるだけ通俗化されていない、手垢のついていない皆さんの生のことばにドキドキ・ワクワクでした。

会場の雰囲気はなんといいますか、言語にできないものを目の当たりにして咀嚼して、消化して<言語化>しようとするエネルギーを感じました。本当に限られた時間ではありますが、濃縮されたこの時間を表出された「言語」という形でもいい、ネガという意味での「沈黙」という言語でもいい、私たちは「今・ここ」から徴となって何かしら表現されるもの、その応答を待ちます。

最初、皆さんと離れたところで前の方で座っていた私たちは、「何か窮屈」と思って、中央テーブルの皆さんの輪の中に混じって対話を開始いたしました。

まず、曲や演奏を聞いての第一印象を開場に投げかけたところ男性が挙手され発言してくださいました。

当時釜石に勤めていた方のようで、映像にあった「大町」や「千寿院」へ登る坂道、天神町の「釜石市民文化会館」などそういった自分の知っている震災前の親しみのある場所や建物の記憶と、その変わり果てた姿を対比させ、その心境を語ってくれました。

映像による記憶の想起という効果も大きかったと思いますが、それがDANさんの歌にのせて歌われたということの意味はどうだったでしょうか?それをカフェ後にも続けて考えてほしいと思いました。

2番目に挙手された方は、とても熱心なてつがくカフェ愛好家(と呼ばせていただきます)の男性。

先日NHKで放送されていた「ユーミン特集」を見ての発言でした(私も見ましたよー)。何か強く思うところがあったのでしょう。音楽評論家さながらに事前にメモにしてその思いを語ってくれました。キーワードは「視覚映像と音楽」。ユーミンのインタビューでの「曲作りのときメロディーが先にできるのだけど、詞や言葉とは本当に格闘する」というエピソードを語ってくださいました。私が記憶しているのは、自分が経験した、その時一回限りの風の吹き方だとか、空気の匂いだとか、光の射し方を忠実に「写し取るように」メロディーにしたり、詞にすると、それを聴く人はその感覚を経験したことがないにも関わらず、「あたかも」リアルなその情感が事後的についてくる」的なことをおっしゃっていたように記憶しております。

これってすごいことですよね。この「あたかも」効果は視聴覚芸術を考えるとき、それと「言語」との翻訳可能性を垣間見せているような気がします。「あたかも~何々かのように」とは、まさに言語的な性質のものだと思います。比較類推する言語能力がこの固有の芸術を共有する可能性を与えているのかもしれません。絵画にしろ、音楽にしろ、固有の経験に依存しない類推可能なフィクションかつリアルな感覚を与えるというのは、リアルだと思っていた<私>固有の感覚そのものが実は<フィクション>を必然的に呼び寄せる構造をすでに有しているのかもしれません。

続けて、奥の方に座ってらした男性がとても静かな語り口で、途中途切れとぎれにご自身の感想を述べてくださいました。この方も何かしら支援に関わっているお仕事をされている方のようで、一言一言正確には思い出せないのですが、DANさんの歌を聞いての「躊躇」や「違和感」をお言葉にして表現されていたように思います。ここから一気に今回のてつがくカフェの流れが決まったように思います。

今まで当たり前のように続いていた〈日常〉が突然中断され、亡くなってしまった方々の事を考えると・・・・・。このように〈歌〉にすることやそのことを〈表現する〉ことに対する躊躇。怖さ。まだその喪失したものに対するその思いも汲み取れないまま、その「厄災」に対して「意味」を与えられないまま、表現することに対しての怖さ。「希望」という言葉や「頑張ろう」とか「心ひとつに」という言葉をハスに見てしまう自分。そのような趣旨の事をおっしゃってました。

確かに、DANさんの歌には「絶望」という言葉は1回出てくるのに対して「希望」は3回。会場のみなさんはこの歌を「希望」の歌と捉えていた方がほとんどだったと思います(発言された人は)。音楽に詳しい方もいて、その方がおっしゃるには、これは短調でできていて、希望とか明るい曲にジャンル分けされるとのご意見もいただきました。

