ababa ...ひびのおたけび

CRPS・脊髄損傷…
病は体の自由を奪い痛みで蝕む
それでも私の心は自由で在り続ける
大空を羽撃く鳥の様に...

廃部?

2004-06-09 21:00:00 | 日記

その為、体育の授業は殆どが体育館で行なわれ、
グラウンドは年に数える程度、体育祭の練習位で
10回も行かなかったように思います。
移動時間がかかるので、授業は2時間連続してありました。
そんな風なので、グラウンドで行なう部活はとっても少なく、
在学中はソフト部だけでした。
私は高校に入学したら絶対ソフトを「やるっ」と決めていたので
入学後直ぐに入部しました。
入部時点での部員は3年生が2名、看護科の先輩の幽霊部員が数名。
看護科は病院実習がある為、部活を始めても途中で辞めたり、
幽霊部員になる人がとても多かったのです。
2年生の部員はゼロ、新入部員は私を含め10人ほどいました。
それまでのソフト部は開店休業状態で十数年前に1度、
県高総体に出場したらしくその時は、得点は十数点対ゼロの
コールド負けだったそうです。
それからは細々と活動を続けていました。
私達の代になり人数も試合が出来るほどに集まり、
練習にも身が入るようになり、高校2年の県高総体から公式戦に出場し始め、
ベスト8に残る程のチームになりました。
我が母校は、はっきり言って長崎県でも有数の勉強のできない
世に言うおちこぼれの集まる女子高で、素行の悪い生徒も少なくありません。
そのような学校ですので、部活に熱心になる生徒も少なく、
教師も生徒に似てか熱心に指導することもなかったので、
もちろんすべての部活動は弱小チームで1回戦突破どころか、
人数が集まらず試合にすら出れないこともありました。
そのような学校の中で、ベスト8に残った部活などとても珍しく、
学校にとっては信じられない事でした。
私はバカが付くほど練習し、チームの誰よりも努力しました。
しかし、2年の秋イロイロあり退部しました。
この事はまっ、いずれ詳しくお話しすることに致しましょう。
いつまで私達の時のような活動が続いたのか解りませんが、
自分の青春時代の貴重な時間を過ごした部活が廃部になったのは、
ちょっと淋しいですね。


廃部?

2004-06-09 20:00:00 | 日記

友人の情報によると、母校のソフト部廃部した模様です。
友人が週末に行なわれた県の高総体に姪の応援に行ったそうです。
その姪は私達の母校の3年生でバスケット部に所属しており、
友人は最後の試合だという事で家族で応援に行きました。
すると、顧問は11年前と変わらぬ国語の男性教諭だったのですが、
副顧問は当時ソフト部の顧問であった数学教諭だったそうです。
やはり、廃部になっちゃったのね、
いつかそういう日が来るのではないかと危惧しておりました。
我が母校はこれぞ『ながさきっ』と言えるような
斜面の住宅地に建っており、校舎・体育館・グラウンドと
順に登って行かなくてはならず、グラウンドは山の頂上にあるのです。
母校は、幼稚園・中学校・高校・専攻科(看護科)・短大・専門学校があります。
中・高・専攻科は同じ敷地に建ち、幼稚園・短大・専門学校は
グラウンドのある山の頂上に建っています。
高校の校舎から体育館までは、約10分。
校舎からグラウンドまでは慣れないと30分近くかかります。