8月11日
古い古い道祖神です。
何時、誰が、何処で、奉納されたのかも分かりません。
相当な歳月が流れているのでしょう。
ここには見えなくなっても繁栄の姿が目に浮かびます。
平和で、豊作で、子孫繁栄の願を懸けたのでしょう。
そこは村の中心だったのでしょう。
いく体ものそれが物語っています。
8月11日
古い古い道祖神です。
何時、誰が、何処で、奉納されたのかも分かりません。
相当な歳月が流れているのでしょう。
ここには見えなくなっても繁栄の姿が目に浮かびます。
平和で、豊作で、子孫繁栄の願を懸けたのでしょう。
そこは村の中心だったのでしょう。
いく体ものそれが物語っています。
8月10日
何処にもある道端の置かれた道祖神です。
道しるべとなり、神様への案内役となりでしょう。
氏子さんが寄進したものなのでしょう。
それは幾年月もの間、参拝者を見守っているのでしょう。
何と微笑ましいことでしょうか?
8月 9日
高助さんの訪問した神社にはこのようなものもある。
神社は日本人にとって戦前では神仏として崇められていたものだ。
戦後はそれが改められて宗教を持たない人々が増えた。
それは神社も同じだろう。
神仏がないがしろにされている今、心の穏やかな安定は得られない。
そんな寂しい時代になってしまった。
心を支える教育は、夢のまた夢なのかも知れません。
悲しい時代ですね。
8月 8日
この神社を訪問したのは秋でしょうか?
菊の展示会場になっている様子が写っています。
狛犬を記録することはその時々の時代も一緒ですね。
高助さんお疲れさまです。