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シロガネの草子

「我が身をたどる姫宮」 その13 



 皇嗣殿下と、妹宮殿下のお二人は、一泊2泊のご予定で、地方視察のへと、お出ましになられています。今までは、妃殿下が、ご一緒だったのですが、姫宮様が皇族の身分を離れられて、ご降嫁される際、ご自身が、務められていた、総裁などは、母君の皇嗣妃殿下と妹宮殿下方にお譲りになられましたので、母君が、会合や式典等にお出ましの機会が多くなられ、今までの通りという事が、難しくなられましたので、予定によって、妹宮殿下が、母君の代理として、父君の皇嗣殿下に同行される様になられたのでした。

 しかし現在、妃殿下は、遠出のお出ましを、控えていらっしゃるのです。昨年、姫宮様は、多くの心ある国民が、反対するなか、K氏とご結婚なされました。そして、妃殿下は、最後までご結婚には、反対されていました。


 その後もK氏と「お母様」の仲は、佳くないままでした。それに対して、又週刊紙等がやたらと、過激なタイトルで、記事を書き続けて、皇嗣妃殿下を、バッシングしたのです。
     

 自分の娘の「純愛」に、何時までも反対する「イジワル」な「嫌な」母親として。しかしながらそういった事で、妃殿下のお心はへし折られる事は、ありませんでした。


 妃殿下は、姫宮様とK氏との結婚は、必ずダメになるという、強い思いが、おわりにありましたし、K氏の人間性には、かなりの不信感が、おわりになりました。そんな男と暮らして、我が娘が、「愛」だけで持ちこたえる訳がないという思いもありました。

 波乱の半生を、皇嗣殿下と共に生き抜いてこられた、皇嗣妃殿下の確たる「信念」というべきものでした。


 しかし、もう・・・・・不誠実な男であり、姫宮様の皇族としての立場を利用するのが目的のK氏に対して、身も心も愛も捧げて堕ちてしまった・・・・・姫宮様の事よりも、ある出来事が、ありまして・・・・・皇嗣妃殿下は、今までにないくらの大バッシングを受けられたのです。そのお話は、後に書きますので・・・・・。


 姫宮様が、久しぶりにご家族とご一緒に、ご夕食を頂けると喜んでおりましたが、若宮殿下は、夕食の仕度をしている花吹雪達がいます、ご膳所へと行かれまして、そして戻って来られますと、そのまま二階の自室へと、行かれました。少しすると、手提カバンを肩に掛けられて、下に降りてこられました。そして、姫宮様に、


「今日は、お琴(箏・そう)の練習日だから、俺は、先に食べるから、大姉様は、おもう様達と食べるだろう、でも先に食べたいなら、用意しておくと、おたた様達は、言っていたけど、どうするの」

 それを聞かれて、姫宮様は、あぁ今日は練習日だったと思い出されました。おもう様や、妹宮達と共にと思われましたが、若宮が、先なら自分も一緒にと思いまして、


「では、私も若宮様とご一緒に、先に頂きますわ」

と、言われまして、「その事をご膳所へと伝えて行きますね」と言われてご膳所の方へと行かれようとされました。若宮殿下は、「そう」と一言、言いますと、ソファー等がある洋間のお居間の奥の、十二畳程の和室へと行かれまして、そこで、勉強を始められました。

 和室に、置かれている座卓に、ご自分様の座布団を用意されて、キチンと正座されて、手慣れた感じで、勉強道具を広げられたのでした。・・・・・。


 姫宮様は、それをご覧になられて、痛ましげに若宮殿下のご様子を見つめられました。若宮殿下は、お一人になられるのが、お嫌いなのです。


 このお年頃の男の子なら、自室にいるのが、普通なのですが、若宮殿下は、二階に誰かが、いない限り、一階のお居間に居られて、スマホを見たり、本を読まれたり、漫画もそして、週刊紙も読まれているのです。そして、勉強や、お稽古ごとは、奥の和室でなさることが、多いのです。一階は、誰かが必ずおりますし、奥の職員の詰所も近くにありますから、完全に、お一人になるという事は、ありません。

