聖書と共に

ベレヤ、アテネ

今日は、使途行伝で、バックストンからです。

 テサロニケで迫害に合ったパウロらは、次に
ベレヤという町に行きます。

「この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たち
より素直で、非常に熱心に、みことばを受け入れ
はたして、その通りかどうか毎日聖書を調べた」

パウロは、いつでも聖書に基づいて福音を宣べ伝
えましたが、ここのベレヤの信者は、もう一度
聖書を読んで、パウロの伝える事が、実際に、
その通りであるかを調べたのです。

ここの人たちは、パウロの言う事を、そのまま
鵜呑みせず、聖書から直接、光をえたかったので
す。永遠の命を得るか、どうか、という大切な
問題ですから、使徒の教えさえも、信仰の土台と
せずに、自分で神のみことばを調べて、その
みことばの上に信仰を立たせようとしました。

聖書を調べ、神様のみことばの上に信仰を立てる
ならば、必ず、しっかりした信者となります。

しかし、テサロニケからユダヤ人が来て、人々を
騒がせました。

パウロらは、船に乗ってアテネに向かいました。
テサロニケでの迫害が続いている事を聞いて、
テモテをテサロニケに派遣します。

当時、アテネは、全世界における学者と学問の
中心地でした。当時から300年前には、有名な
ピタゴラス(ピタゴラスの定理)、プラトン、
ソクラテス、アリストテレスらがいました。

アテネは、そんな所でしたから、そこの人々は
喜んで真理を聞き、喜んで救いの道に耳を傾けた
かというと、決して、そうではありません。

「エピクロス派とストア派の哲学者たちもパウロ
と議論していたが…」
エピクロス派の人々は自分の快楽の為に生活しな
ければならない、と論じ、ストア派の人々は、
自分の力で心を統べ治める事ができると論じ。

パウロは、こういう人たちよりも、むしろ自分の
罪を感じている人々に福音を伝える事を願った
事でしょう。
主イエスが福音を宣べ伝えた時も、パリサイ人、
サドカイ人たちよりも、罪人の多くが、神の国
に入りました。

パウロは、熱心い神の真理を伝えましたが、多く
の者は、心を頑なにして、あざけったり、聞き
流して、信じませんでした。
パウロは、ここでは迫害を受けませんが、パウロ
は失望のうちに、この地を去りました。

アテネで、わずかに信じた人もいました。
アレオパゴスの裁判人デオヌシオ、ダマリスと
いう女性、その他でした。

パウロがアテネで説教した事は
①世界とその中の、あらゆるものを造られた神は 
 天地の主であり、人の手で造った宮には住まわ
 れない。
②神を、金、銀、石、など人の技と思考で刻んで
 それを神としてはならない。
③神は、人の無知な時代を見過ごして来られたが
 先に、イエスを立てて福音を述べしめ、彼を
 死人の中よりよみがえらせた。
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