私は進行役だったので、意見は言えなかったのですが、これは「希望」の歌とは思ってませんでしたので全く意外でした。私が音楽苦手で短調とか長調とか常識的なコード関係なしに、この歌を読み取っていたのが大きな原因かと思いますが、全く真逆に考えておりました。希望、希望と光を求め、照らすそのDANさんのアクションは、逆説的に、実はそこにある深く大きな意味づけすることの不可能な穴、真っ暗な深淵のような傷を縁取る仕草に思えたのです。言語ってそうですよね。何か未分化だったものを分節化すると、たちまち対象が指定・固定・差異化され、それと逆の反対概念がかえって明確になる。相補性の論理といいますか。意味を可能にした「区切る」前のものにつきまとわれる。それを必死に払いのける痛々しいジェスチャーに見える。

ただ、DANさんが歌っているのが「希望」だとしたら、それは「絶望」と相対的に位置づけされる「希望」ではなく、比較不可能な絶対的な「絶望」から、その裂け目から息も絶え絶えで見上げた震災当日のあの「星」なのではないのでしょうか?

 

※可能な限り忠実に思い出して、みなさんの言葉を描写したいと思います。しかしながら皆さんのご意見をすべて音声記録のように正確にアウトプットするのは、私の能力を超えてますし、また拾いきれない点は多々あると思います。その事が理由で皆さんのご意見に「事後録」として残すという目的から、加賀谷自身の言葉を上乗せしている箇所もありますが、その点なにとぞお許し下さい。また具体的な思い出せない固有名詞がたくさんあることも事前にお詫びもうしあげます

 ということろでまだまだ続く(加賀谷)(°д°)

 

 


てつがくカフェ@いわて-etcetra avec DAN- Bien fait!⑧

2013-12-08 16:41:27 | イベント

今日は『釜石第九』に行く予定だったのですが、研究発表のスライドづくりで断念。

宮古の友人とそのご友人の釜石の方と、DANさんのフルートを聴きに行きたかったのですが、本当に残念無念。

さて、てつがくカフェ。DANさんの奥さまとお互い自覚のない「音痴」だとういう点で盛り上がり、意気投合(笑)したところで、喫茶店「しゅん」に参加者が少しずつやってまいりました。

参加人数は途中からいらした方も含めて、計20人以上はいたと思います(ホント一人で運営したので、正確にカウントしてません)。1Fカウンターにいらっしゃった方々も入れると25人くらい?男女のバランスは男性が多めかな?常連さんももちろんいましたが、初参加の方もたくさんいらっしゃいました。落ち着いた層の方々、会社員、公務員、農家の方、主婦、学生、先生、実に様々の方々にお越しいただきました。

今回の資料を手渡し、お茶を飲みながら開始時間までゆっくり待っていただきました。しゅんの看板料理、「わがままカレー」を注文されてる方々もいました。ワインを片手に静かに資料を読んでる方もいました。

18時半になったところで、開催の辞をもって「てつがくカフェ@いわて-etcetra avec DAN-」はスタートしました。

最初私が、DANさんの紹介やこの企画の経緯、テーマ(「音楽の力」)設定の理由を簡単に解説し、そしてDANさんに『命の花』を作ったいきさつなどを語っていただきました(この詳細は広告文や「岩手日報」(11月16日朝刊)に詳しく書いてありますので、そちらをご覧下さい)。

開場で事前に『命の花』を聞いたことがある参加者はゼロ。これは面白い現象だと思いました。@いわてのブログでDANさんの歌はかなり紹介していて、訪問者数や閲覧数などコンスタントにあり、岩手日報掲載翌日のカウント数はブログ開始以来最高記録でしたので、皆さんご存知での参加だと思ったのです。

つまり、皆さんの自己申告が正しいとするならば、@いわてのブログを見ている方々と、実際にてつがくカフェに来られる参加者は違うということになります。「へぇ~」といった感じでした。

それはさておき、DANさんの歌です!

実際DANさんに『命の花』を、震災当時の映像と一緒にギターで(音響機具なし)で歌っていただきました。2Fの照明を落とし、白壁をスクリーンに映像を映し、私はスペースがなかったので、踊り場に下る階段のところでDANさんの後ろからその様子を見ていました。

花巻の本妙寺で最初に聞いてから約1か月ぶり。DANさんのこの歌の力が、私にこの企画を遂行させるくらいのものだったんだ、ということを改めて実感しました。胸にこみ上げるものがありました。目の前にあの震災当時から、被災者の数え切れない思いを、苦しみを、祈りを、感謝をこの「音楽」で「歌」で表現してきた人がいる。驚くほど純粋に。そして少し不器用なまでの真面目さと誠実さで。