 姫宮様は、若宮様の事は、良く妹宮様から聞かれていますので、若宮殿下の行動を驚きはしませんでしたが、(やはりまだ、尾を引いている。無理もないわ)と思いながら、ご膳所へと向かいました。
  ご膳所では、花吹雪や涼風達が、夕食の仕度をしておりました。皇嗣ご一家の分だけでなく、奥の職員達も夜、居残るもの、家庭の事情が、あるものなどは、こちらで、食事をしますので、いつも10人以上分も作るのですから、皆忙しいのです。こちらのご膳所は、一般と比べると、結構、広いのです。そして使い勝手が良いのです。
 それぞれ忙しく、仕度をしている、花吹雪達に、姫宮様は、

「花吹雪さん、私も、若宮様とご一緒に頂くわ。何か手伝える事は、あるかしら?」

 そう声をかけましたら、普通は、「いえいえ滅相もない」と言うものなのですが、花吹雪達は、「では、遠慮なく・・・・」と言いまして、姫宮様に早速、野菜を切って欲しいと頼んできたのでした。


 姫宮様は、冷蔵庫に張り付けてある、今晩の食事内容を確認されまして、エプロンは、お膳所の仕度部屋に妃殿下を始め、姫宮様方の分もありますので、ご自分のを掛けました。お腹が、大きいのですが、あちらのお住まいでも、食事の仕度は、なさっていますので、エプロンを掛けるのも、慣れているのですが、やはりお腹がかなり張った状態となってしまいましたが、仕方がないと、姫宮様は、そう思いつつ、中央にでんと、置かれたテーブルの側に立たれて、野菜を切るなどされ仕度を手伝われました。  
  

 姫宮様は、K氏との結婚は、頑として他の意見を受け付けず、K氏一筋でしたので、将来の事も考えられて、料理や家事等は、ご自分から進んでなさることが多く、料理もご家族のも含めて、職員達の分迄、作られていらっしゃいました。 


 姫宮様も意地と覚悟が、ありましたので、K氏との結婚が暗証に乗り上げてからも、そういう姫宮様の行動に一切かわりは、ありませんでした。

 こうして、侍女達と一緒に食事の仕度をされていても、お手は、手早く進められていらっしゃいます。そして、姫宮様のこうした事は、K氏との結婚後に随分と役に立たれたのでした。


 女性3人が、集まれば、何かと話をしながら、料理をするのは、皇室でも変わりは、ありません。姫宮様達は、世間話もしながら、食事の用意をしていましたが、姫宮様も花吹雪達に、色々と話しかけ、花吹雪達も、姫宮様にあちらの暮らしぶりや、K氏と「お母様」の事を訊ねたりしました。それに対して姫宮様は、K氏と「お母様」とは、とても上手くやっていると笑顔で、おっしゃいましたが長年、姫宮様と接している、侍女達は、姫宮様のK氏達の話しぶりが以前と、違う事に気付いていました。
        

 姫宮様も自分達の夫婦の事よりも、あちらの地元の人達が、とても良く温かく接してして、又自然豊かで、住まいのマンションからの眺めがとても綺麗で、風が、今の時期は、とても気持ちが良く、「和歌も何首か詠んだのよ」とにこやかな表情で、花吹雪達に話していらっしゃっいました。

 その話しぶりには、「嘘」は、ないようで、地方の暮らしには、とても楽しんで、いらっしゃるご様子で、侍女達は、安心しましたが、本当に・・・・・皇嗣妃殿下の言われる通りに成られたと、でも妃殿下同様に皆、予想はしていましたが、姫宮様の今後の事を、心配したのです。


 気心の知れた侍女達と一緒に姫宮様も、とても長閑な心持ちで、いらっしゃいました。しかしやはり、若宮殿下の事が気にかかり、侍女達に、


「若宮様は、まだ、誰も居ない二階でお一人で居るのを嫌がっているのね」

 姫宮様の言葉を聞いて花吹雪達は、


「はい、やはりあの事が、尾を引いておりまして・・・・わたくし共も、嫌な気持ちになります。ましてや、若宮様にとってもは、本当に、未だに怖がられても、ご無理有りません」

