の、詩編13編3節からです。
福音書には、よく盲人の目が開かれた事が
出てくるが、これは肉体の目が開かれたと
いう奇跡であると共に、その人の魂の目が
開かれたという事でもある。
ここで、あの有名なラザロの生き返った記事
を読んでみたい。それは、マリヤが中心の
記事になっている。生き返されたラザロは
その兄弟と書かれていて、主人公になっては
いない。
聖書が一番問題にしているのは死人が生き返
ること、盲人が見える様になること、足なえ
が歩くことではなく、
神と私達の関係が回復されていく事だと主張
しているのである。
神と自分との関係が正されていく事。それが
私達にとって一番、大切な事である。
それは、神に対して目が開かれ、人生が全く
180度、転回してしまうことなのである。
物乞いしていた盲人が主イエスに従っていく
人間に変えられたように、私達も神に対して
目が開かれる時に、それまでの物質だけに
頼っていた者から、永遠とか、真理とか、
滅びないところのものに、従う人生に変えら
れる。
パウロがアナニアから洗礼を受けた時、
うろこの様なものが、目から落ちたと書い
てある。(目からうろこが落ちる)
その時から彼の人生は180度転換して、
キリストの迫害者から、キリストの僕に
変えられた。
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昔、テレビドラマの歌で
「真理、人生、ああ青春」という歌詞が
あった。それが、年齢と共に忘れ去られる。
もう一度、真理、人生を見直したい。