私も真剣にこの人たちと対峙しなければならないと思いました。もちろん、はじめから相当の覚悟で向き合ってきました。

「これはフィクションじゃない」。

『風立ちぬ』を震災後完成させた宮崎駿(元)映画監督は、周囲に「宮崎映画は終わった」と言われる中、この映画を制作しながら、「これはフィクションじゃねぇんだ」と自分に怒りを込めて自戒を込めて言い聞かせながら、「フィクション」を作ってました(NHK『プロフェッショナル』より)。

「これはフィクションじゃない」。

あらためて、尊敬と感謝のあふれる思いがDANさんの背中へと向かう。

非常時の「あの時」にこの出来事を「音楽」で表現してくれた人がいたことは、私にとってかなりでかい。そしてそれは「救い」に近い。

色んなことが頭を駆け巡りました。

皆さんがこのショッキングな映像と歌との難しいプレゼンをどういう風に解釈するのか、ドキドキしました。

次回はいよいよてつがくカフェの対話記録に入りますー(加賀谷)。(。-∀-)

 


てつがくカフェ@いわて-etcetra avec DAN- Bien fait!⑦

2013-12-07 10:24:51 | イベント

DANさんの奥さんはおっしゃいました。

「DANは去年なんかはこの歌を歌うのが怖くて怖くてしかたなかったんです。自分が他の被災者の思いを歌っていいのか?まだ先の見えない、こんな状況の中、この歌を歌っていいのか?」といつも苦しんで、泣いてしまって最後まで歌えなかったくらいです」。

でも同じ被災者やその他の人々に「歌ってください」と頼まれる。

『命の花』のワンフレーズ。

「必ず生きてると、必ず会えると どこにいるの?どこにいるの?届けたいこの思い」。これは大事な「彼女」に宛てたあの時の<私>の思いです。

他のワンフレーズ。「会いたい ととえどんな姿だったとしても」。これは失いたくない彼に宛てたあの時の<私>の思いです。

「当事者だからこの『命の花』を歌える」。奥さまはそうおっしゃいました。

仙台のてつがくカフェで問われていた問い。

『被災者とは誰か?』、『当事者とは誰か?』・・・

確かに。

もし自分が内陸部にいたら・・?内陸だから問えた問い?いや同じ沿岸部でも被災状況が軽かったらこう問うてた?問うてる自分がいた?

とてもラディカルで危険な問いだと思いました。これ以上最悪のことはないことを経験し、すべてを捨て、何もない中命からがら必死で沿岸部から逃げてきた私にはこの問いはキツ過ぎました。

このように問うている人たちがいることがショックでした。たぶんこの時の強烈な衝撃が私のてつがくカフェをやり続けてきた理由でしょう。震災後、現行の法律で苦しめられたので、法律を勉強するために仙台に来たのですが、また哲学に引き戻されました。

問いはすべてに開かれてます。問う事自体に罪はない。この<問い>が2年前私を捉え、そして今回のDANさんの奥さまの言葉、「当事者だから歌える」。この言葉が再び私をこの<問い>へ引き戻しました。

問いの形式や構造自体には、すでに答えの形式や構造があらかじめ含まれている事が多い(形而上学的な問い、例えば「無とは何か?」etc..は答えを前提としていないので、無限との関わりではあると思いますが)。つまり、問いを立てることを可能にしているところに既に存する「前提」があり、それが予めそれに対応する答えの形式を要請し、規定し限定づける。それを「問う」ことにある無意識下の欲望といってもいいでしょう。その詭弁や循環論法に陥るのを避けるため、この問いを「違う」文法で考えることはできるのだろうか?しかしこの問いはその種の問いなのだろうか?

