横浜27団ローバー隊

ローバー隊の現スカウトや近況とOBとの連絡所

RS隊隊長 小山康次郎

2006-02-21 23:47:35 | 地区からの連絡

今年4月で52歳。動物病院を営んでいる。

長男がカブ隊となった機会に、自分の子供の頃からのあこがれだったBS活動を続けている。ビーバー隊の隊長からRS隊隊長となった。

RS隊のスカウトからいつもパワーをもらっている。

小学低学年の子供が下校時に道草くってる姿を見て思わず幸せ気分で微笑んでしまう親父であり、居酒屋で若者に声をかけてはいっしょに飲んでしまう親父である。


ロウソク立て     吉川純

2006-02-21 22:53:47 | 投稿

 「ロウソク立て」              吉川 純

秋の夜長は、スカウトは、クラフトかロープワークで指先を鍛えます?!

最近使われていないようですが、27団には「ちかいの式」で使う「ロウソク立て」があります。

ローバーだった頃のこと。家の近くの森が宅地になりました。倒した杉の木が放置され処分されようとしていました。

根の部分から直径20cmくらいの丸太を1m位、ハンドアックスで切り取り、量端を折り、畳み式の鋸で切りそろえ、ヤスリがけをしてから皮をはぎました。

当時の若手で、バットの手入れのように、ロウを塗ったり、ビンでこすったり、表面を磨き、スカウト章の浮き彫りを入れ、金属の☆(自衛隊の階級章:実は桜)や独楽紐のロープをつけ、直径5,6cm杉の枝で3本の燭台を作り、台座もつけて、組立式として団に寄贈しました。

最近は、暗いところで「ちかいの式」をしないので、使っていないのかも知れません。


ローバー隊新聞2005年8月から

2006-02-21 22:52:21 | 投稿
      「’78 7NJの思い出」           吉川純              
~便秘で苦しんだ4年後のリベンジ~
現在のNV(日本ベンチャー)への模索の時代?
この7NJから、SS隊が編成され、各SHQへの奉仕活動をすることになりました。
事前の訓練を経て、他のBS隊より一足早く、
会場の御殿場市滝ヶ原演習場(富士登山駅伝で有名です)へ。

すでに、水道、WC、シャワーは設置済みでしたが、
案の定「暴風雨」がお出迎え。
戦車が通るような壕が、濁流渦巻く川に。
刻一刻増える水に、県立K高校のラグビー部の猛者が半ベソで、
「吉川隊付!水が増えてきます!!(グスン:鼻水をすする音)」
森本隊長が、避難の判断、隊長、副長がスカウトとともに避難し、
上班1名と隊付2名がサイトと資材を守ることになりました。

すぐに、WCでキジを撃ち、6NJのリベンジを果たしました。
夏だから、パンツに雨合羽のスタイルでテントを張り、風上にベニヤを杭ではさんで設置。
炊事は壕の中でも水の来ないところ(=風も来ない)で、ご飯を炊き、
レトルトのカレーとハンバーグで、ハンバーグカレー(30名分食べ放題)としゃれこみました。
暴風雨も何のその、楽しい一夜でした。

翌日は、太陽が目覚まし時計代わりで、暑い7NJの開幕です。
というのは形だけ、当番班は朝の支度夕の片付けはしますが、
それ以外は奉仕活動なので、朝片付け、水くみ、配給、昼の支度と片付け
夕の仕込みは、一手に「食事担当の隊付」の私(吉川)の仕事でした。
さすがに、1週間炎天下、薪火での30人分の炊き出しは、辛いものがありました。

そんな苦労をわかっていたのか、スカウト達が「ジャンボリー大集会」の御輿に、
「隊付、乗ってください!!」ということで、素肌に黄色の法被(ハッピ)、
ホイッスルを吹き鳴らし、たった1回のサイトからの外出が、記念写真集に
カラーで掲載されることになったのでした。

ローバー隊新聞2005年7月から

2006-02-21 22:50:53 | 投稿
       「泣き虫だったボク」           吉川 純

 小学校3年で41団カブ隊に入団した私、最初の舎営は、寄(通称:ヤドロギ、ヤドリギともいう)の「ミロク山荘」でした。親と別れて泊まるのが初めての上にいじめっ子がたくさんいて?
2泊3日で20数回泣かされ、「カラスの鳴かない日はあっても、吉川の泣かない日はない。」と言われるくらいでした。正義感が強すぎて、曲がったことが許せなかったのでしょう。
悲しいよりは、悔しくて腹が立って年下で何にもできなくて泣いたと思います。
 スカウト技能の修得は何よりも楽しくて、BSにあがってからは、テストで部活が休みになると
ロープ結びに没頭したり、自転車章を取ろうと近所の自転車店に入り浸ったりでした。
手旗信号の合格(=2級スカウト)は、昭瑞丸というタンカーの見学に行った時のこと。
 舳先にいた私たちに、岸本副長が手旗信号を打ってきました。先輩たちは往信しようとしません。思い切って私が、往信しました。不思議とすらすら読みとれ、その時の伝文は、
送「今日の天気は」応「晴れ」送「すぐもどれ」応「りょうかい」
程度の短いものでしたが、自己満足の極致でした。
そうこうするうちに、BSでの泣き虫は、なおっていました。〈終〉

ローバー隊新聞から2005年6月から

2006-02-21 22:49:16 | 投稿
「三ツ沢の思い出 2題」     吉川純

去年から陸上部の顧問をしています。
春の県大会が4月に三ツ沢陸上競技場で開催されます。
隣にはその昔、27団がクリスマス会でお世話になった「青少年の家」があります。
この時期、みなとまつりの国際仮装行列に出場するボーイのカラーガード隊が
合宿をしています。そこでの思い出。