 涼風も、花吹雪の言葉に同意して、


「あの事は、余りに酷い事でした。いたずら目的と言ってもあの行為は、宮様に当たり散らすも同然の、余りに度が過ぎていましたもの。私は今、思い出しても腹がたちますよ。全く。ホントに。ましてや、『あの』ナイフの出来事が起きた時でも、若宮様も少なからず動揺されていらっしゃいましたよ。表面は、何ともないと、いう風になさっていましたけど・・・・・。それが、落ち着かれた後になって、アレに便乗してあんな事を、若宮様に対してするなんて!わたくしも、今こうして思い出すと、全く頭にきますもの、ホントにあの時の若宮様のお気持ちを思いますと・・・・・」

 平成の御代が、終わろうとする、数年前の事でした。若宮殿下の通う中学校の若宮殿下の机におもちゃのナイフが、置かれていた出来事が、ありました。おもちゃでしたし、最初は、軽いイタズラか何かだと、皆、そう思っておりましたが、何と、若宮殿下を脅す目的で、大の男が変装して、中学校迄侵入して、恐らく机に書かれた名札で、若宮殿下の机を特定したのでしょう、若宮様のお机におもちゃのナイフを置いて、「皇室に対する自身の意思」というのを表したのです。

 幸いなことに、若宮様は、体育の為に警護の人と教室の外へ、出ておりましたし、若宮様を始め、クラスに子供達に何の被害も出ていなかったのは、本当に幸いな事でした。

     
 しかし、その出来事が、皇嗣邸に伝わった時の、老女の唐糸や花吹雪侍女達の動揺は、とても大きかったのです。何せ学校内に不審者が・・・・・しかも、皇室に反感を持つ人間が入り込んだのです。驚くのも無理はありません。
 
 唐糸などは、若宮殿下が、山か海で遭難し、無事に救助されて帰った様な感じで、抱き締めんばかりに、若宮様の無事を涙を流して喜んでおりました。


 そして他の職員達も、同様で、「本当に何事もなく良かった」と皆、互いに言い合いまして、ホッとしていました。

 当時、姫宮様方ご姉妹は、それが、やや大袈裟ではないかと、思われて、妹宮殿下は、唐糸達に
 

「ちょっと大袈裟すぎるんじゃない?(笑い)『ゆうちゃん』もクラスの皆も何ともなかったのだし、ただのおもちゃのナイフだったんでしょ。本人もケロリとしているんだし。皆が、あんまり騒ぐとかえって『ゆうちゃん』が、動揺して、学校へ行けなくなるわよ」

・・・・・・・そう言われました。そして、姫宮様も、

「犯人は、逮捕されたんだし、こちらが大騒ぎすると、『かこちゃん』が、言っていた通り、『ゆうちゃん』が、変に不安がって、後々辛くなるんじゃない?その方が、大変よ。兎に角、何事もなかったのだし、余り騒がない方がいいわよ。アメリカのK氏だって、とても心配しているし、そう大事と思わない方がいいわよ」

 姫宮様は、そうおっしゃり、いたずらに騒ぎ立てて事を大袈裟にし過ぎない方が、良いと、唐糸達に、言われましたが、内心は、弟宮様よりも・・・・・



(喧しく世間に言われて、K氏は、とても辛い思いをして居るのに、それにめげずに、今、一生懸命私達の将来の為、勉強しているのよ。そんな健気なK氏は。きっと今度の事を聞いてさぞ、『ゆうちゃん』や私達を心配しているわ。とても優しい人ですもの。これ以上事を、オオゴトにして、彼の優しい心を乱したくはないわ)


そんな本音を心のなかでは思われて、いたのでした。兎に角、確かに驚く事件でしたが、姫宮殿下方は、唐糸達が、思うほど、事をそう深刻には、お考えでは、ありませんでした。


 しかし、唐糸達は、2000年初期に大阪の小学校の教室で起きた、あの痛ましい惨劇の「児童殺傷事件」を思い出していました。

 余りに衝撃的な出来事でしたので、それの時の記憶と今回の事件と重なっていたようで、姫宮殿下方がお考えよりも遥かに、とても深刻に考えていました。しかし今回の出来事を少し、軽くみておいでの姫宮殿下方に、唐糸は、