この問いに予め「東北地方の住民、いや日本全国民みんな被災者だ」と思いたい欲望が入っていないだろうか?etc・・・・・・・・・

 

拝啓  フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェさま

あなたが以下のようにおっしゃられるためにどんなにそのお心が苦悩したか、いつか知りたいものでございます。

「他人の不幸は、われわれの感情を害する。われわれがそれを助けようとしないなら、それはわれわれの無力を、ことによるとわれわれの怯懦を確認させるであろう。言い換えると、他人の不幸はそれ自体で既に、他人に対するわれわれの名誉の、もしくはわれわれ自身に対するわれわれの名誉の減退を必然的に伴う。また別のいい方をすれば、他人の不幸と苦しみのなかには、われわれに対する危険の指示が含まれている。そして人間的な危うさと脆さ一般の印というだけでも、それらはわれわれに苦痛を感じさせる。われわれはこの種の苦痛と侮辱を拒絶して、憐れむという行為によって、それらに報復する。この行為のなかには、巧妙な正当防衛や、あるいは復讐すら込められている」。(『朝焼けの輝き』第133節

またまた続く・・・・・・(加賀谷)


てつがくカフェ@いわて-etcetra avec DAN- Bien fait!⑥

2013-12-06 12:00:25 | イベント

法事で初めての北海道。飛行機は久しぶり。一応海を超えたから「海外」気分?笑 。 しかし寒い。寒かった。JRの電車間引きで札幌で2時間待機というのがキツかった。

そこでおとなしくしてればいいものを、待ち時間に札幌ビール園に直行し、1杯だけのつもりが・・・(あとはご想像におまかせします)。しっかり風邪をひいてしましましたー。

さてさて、そろそろてつがくカフェの報告をしないと、暮れもやってきてまた違う忙しさになってしまいますので。

でも、今回はてつがくカフェが始まる前の準備の時間がとても濃密で、印象的で楽しかったんですよね(まだひっぱるか?)♥

DANさんの奥さまとの会話も楽しかったです。

私が今回DANさんとコンタクトをとり始めた経緯やお互いの震災当時のこと(奥さまは釜石のモスバーガーにいたそうです)。

 

お互い震災後それぞれの分野で、踏ん張って何かしら表現してきた事を話したり、『命の花』制作時の裏話をしたり。

 

私がDANさんの存在と、歌と生き方にショックを受けたこと。DANさんから到来した〈問い〉に捉えられてしまったこと。

皆が必死に実践知や情報知を探していた震災直後に、津波被災地釜石で「音楽」を通して何かを必死に伝えようとしている人がいたということに対する衝撃。全く違うことを考えていた人に対する驚きと好奇心。

言葉と音楽の<対話>を巡って。これが今回のてつがくカフェ@いわての着想とインスピレーション。

震災後2年半以上経った今だから、アーティスト、ミュージシャンでもあるDANさんと話せる、話したい、と思ったこと。

奥さまもこの釜石の映像を最近やっと見られるようになったとのこと。

第3子のお子さんは避難所で誕生日を迎えたとのこと。

やはり「当事者」でなければ伝えられないことがある、とのこと(「当事者研究」というのもあるそうです。例えば『現代思想』2011 vol.39-11 特集 痛むカラダ  当事者研究最前線)。

『命の花』をいろんな人に知ってほしいとのこと。これはDANさん自身の歌ではなく、当時の色々な被災者の思いをそのまま歌にしただけとのこと。できるだけ忠実に。写真のように。

今回、私は再度「当事者」とは誰か?という問いに戻された気がします。

思えば私が仙台のてつがくカフェに初めて参加したテーマが『当事者とは誰か?』でした。

哲学の問いはすべての分野領域に開かれていて、常識や前提を疑い、その根拠を問うものであります。哲学には問うてはいけないタブーな「問い」はないことは皆さんも賛同されると思います。例えば以前高校生が「何故人を殺してはいけないか?}と問いを投げ、物議をかもしたことは記憶に新しいでしょう。

しかし、かの問う人「ソクラテス」もそうであったように、哲学の問いはラディカルであるし、そうあるべきなのですが、通説を覆すのですから、動揺・混乱させるものでもあり「危険」でもあります。

私は仙台で問われていた、この問いにショックを受けました。この「被災者とは誰か?」という「問い」は「当時」の沿岸地域だったら立ち上がらないと思ったからです。内心思っている人はたくさんいたとおもいます。同じ宮古市でもにももちろん著しく被災状況の違いがありましたし、皆が被災状況の大小で心づまり、申し訳なさ、我慢などさまざまな思いを抱え、それを問うことも説明づけることも不可能でした。

つまり、このような「問い」を立てているのはどのような考え方をしている人たちなのか、ということが私のてつがくカフェの出発点でした。

本題になかなか入らないですが、このような記憶の思い出し方でアウトプットしないと書けないタチなのでご勘弁を♥(ゝ。∂)。

またまた続く・・・・(加賀谷)