聖書と共に

狭い門よりはいれ

日本の家庭では、仏壇や神棚など、多くの神仏を置いている所が多くあります。又、登る山道は、多くあっても、頂上は一つだから、どんな信仰でも同じと考えています。
しかし、イエス様は『狭い門から入りなさい。滅びる門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。』(マタイ7-13)と言われました。
又、『私は羊の門です。誰でも私を通って入るなら、救われます。又、安らかに出入りし、牧草を見つけます。』(ヨハネ10-9)

『イエスは、神の貌(かたち)にておられたが、神と等しくある事を、固く保とうとは思わず、反って己を卑しくし、僕の貌をとりて、人の如くなれり。既に人の状にて現れ、己を卑しくし、死に至るまで、十字架の死に至るまで従いたまえり。

この故に神は、彼を高く上げて、之にもろもろの名に優る名を賜ひたり。これ天に在るもの、地に在るもの、地の下に在るもの、悉くイエスの名に
よりて、ひ膝を屈め、かつ、もろもろの舌の「イエス・キリストは主なり」と言い表して、栄光を父なる神に帰せん為なり。』(ピリピ2-6)

天の御国と、この世を結ぶ架け橋は、イエス・キリストの十字架のみです。

私達が救われるのは、沢山、善行したからでもなく、修行したからでもなく、献金したからでもなく、キリスト教会に行っているからでもなく、十字架による贖いがあったからです。
『我らは、その血に頼りて贖罪、すなわち罪の赦しを得たり』(エペソ1-7)

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