DANさんや被災者の方々の思いのこもった熱唱を後ろから色々な思いを馳せながら拝聴し、興奮さめやらぬといった雰囲気を後に一度目の演奏を終えました。
私が今までyoutubeで見てきた釜石の映像に、レゲエシンガーソングライターの「metis」さんが釜石に来られたときの映像も新たに加わっていた気がします。あの『母賛歌』のmetisさんですよ!!ちなみにLeccaさんという同じく素晴らしいレゲエシンガーも釜石に来て、野外ステージで子供達と一緒にダンスなど踊ったそうです。なぜこんな事が可能かというと、その背景にはkuuboさんという、レゲエ界ではすごいギタリストが遠野にいて、沿岸のミュージシャンたちとこのようなミラクルスーパーコラボが実現しているとのことです。ちなみにleccaさんという方は「陸前○○」(→名前失念、陸前高田ではないです)ご出身で、震災時お父様が沿岸部で被災し、その後遠野に移住したそうなので、色々とつながりがあるのでしょう。
さて、会場のみなさんはこのライヴをどう感じられたのでしょうか?私はできるだけ通俗化されていない、手垢のついていない皆さんの生のことばにドキドキ・ワクワクでした。
会場の雰囲気はなんといいますか、言語にできないものを目の当たりにして咀嚼して、消化して<言語化>しようとするエネルギーを感じました。本当に限られた時間ではありますが、濃縮されたこの時間を表出された「言語」という形でもいい、ネガという意味での「沈黙」という言語でもいい、私たちは「今・ここ」から徴となって何かしら表現されるもの、その応答を待ちます。
最初、皆さんと離れたところで前の方で座っていた私たちは、「何か窮屈」と思って、中央テーブルの皆さんの輪の中に混じって対話を開始いたしました。
まず、曲や演奏を聞いての第一印象を開場に投げかけたところ男性が挙手され発言してくださいました。
当時釜石に勤めていた方のようで、映像にあった「大町」や「千寿院」へ登る坂道、天神町の「釜石市民文化会館」などそういった自分の知っている震災前の親しみのある場所や建物の記憶と、その変わり果てた姿を対比させ、その心境を語ってくれました。
映像による記憶の想起という効果も大きかったと思いますが、それがDANさんの歌にのせて歌われたということの意味はどうだったでしょうか?それをカフェ後にも続けて考えてほしいと思いました。
2番目に挙手された方は、とても熱心なてつがくカフェ愛好家(と呼ばせていただきます)の男性。
先日NHKで放送されていた「ユーミン特集」を見ての発言でした(私も見ましたよー)。何か強く思うところがあったのでしょう。音楽評論家さながらに事前にメモにしてその思いを語ってくれました。キーワードは「視覚映像と音楽」。ユーミンのインタビューでの「曲作りのときメロディーが先にできるのだけど、詞や言葉とは本当に格闘する」というエピソードを語ってくださいました。私が記憶しているのは、自分が経験した、その時一回限りの風の吹き方だとか、空気の匂いだとか、光の射し方を忠実に「写し取るように」メロディーにしたり、詞にすると、それを聴く人はその感覚を経験したことがないにも関わらず、「あたかも」リアルなその情感が事後的についてくる」的なことをおっしゃっていたように記憶しております。
これってすごいことですよね。この「あたかも」効果は視聴覚芸術を考えるとき、それと「言語」との翻訳可能性を垣間見せているような気がします。「あたかも~何々かのように」とは、まさに言語的な性質のものだと思います。比較類推する言語能力がこの固有の芸術を共有する可能性を与えているのかもしれません。絵画にしろ、音楽にしろ、固有の経験に依存しない類推可能なフィクションかつリアルな感覚を与えるというのは、リアルだと思っていた<私>固有の感覚そのものが実は<フィクション>を必然的に呼び寄せる構造をすでに有しているのかもしれません。
続けて、奥の方に座ってらした男性がとても静かな語り口で、途中途切れとぎれにご自身の感想を述べてくださいました。この方も何かしら支援に関わっているお仕事をされている方のようで、一言一言正確には思い出せないのですが、DANさんの歌を聞いての「躊躇」や「違和感」をお言葉にして表現されていたように思います。ここから一気に今回のてつがくカフェの流れが決まったように思います。
今まで当たり前のように続いていた〈日常〉が突然中断され、亡くなってしまった方々の事を考えると・・・・・。このように〈歌〉にすることやそのことを〈表現する〉ことに対する躊躇。怖さ。まだその喪失したものに対するその思いも汲み取れないまま、その「厄災」に対して「意味」を与えられないまま、表現することに対しての怖さ。「希望」という言葉や「頑張ろう」とか「心ひとつに」という言葉をハスに見てしまう自分。そのような趣旨の事をおっしゃってました。
確かに、DANさんの歌には「絶望」という言葉は1回出てくるのに対して「希望」は3回。会場のみなさんはこの歌を「希望」の歌と捉えていた方がほとんどだったと思います(発言された人は)。音楽に詳しい方もいて、その方がおっしゃるには、これは短調でできていて、希望とか明るい曲にジャンル分けされるとのご意見もいただきました。
私は進行役だったので、意見は言えなかったのですが、これは「希望」の歌とは思ってませんでしたので全く意外でした。私が音楽苦手で短調とか長調とか常識的なコード関係なしに、この歌を読み取っていたのが大きな原因かと思いますが、全く真逆に考えておりました。希望、希望と光を求め、照らすそのDANさんのアクションは、逆説的に、実はそこにある深く大きな意味づけすることの不可能な穴、真っ暗な深淵のような傷を縁取る仕草に思えたのです。言語ってそうですよね。何か未分化だったものを分節化すると、たちまち対象が指定・固定・差異化され、それと逆の反対概念がかえって明確になる。相補性の論理といいますか。意味を可能にした「区切る」前のものにつきまとわれる。それを必死に払いのける痛々しいジェスチャーに見える。
ただ、DANさんが歌っているのが「希望」だとしたら、それは「絶望」と相対的に位置づけされる「希望」ではなく、比較不可能な絶対的な「絶望」から、その裂け目から息も絶え絶えで見上げた震災当日のあの「星」なのではないのでしょうか?
※可能な限り忠実に思い出して、みなさんの言葉を描写したいと思います。しかしながら皆さんのご意見をすべて音声記録のように正確にアウトプットするのは、私の能力を超えてますし、また拾いきれない点は多々あると思います。その事が理由で皆さんのご意見に「事後録」として残すという目的から、加賀谷自身の言葉を上乗せしている箇所もありますが、その点なにとぞお許し下さい。また具体的な思い出せない固有名詞がたくさんあることも事前にお詫びもうしあげます。
ということろでまだまだ続く(加賀谷)(°д°)