(その1)
クリスマス会の準備で炊き出し当番になった時のこと。
ベテラン主婦のアドバイスも受けて、チャーハンに焼きそばの
感覚でキャベツを入れました。どうなったと思いますか。
1.甘みが出てgoo!なチャーハンになった。
2.水が出て、おかゆのようになってしまった。
3.思い通りソース焼きそばふうに仕上がった。

正解は、2.
おまけに焦げ付いて大変なものになってしまいました。
50人近い食事でしたので、隊長には頭が上がりませんでした。
でも、味はまあまあだったので、返品の山を食事当番で思いっきり食べました。
そこで
{格言1}
「チャーハンには、キャベツは厳禁!!」
(その2)
 別の年のクリスマス会、やはり食事当番でのこと。
給食で使うような大釜で、おまけに灯油バーナーなので
なかなか火がつきません。食事の時間は迫るし、石油は臭いし。
 その後どのようになったと思いますか。
1.バック・ドラフト!!
2.黒煙を上げて燃え上がり食材も真っ黒に!!
3.結局火がつかず、乾パンが夕食に!!

正解は、1.急に炎が覗き窓から噴き出し、Oさんの眉毛は全焼+顔面火傷、
Kさんのメガネのセルフレームが溶けて白くなったりで、大変でした。

ローバー隊新聞2005年4月から

2006-02-21 22:46:25 | 投稿
「27団の良いところ:戻っておいで」       吉川副長

   高校に入学して、硬式野球部に入部しました。
  1年の夏休みに、「日本ジャンボリー」が北海道千歳原で
  開催され、参加できましたが、ご存じのスポーツですから夏休みのキャンプ、
  シーズンオフの冬休み以外の活動はできませんでした。
  事実上、休隊状態でした。3年の夏の大会に負けるとすぐに進路選択で
  スカウト活動どころでは無いはずでしたが、夏のキャンプの前に、
  故鈴木幸一隊長(当時)に電話しました。
「戻りたいのですが」、「戻っておいで」の一言で、復帰しました。
  ちなみに、その後同期の大川(元127団?)君の誘いで、
榊原君と神奈川県立ライトセンター主催のキャンプにお手伝いで参加しました。
私も榊原も、その時に奉仕で参加の高校生と知り合いゴールイン、
現在に至っています。
  いろいろな意味で、辞めずに続けていて良かったと思うこの頃です

2006年離島遠征参加募集

2006-02-21 09:22:00 | 活動の予定
VS隊金井隊長から連絡

日程      3月29日(22:00竹芝桟橋)~4月3日(16:00竹芝桟橋)
遠征場所   新島   3月30日、31日 4月1日 
       新島~式根島移動
       式根島  4月1日~4月3日

全日程参加者も途中参加者も含め各隊、団の参加募集中です、隊団毎で結構ですので参加者を連絡願います。
テント及び備品の調達、船便の予約等が有りますので、2月28日(火)まで日程を含め金井まで連絡お願いいたします。

離島遠征(2005年3月RS隊新聞から)

2006-02-20 14:01:29 | 投稿
離島遠征        吉川 純
3月の離島遠征(大島)は久しぶりだったので、椿園キャンプ場を忘れていて、
バスの運転手さんに言われるままに、
大島公園近くのキャンプ場に行ってしまいました。
朝日を浴びての東海岸の散策は、ストレス解消にはもってこいでした。
皆様にはご心配をおかけして、申しわけありませんでした。
おいしい朝食とお見送り、ありがとうございました。

前日23:20大桟橋発のカメリア丸で、満席通路でゴロ寝でした。
これも懐かしい思い出。
離島遠征が始まって間もない頃、同じく大島行きの満席階段下。
女の子が通るたびに「ジジイ」「クソジジイ」などとと言っています。
ジジイと言われる年令ではなかったので、「何言ってるんだろう?」と仮眠して
大島で降りる頃ようやくわかりました。
一番下の船室にはトイレが無く、
その子たちは、スカートをはいていて、トイレや洗面所に行くときに、
我々が中を見ようと階段下に陣取ったと勘違いされたのでした。
船には急な階段が付き物、スカートはやめた方が・・・。
と、降りてから言い合っても後の祭り。

ところで、27団の離島遠征の始まりは、
大昔、志村、中上、浄住、上野がスカウトだった頃。
シニアの個人プロジェクトで、
「おいしいごはんの炊き方」をテーマに、沖縄瀬底島でのキャンプ
でした。本島から島へは、上陸用舟艇を改造したものだったようです。
現在はきれいな橋が架かっていますが、とてもきれいなビーチです。
毎年沖縄は、お金もかかって大変だと言うことで、
近場で島と言えば伊豆七島となったようです。
全島制覇が、究極の目標(当時)でした。この遠征が呼び水になり?
また、若いリーダー(志村、中上、浄住たち)シニア・ローバーが頑張って、
スカウティングの楽しさを伝えてくれたので、
辞めずに残ってくれるようになっていったようです。   


団イベント行事

2006-02-17 16:03:59 | 団からの連絡
・団行事
  団フェスティバル
  日時:4月9日日曜日午前9時から【集合8時30分】
  場所:大池活動センター
・VS隊離島遠征支援
  日時:3月29日から4月3日
  場所:新島、式根島【移動キャンプ】
・3月RS隊隊会議
  日時:3月4日土曜日午後7時から
  集合場所:こやま動物病院 
 4月RS隊隊会議
  日時:4月1日土曜日午後7時から
  場所:こやま動物病院
  なお、8時まで待ちますが、だれも集合しなければ、自然消滅となります。