「何をおっしゃるので御座います。とんでも無いことが、起きたのですよ!あの、大阪の事件の様になっておられても、何の不思議では、なかったのですよ。あの当時、姫宮殿下方は、まだ小学生で、お小さかったで余り、覚えては、いらっしゃらないかとは思いますが」

 と、言いました。被害が無かったとか関係なく兎に角こういう男が、若宮殿下の通う、学校の教室内にまで、侵入してしてきた・・・・・これは、唐糸達には、嫌でもあの大阪の小学校で起きた余りにも、凄惨な事件を思い出してしまうのでした。

 その時の姫宮は、兎に角、弟宮には、何ともなかったのだし、良かったと、位に思われて、唐糸達の様にそう、深刻には考えて居ませんでした。当時は、何よりも姫宮殿下に取っては、御代変りによる、約200ぶりの「御譲位の儀」。そして、私的には何よりも、K氏の問題が、大きな関心を占めていらっしゃったのです。


 しかし、それから約1ヶ月後に起きた、川崎市で起きた児童殺傷事件引きこもりの男が、スクールバスを待っている児童達を刃物で襲い、保護者と児童一人が、亡くなるという凄惨な事件が、起こった時、姫宮殿下方は、唐糸達が、あれだけ大事と捉えていたのが、嫌でも理解出来ました。もし、あの時、あの男が本気で、弟宮殿下を狙おうと、例えそれが出来なく、その変わりに、他の同級生達に危害を加えていたら、どうなっていたのか。子供達は、当たり前ですが、丸腰なのです。


 若宮殿下は、皇族というよりも、皇位継承権を次世代ではただ一人持つ立場故に、狙われたのです。姫宮殿下方は、お上の、女一宮殿下を含めてこの様な、名指しで命を狙われた経験などは、ありませんでした。
     

 男子のみ皇位継承権を持ち、男系のみで、繋いで居る皇室は、男性優位で、男女平等の精神に反するとか、今の時代には、合わないとか、色々喧しく言われ、あまつさえ、女一宮殿下に次の天皇にと、新帝が御即位されて、直後というのに、そんな不敬な事を言い立てる一部の人達もおりました。




 もし、皇位継承権をお持ちでいらしたら、女一宮殿下の命が、もしくは、その周囲の同級生達の生命がーー、皇位継承権がないゆえ、自分達は、安全が保証されていたのかと・・・・・姫宮様は、今さらながら、そう思ったのです。



 若宮殿下は、そんな不快な出来事が合ってもお元気で学校へ通われていらっしゃいました。表面上は、何事もなく日々をすごされていらっしゃいました。


 しかし、約一年後にある出来事が起きたのでした。姫宮様が、あの出来事を思い出そうと、された時・・・・・


「随分とお賑やかね、それと良い匂いもするわ」


 そうおっしゃりながら、皇嗣妃殿下が、御膳所へと入ってこられました。妃殿下ご自身も、お料理は、お出来になられるのですが、ご自分よりも料理の腕は、「上」の姫宮様や侍女達が、お料理を作られて居るので、今日はご自身は、控える事として、ただ様子を見にこられたのでした。しかし、姫宮様のお腹が、張ったエプロン姿をご覧になられまして、

「宮、あなた・・・・随分とお腹が張っていますよ。これでは、お腹の赤ちゃんが、窮屈です。私の、割烹着を着た方がいいわよ。あちらの方が、お腹に楽でいいでしょう」

 そう、仰いまして、ご自身の白い割烹着を持って来られたのでした。姫宮様もお腹が、張った状態なのは、気になっていたのですが、そう、長い間では、ないのでと、思っておりましたが、しかしながらそうした母君の何気ない心遣いには、本当に嬉しく思うのでした。そして妃殿下は、当たり前の様に姫宮様のエプロンの紐をほどいて、割烹着に着替えるのを手伝われました。


「お気遣い、ありがとうございます。君様。今日は若宮様のお琴(箏・そう)の練習日だったんですね。せっかく、皆様とご一緒に、夕餉を頂けると思って楽しみにしていましたのに、残念で御座います」

