ababa ...ひびのおたけび

CRPS・脊髄損傷…
病は体の自由を奪い痛みで蝕む
それでも私の心は自由で在り続ける
大空を羽撃く鳥の様に...

今年も・・・・

2004-10-30 20:00:00 | 日記
今日は、10月30日。10月も残すところ、後1日になってしまいました。
月曜日からはもう、11月今年も後2ヶ月となってしまいます。
私にとっては、この一年間は『激動の平成16年』って感じでした。

車椅子生活になった原因が平成12年2月16日に施行した
ヘルニアのラブ法手術。その1ヶ月半、歩行困難で車椅子を使うようになり、
大学病院の麻酔科に治療の為転院した為に、障害の悪化し
平成12年の12月28日に大学病院からほっぽり出されて、
OPした病院へ再入院して、平成13年3月31日に1年3ヶ月の
長い入院生活を終えました。
入院する時は、入院の大荷物を独りで抱えてバスに乗り継ぎ
病院まで行ったのが、殆どの人とは逆に症状が大きく悪くなって
車椅子で友達二人に迎えに来てもらって退院。
その年の5月の連休明けから、長崎県の更生指導所に手動で運転できるように
改造した車に乗って通所し、そこで色々な人との出会いがあり、
宮城県の障害者職業能力開発校の福祉機器科ならば、
私の希望する義肢・装具製作の訓練が出来るという情報を得て、
宮城県まで行って入校選考試験を受験、希望通り入校する事が出来ました。
仙台に行くまでは、母Fは途中で帰って来ても知らないよ、
その覚悟があるならば、仙台に行きなさいと・・・渋々、許可してもらいました。
入校するまでは、言葉・食事・文化・気候など
全くちがう土地に、独り生活をすることには、多少不安もありました。

入校して、時間が経つに連れその不安は小さくなっていきましたが、
平成14年の夏頃からは思いも寄らなかった、
障害の進行が現れ麻痺域の上昇・不全麻痺から、
完全麻痺に進行、膀胱・直腸障害の出現、
それに伴い仙台市内の国立病院への入院。
検査で分かった、L3/4のヘルニア・C5/6のヘルニア
初期のキアリ奇形...
しかし、幾ら・どんな検査をしようとも原因は分からず・・・・
一番、怪しいと思われる事は、やはり治療でOPした硬膜外膿瘍に
大きな要因があるのではないか。ということに、
しかし、それも時が経ちすぎてはっきりと言えないとの事。

4月からは福祉機器科2年となり装具や義足・整形靴の製作に明け暮れ、
努力も実り修了試験にも合格し、無事に国立県営宮城障害者職業能力開発校の
2年間を過ごす事が出来ました。

実家、長崎に戻り2月に受けた福祉用具等、
福祉関連の業種を幅広く手がけている会社からの連絡を待ちながらも、
長崎で就職活動し今週からは、在宅オペレーター(内職)ではありますが
仕事をしてお金を稼げる事になりました。
内職ですので、月額¥10,000に満たないこともあるでしょうが、
私も社会を動かす歯車の一つになれたような気持ちがいっぱいです。
来月、県職の試験を受けますが競争率も高く1次の筆記試験で不合格になる事
100%だと思いますが、世の中何が起こるか分かりません。
当てずっぽうでチェック(五者択一試験)した回答がまぐれ当りでもして・・・
なぁんて事もハッキリないとは、言えません。
しかし、最終的に合格したとしても(まず、ないことでしょうが)通勤
労働を合わせると1日、10時間以上、
車椅子又は車に座りっぱなしになるのです。
この状態が続けられるか?心配なのです。
最初は、1日3時間ずつ・週に3日位から始めて順次増やしていくとなれば
別ですが・・・・私にとって仕事をする。
それは自分の命の一部を削りながらする様な事とも言えます。
難しくて決断できません。でも、これはもしも、もしも、偶然中の偶然に
合格したらの話であって、今悩む事じゃないんですよねぇ~

では、今日も6時からバスケの練習行ってきます。
諫早の体育館なので1時間前に出発しなきゃいけないので、
グズグズしてられません。
コレ書き終わったら着替えて、ちょいと一休みです。
なにせ、日記書きの途中で内職の入力していましたので・・・・・
それでは失礼!!