「ええ、本当に・・・・でもお夕食の最中、若宮の美しい箏(そう)の音色を聞くのは、誠に雅なものですよ。事に最近は・・・・・ね。(笑い)大変、ご上達されましたから。皇嗣様もやっと、若宮の箏(そう)の音色を聞いても、食事が不味くなる事はなくなったと、お喜びですよ(笑い)」

 妃殿下は、にこやかにそう、おっしゃりながら、本当に嬉しそうなご様子でした。母君の、そのご様子を見られて、姫宮様は、本当に嬉しく又、ホッとされました。ご自身が、もう・・・・・「親不孝の極み」という有り様で、どれ程、ご両親の皇嗣両殿下、事に妃殿下を苦しませたのか、分かりません。



 自分の娘の事だけでも、もう・・・・・世間というよりも、マスコミから、喧しく言われ、姫宮様もご自身が、このような事を思うのは、身勝手だと分かっては、居るのですが、(本当に大変な目に合われてしまわれた)と、つくづく思うのです。それと昨年以来の大バッシングは、酷すぎました。


 それは、妃殿下は、「正しい事」をはっきりと、おっしゃた為でした。・・・・・・昨年は、お上と皇后様の唯一の御子でいらっしゃる、女一宮様・・・・・、今上の女一宮様が、成年をお迎えに成られました。誠にお目出度い事でした。


 内親王殿下が、ご結婚後も「内親王殿下」の称号を保持出来ることも、正式に決まりまり、そして、成年をお迎えになられた女一宮様には、親王殿下と、同様に成年の儀式、親王殿下の場合は、「加冠の儀」が行われますが、これからの内親王殿下は、「裳着の儀」をなさる事が、決まっていたのです。


 かつて、竹取物語や、源氏物語などの王朝文学にしばしばその名が出ていた「裳着」の儀式、女性が成人したことを正式に披露される、美しき儀式が、後醍醐天皇の皇女が、「裳着」の儀を成された以来長いこと、途絶えた儀式が、久方ぶりに、復活されるのが、決まりまして、大変な話題となったのでした。



 しかし、女一宮殿下が、ご成人されるうえ、雅な儀式も復活するのは、大変目出度い事なのですが・・・・・前々から燻っていた問題が、表沙汰となったのです。それは、女性皇族方の順位をどうするかでした。勿論・・・・・


第一位は、皇后陛下(新たな御代を迎えられて、一番の勝ち組、そして幸福に成られました)

第二位は、上皇后陛下(新しい御代では、大してすることが失くなりました)


第三位は、皇嗣妃殿下(先の御代でも新しき御代でも苦悩が続いていらっしゃいます)

・・・・・それは、当たり前なのですし、それに対して、文句を言うのは、皇室の事を知らない人です。それか、皇室の事に関心のない人。もしくは、皇室に関心を持ち始めてた「素人」。それか、「皇嗣」とは、なん足るか知らない、「馬鹿」位なものでしょう。



 そして、第四位は、誰かと言うのが、当時は、随分と話題となったのです。主に皇室に多大な関心を持つ人達の間と、そして女性週刊紙等で。それは、皇室内でも、同じでした。女一宮様は、なんといっても、今上帝の唯一の一粒種のでいらっしゃる「愛」の姫宮殿下で、なのです。



 やはり格別な思し召しな待遇で、遇されるのが、当然という空気が、宮中内であったのです。


 それは、当然の配慮が合ってしかるべきなのですが・・・・・しかし、皇太子と同格の、皇嗣殿下の内親王殿下が、皇嗣妃殿下の次の順位というのは、当たり前の事ですし、論じる必要もないのです。

 当時、姫宮様は、長年のK氏への(執念と意地と言うべき)恋😌🌸💕を実らせ、そして「内親王殿下」の称号も放棄されたうえ、何を見てもK氏の面影を重ねるほどの愛しのK氏の元へとやっとさご降嫁されていました。




 姫宮様が、K氏の元へと降嫁される際に、内親王殿下の称号も放棄されて、いらっしゃたので、妹宮殿下が、母君の皇嗣妃殿下の次の順位なっていました。それは、お上の姫宮でいらっしゃる女一宮殿下が、成人を迎えられても妹宮殿下の順位に変わりは、ないのです。



 しかし・・・・・・どなかの「ご内意」が、あったのかは、つまびらかでは、ありませんが、妹宮殿下を、差し置いて、女一宮殿下を、内親王の筆頭とするべきだという意見が、宮中や宮内庁の中にあり、そうした動きもありあったという事で、やがて世間に伝わったのです。


しかし、それに対して、皇嗣両殿下は、ハッキリと・・・・・


「内親王の筆頭は、うちの『かこ』です。例えお上の姫宮の女一宮様でいらしても、『かこ』の下位でなければなりません。『ひたち』宮殿下も、同じでしたし・・・・内親王の順位は、うちの『かこ』、次は、女一宮殿下、そして内親王に復帰した、院の女一宮となります。それから、親王妃の『はな』君様、『ゆり』君様と・・・・・続くのが、当然です。変な事をして宮中の秩序を乱さないで欲しい」

「皇室の御子の順位というのは、父親の皇位継承権の順位で、決まるのです。昭和の御代でも同じでしたし」

 と、かなりの強い口調で、おっしゃったのです。昭和の時代でも院が、東宮でいらした時、東宮殿下に続いて、成人を迎えられた当時の「ひろ」宮殿下、そして、「あや」宮殿下と続いて、昭和天皇の二宮でいらっしゃた「ひたち」宮殿下・・・・・と、続いていたのでした。皇嗣殿下はその事を勿論、ご存知でしたし、お上始め、昭和を知る皆様も勿論、記憶しておりました。

  
 その事は、妃殿下も皇嗣殿下から、お聞きに成られていましたので、その事を、隠すことなく、かなり強固に内親王の順位について、「妹宮
が筆頭」だと主張されたのでした。


皇嗣大夫にも、宮内庁の幹部にもです。妃殿下が、誰の「ご内意」であろうと、その事は、一歩も譲歩するつもりは、ありませんでした。



・・・・・・そしてこの事は、当然の如く当たり前の様に世間に、広まり、週刊紙等はそれこそ、


「いい飯の種が出来ました。妃殿下!!『あざっす』」

 と言わんばかりに、このような皇嗣妃殿下を批判的な記事を書きまして、叩きました。


 あのバッシングは、今まで、一番の酷かったのではないでしょうか?しかし、妃殿下もその事は、十分に予想されておりましたので、動じる事なく、ご家族や、長年勤めて居る奥の職員達が、心配するなかでも、日々の務めを落ち着いて果たされておられました。



 姫宮様は、当時は、K氏の元に居まして、新婚の日々を楽しんでいましたが、母君の事などは、嫌でも、耳に入ってきますした。(K氏が面白がって様々聞かせましたので)


 妹宮様とのLINEのやり取り等でも、その事が話の話題となっていました。姫宮様は、週刊紙や又、ネットのバッシングが、酷くなるなかで、やはり娘として母君の事、又同時に非難されていらっしゃる、父君の事が、案じられました・・・・・・。


そして、色々な事があったのです。その結果、現在、皇嗣妃殿下は、地方訪問等の公務を控えられる様になったのです。


・・・・・・今、こうして穏やかな表情で、ご自分の側に居る母君の姿を見ますと「何てお強い」お方様だろうかと、心より思うのです。



 妃殿下が、姫宮様が割烹着を着るのを手伝われて、後ろの紐を自ら結ばれた時、姫宮様は、心を込めまして、


「おたた様、ありがとうございます。これでお腹の『織姫』も楽になったのでしょう。本当にありがとうございます」

それを聞かれて、妃殿下は、


「まあ、随分と、丁寧なお礼を言いますね・・・・ちょと直しただけですよ」


 と、何時もの穏やかなゆったりとした口調で、姫宮様に答えられたのでした。そのお顔も、何時もとお変わらない、たおやかなお美さなのでいらっしゃり、素晴らしいお姿なのでした。

・・・・・その14へと続きます。



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